2年夏合宿〜夏芸会

大屈辱の2ライブを終えて、芸会が目前になっていた。

やっと漫才ができる

相方がこの夏芸会で帰ってくることが、漫才できることが嬉しかったんじゃなかった。
前期ボロボロになっていったピンから逃げられる。人にすがることができる。という感情だけだった。
このとき自分は1人で笑いを取ることすらできないことを知った。

だけど、ピンでも芸会にはエントリーしていた。前期やってきたことが意味のなかったことにしたくなかったから。自信はなかったけど少しでも笑いを取らないと4ヶ月間してきたことがなくなってしまいそうで、エントリーせざるをえなかった。僕のピンを持ち上げてくれた先輩や、部長を立てようとしてくれた同期、面白いとついてきてくれてる後輩のためには、僕は面白いことを結果で出さなくちゃいけないから。
この考え方は今でも変わってないし、ライブや大会に立ち向かう時に考えるのはこのことだけだ。

あまり準備が整わないまま落研夏の合宿に入った。1年の冬合宿で部長が決定していながら、わせおさんによる策略によりとんでも無くすべり散らかし全ての自信を失っていた以来の合宿では、とにかく活躍しなくてはいけなかった。

ひたすらツッコんだ。ボケカウンターの横に立ち続けツッコミまくってたらまぁ結構ポイント取れたよ。

まぁそんな事はさておき、合宿恒例の期ミーティングが待ち構えていた。
夜ご飯が終わっても僕ら二役はトークテーマを決めれずにいたので、期ミーティングの前に3人で集まって話すことになった。3人で話すなんてそれまであまりしたことがなかったと思う。
たしか、真っ暗な体育館だったと思う。

僕はトークテーマなんて思い浮かばなかった。
ただ自分たちが執行を始めて、行った2ライブを失敗で終わらせたことがただただ悔しくて申し訳なかったのと、たくさん話したり姿で見せてくれた先輩たちが僕らに託してくれたのに、それをこんな落研にしていることが、本当に死んで詫びたいくらいだったんだ。
そんな感情だけぶつけた。

そして、この夏、死ぬ気でやりたいと伝えた
クールな2人にはスルーされると思ってたけど、思いの外2人が共感してくれて、ついてきてくれると言ってくれたのが、執行が始まって1番嬉しかった事だった。

結局僕らは明確なトークテーマを用意せずに、期ミーティングの時間が…
とにかくこの前期の思いや夏の決意を綺麗事抜きで赤裸々に話すようにみんなに伝えたと思う。みんなの本音をここで初めて聞いた。
自分だけが動いて考えて悔しがってると思ったら違った。
みんな僕と同じようにそれ以上に悔しがってたこの前期を。僕はこの日初めて同期の前で泣いた。
そして副部長2人に伝えたように、この夏のテーマを死ぬ気にしたいと伝えた。
この夏芸会、夏学を失敗させたら死のうと
死にたくなかったら死ぬほど頑張って成功させようと思いを込めて。
黙ってみんな聞いてくれた。

夏合宿に最高に熱いスタートを切り、夏芸会へ

まずはピン。僕の予選日が前日から台風が来ていたこともあり、異例で前日にメールでエントリーを行い、事前に香盤も発表された。

Cブロックの2番だった。
その前は当時四年生、木曜会のキミガヨ
その日の1位最有力候補だった。(知らない人は先輩に聞いてみてください。とにかく面白かったと言ってくれるはずです)
あっ終わった。キミガヨが起こす大爆発に飲まれる。前述した爪痕残そう精神は香盤発表3秒後に儚くも散っていた。
ただ
ただ
でもやるしかなかった
死ぬ気でやるって誓ったんだし、足掻こう

ネタは前期にやっていたもののいいとこ取り。唯一新しいフリップを加えた。
ただ4文字『キミガヨ』

超絶に賭けだった。芸会で前後の演者をいじったりメタなことをするのは毛嫌いされる。特に創価落研はそんなことしない。何人かの先輩に相談しても反応はイマイチだった。
でも今の力で爆発させるにはこれしかなかった。

当日。
目の前で予定通り大爆発を起こしていくキミガヨ
ウケてもらわないといけなかったから、目の前でどんだけウケようが気は楽だった。

そして自分の番。前半の絵のフリップは全然ウケない。まぁだって粗品だしなやってること。わかってる。ここは導入だ。
偏見フリップに移行。少しウケだした。よしよし。ウケが上がってきたところで満を辞して

『キミガヨ』←「ウケすぎだろ!!」
ウケた。毛嫌いされるメタのウケのボーダーを超えた。
フォローワード「面白いなぁ〜 スマブラかよ!」
爆発。あざす。

結果%でいうと30何パーセントとかだった気がする。あそこの爆発だけでそこまで上げたとは思うけど、何人かの他大の同期とかに褒められて存在が認められた。これでいい。とりあえず2年の夏、ピンでここまでやれれば及第点だ。喜びや悔しさより安堵が先に来た。

漫才が残っていた。前期たっぷり時間があったのにネタは作っていなかった。仲も良く無く、1人で書いて、相方がまったく理解していないボケすらさせていた。ピンでうけてそこそこ天狗だったのかもしれない。けど、何はともあれこんな状態の漫才がうけるわけがなかった。後半相方が飛ばしたことを許したり、感情をぶつけて怒ったりとかできるほど、まだ僕は人間ができていなかった。謝られてもただ黙って控室に歩いてた。結果は18%くらいかなたしか。

この時のコンビとして大きい舞台に立ったのは学内ライブ一個と芸会二回目くらいだった。
そんな舞台慣れとか関係なく最悪なコンビだったと思うので、まだ深く書く事はない。人間性が合わない事を全てそのせいにして、歩み寄る努力もせず、ウケないことを互いのせいにしたり、相方は勝手に前期いなかった事を後ろめたく感じていたり、僕は結局何も許してなかった。

他の夏芸会の思い出は家に泊まっていた。大好きな後輩スリーメンに手を貸まくったけど、0%をとらせてしまった事くらいかな。いじったりするけど、ほんとに悔しかったし辛かったんだ。それをいじらせてくれる寛大な後輩に感謝だ。
決勝に残り戦ってくれた先輩たち。
特に決勝終わりの打ち上げでこのままでは日本一取れないって身をもって言ってくれた流木さんのよって顔が真っ赤になってる姿はいまだに忘れられない。ずっとお笑いに向き合ってた先輩ですら決勝が限度だったんだ。生半可には日本一って言っちゃいけない。
いや言っちゃいけないんじゃなくて、言ってもいいくらい努力しなきゃいけないんだって。

夏学まで書こうと思ったけど、結構長いので、いったん切ります。

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