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会えない人を待っている 夜の公園で

会えない人を待っている 夜の公園で


うちの隣には、いわゆる町のなかの児童公園ではあるけれど、近隣ではちょっと大きめのいい公園がある。

もともと、子どもが生まれるタイミングでその近くに住み始めて、幼稚園に入る前はいつもその公園で遊んでいた。小学校に入ってから今の家に引っ越し、子どもはまるで自分の家の庭のようにその公園とともに生活している。

もちろんその公園は、この町の多くの人にとって、庭のような居心地のよい場所。毎朝、シニアの方々がたくさん集まるラジオ体操から始まる(いや、そのうちのお一人は、それよりも先に公園の掃除をしてくれている)。それから、小さな子と散歩に来るお父さん、犬を連れたご夫婦など、やっぱり毎日のようにこの公園にやってくる人たちがいる。

週末になると、朝から夕方まで子どもの声でいっぱい。夜は夜で、散歩をする人、一人缶ビールを飲んでいる人、ときどき騒いでいる若者などなど。さまざまな時間に、さまざまな人たちがこの公園を訪れ、留まり、通り過ぎていく。その様子を、家の窓からのんびりと眺めるのが好きだ。勝手に、常連さんの顔もたくさん覚えた。

そんな常連さんのなかに、ちょっと変わった人がいることにあるとき気づいた。平日の朝、自分が仕事に行くとき。休日、自分が家にいるときは、公園にあまり人がいないときであれば、朝から日中、夕方まで、いろんなときに公園にいる。公園で何をしているかというと、ただひたすら、歩いているのだ。

とにかく黙々と、公園のなかを、何周も何周も歩き続ける。ウォーキングといえばそうなのだけど、大人にとっては決して広くもない公園を、飽きることなくただ淡々と延々と。年配の男性と女性。並んで歩くわけではなく、それぞれに思い思いのルート、ペースで。男性のほうは、歩くのに合わせて、体に巻きつけるように腕を振り、拳で上半身をトントンと終始叩き続けながら。

その歩く様子と、服装などの雰囲気と、その表情は、どこかで見たものに似ている気がした。ーー台湾だ。台湾の街中の公園で、黙々とエクササイズ器具で体を動かす人たちに似ていたんだ。そう、その人たちは中国系の人だった。公園を通るとき、二人の話す声が聞こえてきてきたが、(言語としては理解できないものの)やはり中国系の言葉だった。

二人とも、歩くときにほとんど表情を変えず、特に男性のほうは大きくて濃いサングラスをしていることもあって、まるでロボットのような印象さえ覚えるほど。土の上を歩くのが好きだから、いつもできるだけその公園を通って出かけるのだけれど、その人たちのことは「よくわからないなぁ」と思いながら、通り過ぎていた。悲しいくらいに、ありきたりな反応だと自分でも思う。

ある休日、その人たちが、若い男性と4〜5歳くらいの子どもと一緒にいるのを見た。男性とは中国語で話していたけれど、女の子と交わす言葉は日本語だった。そうか、日本語もわかる人なんだ。

その後も、その人たちは黙々と公園を歩いている。時間があればとにかくずっと。何をしている人なんだろう。どうしてこの町に来て、どんなふうに暮らしているのかなーー日々、窓の外を眺めながら、そして公園を通り抜けながら、その人たちに対する興味がちょっとずつ膨らんでいった。とはいえ、そんないきなり話しかけられるものでもない。いかなるときも崩れないその表情にも、ちょっと近寄りがたい雰囲気を感じていた。

でも、意外とあっさりと壁は崩れた。朝、仕事に行こうと公園を通ると、ちょうど向こうから男性が歩いてきて、ほぼ正面で向かい合った。そうしたら、どちらからともなく笑顔になった。やわらかくて素敵な笑顔だった。

そこから先に大きく進めたわけでもない。結局、まだちゃんと話をしたことはない。でもそれ以来、公園やその近くで二人に会うと、お互いに会釈し、「おはようございます」と挨拶を交わすようになった。特に朝、こうして笑顔で挨拶を交わせるのはとても気持ちいい。

そうやって挨拶をするようになったのは、いつ頃だったんだろう。確か初めて会釈を交わしたとき、嬉しくてすぐに奥さんにLINEをしたのだけど、見つけることができなかった。そしていつの間にか、ごく自然なことになっていたような気がする。

だからだろうか、しばらく会っていなかったときも、特に不思議には思わなかった。年末年始、自分も実家などに出かけて長く家を空けたりしていたし、仕事が始まってからの1月はかなり忙しい状態が続いていた。

仕事柄、そして仕込んでいた企画と関わっていたこともあり、僕は1月半ばを過ぎた頃から、非常に大きな不安を感じていた。日常のことや仕事は落ち着いてこなしながらも、情報を集めてあれこれ考えては、不安な気持ちを抱えて夜の道を歩き、最後に公園で一息ついて、家に帰っていた。

1月末、ようやく何かがおかしいことに気づいた。最近、あの人たちとまったく挨拶を交わしていないのだ。いわゆる春節の時期。もしかすると親戚のところに行っているのかもしれない。でも、その親戚がいるのはどこだろうーーその人たちがそもそもどこのどんな人かさえも知らないのに、報道などを見るたびに、ピリッと引っかかるようになった。

そんなときに見にいったのが、「ニッポン複雑紀行」の写真展だった。公園を歩き続けるあの人たちこそ、今、僕の最も身近に暮らす“複雑な人”だと強く感じて、次に会うときは、ぜひちゃんと話をしてみようと心に決めた。

でも、あの人たちは、その後もまったく姿を見せなかった。

帰ってこれないのかもしれない。しかしもう一つ、出歩けないのかもしれないという可能性が浮かんで、やっぱり心がピリッとなった。

そうこうしているうちに2月が過ぎていき、ちょうど1ヶ月前の3月1日。夜、銭湯に行こうと、子どもと一緒に公園を抜けていった。そのとき、暗くてよく見えなかったのだけど、公園の端々に二人の人がいることに、通り過ぎながら気づいた。さらに、僕たちが公園の出口に差し掛かったところで、一人の子どもが駆けてきて、先ほどの二人と合流した。

あれっ、と思ったときにはすっかり公園を出てしまっていて、子どもと一緒だったこともあり、そこから戻ることができなかった。翌日から学校が休校に入ることが決まっていて、緊張した気持ちがあったことも、気づきや判断をにぶらせたのかもしれないとも思っている。銭湯からの帰りには、もう公園にその姿はなかった。

数日後、奥さんから、あの人たちが夜の公園を歩いているのを見たと聞いた。嫌だと思っていた可能性がおそらく事実だと考えざるをえず、とてもつらい気持ちになった。

あの人たちに会ったら、伝えたいことははっきりしている。

でもその日以来、夜の公園を毎日見ているけれど、あの人たちには会えていない。帰宅時間などを敢えていろいろとずらしてみているものの、やっぱり会えていない。

そうして今も、会えない人を待っている 夜の公園で

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