夢の本屋

 東急大井町線、下神明駅から徒歩17分、河谷家書店の河谷店長は愛妻家である。

 河谷さんとの出会いは高田馬場のカフェだった。二十年以上前の話。そこでは自由参加による詩の朗読会が定例で催されており、当時の私は常連の一人だった。河谷さんの登場は全裸で詩を読んだことを差し引いても衝撃的で、散会後おそるおそるファミレスに誘った。その夜から二年三か月、河谷さん、当時の旧姓で芝崎さんは西荻窪の私のアパートで居候をすることになる。
「あの、どこ住んでるんですか?」
「大森貝塚がある大森だよ」
「芝崎さんっていくつなんですか」
「君と同じくらいだとおもうけど」
 実際芝崎さんは私より一歳だけの年長だった。実家暮らしだった芝崎さんの大森の家は昨日、隣家の火事が延焼して全焼したそうだ。静かな生活を欲していたご両親は奇妙な生活スタイルを強引にリセットできてほっとしているという。どういうことか。
 ロバートハリスに憧れていた芝崎さんは俺も本屋をやろうと思いたつ。計画と準備と貯金が嫌いで、とにかくさっとやるのがいいとおもったんだそうで、実家で開業を決意した。といっても実家の一部を店舗に改築するような甲斐性がない。とりあえず表札の下に「芝崎家書店」という屋号をテプラで作成して貼った。
 販売する書籍はどう仕入れたのか訊くと、父と母の蔵書を売っていたというから驚く。しばし次の質問疑問に移れないでいると、いや古物商の免許ってけっこう簡単にとれるよ、と角度の違う説明を寄こしてくる。画期的な本屋だろ?まあ古本屋なんだけどさ、普通の一軒家にしか見えないんだよ、店がまえが。でも営業時間内はドアに鍵かけてないから誰でも入れるようにしてるし、父も母も学者だからいっぱい本持ってんだよ。父は民俗学の専門書、母は予防医学。だけども二人ともフィクションも漫画も好む読書家だから充実した棚だったね。
 私は絶句した。そんな芝崎さんは一年くらい前から新宿の摸索舎でアルバイトをしていたそうだ。新刊も扱いたくなったので、出版元との直接取引のやり方を学んだらしい。だいたいのことがわかって、いよいよ「芝崎家書店」を新刊書店にシフトさせていこうと目論んでた矢先の火事だったそうだ。
「で、花本武くん(筆者の本名です)」
「はい」
「明日からここは花本家書店だ」
「……」
 当時の私はポスティングのアルバイトで生計を立てていた。大量のチラシを抱えて、町に繰り出す仕事は割と性に合っていて、楽しみながら続けていた。楽しみながら鬱屈も同時にしていたのだが。そのような生活は一変するかとおもわれた。なにしろ、自分の住処をいきなり本屋にされることが一方的に決定されたのだ。
 芝崎さんはどこからともなく本を仕入れてくる。私の蔵書も微々たるものだが提供することになる。三か月ほどしてワンルームのアパートが本で埋まる。本棚は適当に作った。作らされた。よしこんなもんだろう。芝崎さんはテプラをもってきて「花本家書店」と印字してドアに貼りつける。明日から自分は何をすればいいのかと問うと、ポスティングを続けたまえ、と言われた。
 「花本家書店」は主に高田馬場のカフェで詩人を気取る者たちのサロンとして機能するようになっていった。「花本家書店」のウリは24時間営業していることで、いつでもだれでも出入りできた。芝崎さんのご両親には良識が備わっているが私は持ち合わせていなかったというわけだ。
 次第に私は本を介した仲間とのコミュニケーションに夢中になっていった。本棚から適当に抜いたパウルツェランの詩集を朗読すると喝采を浴びて、高額なその詩集を買っていく者がいた。外国文学勉強会などをでっちあげてウンベルトエーコやロベルトボラーニョを粋がって取り上げ、テキストとして売りつけた。
 しばらくやっていたポスティングのアルバイトはフェイドアウトするようにしてやめた。「花本家書店」は局所的に話題が膨れ上がっていった。それは本屋としてではなく、怪しい人物が絶えず往来する場所としてであった。数日雑魚寝していく国籍不明の者や、逢引に利用しようとする者まで現れて、荒んでいった。
 「花本家書店」は二年三か月の幕をあっさり閉じた。芝崎さんはドアの褪せたテプラを剥がして、じゃまたね、と言って去っていった。私はおもうところあって、吉祥寺の独立系書店でアルバイトをはじめた。

 久しぶりに会う河谷さんとなった芝崎さんは、相変わらず年齢不詳の佇まいだった。私の元を去ったあとの足取りは何となく知っていたけど、今回改めて尋ねるのだった。
 
 最初は森のところだね。もちろん居候。居候のプロだよ、あの頃の私は(笑)。君も森とは親しかったよな。花本家にも出入りしてたし。あいつのうちはタワーマンションのうえのほうでさ、部屋にDJブースとかあるの(笑)。「森家書店」はお洒落だったね~。本はあんまり売れなかったな、転々としたなかではなんだかんだで君のとこが一番売ったんじゃないかな。しかし森はパソコン強いからさ、ネット通販のサイトとか立ち上げてくれたんだよ。でも発送するのが面倒だからさ、店頭受取のみにしてあるんだよ。たまに物好きな人が来るんだな、タワーマンションのうえのほうにはるばる(笑)。なんなんだここは…って顔して帰っていくね。
 そのあとは村田のとこ。ええとこの御曹司。村田くんいたじゃん、よくたかってたでしょ、おごってくれるから。あいつなんで詩の朗読とかやってたんだろ、謎だよな。田園調布の「村田家書店」は豪邸内のばかげた本屋だったな。まあ本屋というか毎度おなじみの居候がテプラで出店宣言してるんだけど。店頭でいきなりドーベルマンが威嚇してくる本屋だったからねえ、客層が極端だったよ、主に要人(笑)。いろんな人見たよ。
 花本くん知らないとおもうけど北村、次にやったのが「北村家書店」。銭湯なんだな、昔ながらの。長~い煙突があるクラシックなやつ。でもあの男湯も女湯も見渡す番台があるほどはラブコメっぽくない。瓶のコーヒー牛乳と一緒に文庫本を売ったりしてさ、小商いだよ、村田家から一転して(笑)。北村って奴はなかなかの野心家でさ、銭湯でロックをやったりする輩に対抗意識があった。だからおれが本屋やるって言ったらノリノリだったね。
 あとねここに至るまでにもいっこやった。まさにジプシーな感じの「長島書店」。長島さんだよ、あの。当時トレーラーハウスであちこち行ってたあの人になんか偶然拾われて、おれが居候先で本屋やるっていうのも知っててさ、さあ開店しなさい、って言うの。こんなの初めて(笑)。転々としてきたわけだけど、さらに転々とさせられたわけ。日本全国津々浦々。

 河谷さんはフリーライターでさ、なんというか独立独歩な活動をしているような人物に興味があるんだってことで取材を受けたの。まあ、そのあとの多くは語るなと言われてるけどおれが河谷姓を名乗っているのはジャンケンで負けたからなんだよ。「河谷家書店」は河谷さんの実家なんだけどさ、けっこう作り込んでるの。ほら下駄箱を開けると、靴に関する本が揃ってる。『靴磨きの本』とか。これいい新刊だよ。台所にはレシピ集をたくさん並べてる。
 この神棚ごらんよ、古事記、日本書紀を一応置いてるがここから売れたことはないなあ(笑)。この企画は評判いいけどね、読書みくじ。「読むべき本も神頼みなあなたへ」ってうたい文句が刺さる人もいるんだな。
 クローゼット見る?ここは本がない。ファッションに興味ある人があんま来ない。服を買う金で本を買っちゃう人たちが多いからさ、ここは服をシェアできる拠点にしちゃったんだよ。着なくなった服を置いてってくださいって呼びかけて、気に入ったものがあったら持ってかえってもらってる。
 そのとなりに据えてるマガジンラックはほとんど週刊誌。文春、新潮、女性自身とかね。この部屋は常連のおじさま、おばさま方に会議室とよばれている。室内で井戸端会議ができるって重宝がられてる。
 庭?どうぞ。いまここは知り合いの園芸家が珍奇な多肉植物の鉢をたくさん並べてる。これよく売れるんだよ、委託販売させてもらってるの。その奥の苔むしたとこに置いてるビニール包装された本。『コケはともだち』。これはうちの隠れたベストセラーで、売上100冊超えてるな。
 なんだろうねえ、生活提案型の書店っていうのがある一方で、うちは生活することと本屋をやることが密接になってしまってるわけで、生活実践型?なんてね(笑)。

 河谷家書店の屋号はテプラではなく蒲鉾板っぽい石にしっかりと刻み込まれている。

初出:『まだまだ知らない夢の本屋ガイド』朝日出版社刊

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