第一回 銀河鉄道に見えた日の暮れ方

 ああ、詩的な風景だなあ、とか光景だな、とおもうときが時々ある。そういうときに、どうして『詩』が念頭に置かれたのか考えることは、ほんとんどないとおもう。考える余裕とか余地がないからとりあえず『詩』を持ってきたということが頭の中で、起きていると考えるのが通常かとおもいます。ぼんやりとした、詩的な感じ。
 そうゆうのを上手に抽出していつでも、とりだしてためつすがめつ、いい感じの形、手触りに加工できたら、それは楽しい。詩人っていいなあ、と深くおもう。詩的な風景や光景そのものは、決して『詩』では、ないようだから、詩にする技術をおしえてほしい。
 ところがこうゆう感慨もすごく一面的で、そんなに一筋縄に捉えられるものじゃないからまた、詩というのは、面白い。一作も詩を作らない人が詩的な人ではないとは、だれも言えない。
 あれこれと詩について考えていると堂々巡ることになるでしょう。そういうのが楽しいとおもうときもあったり、そういう人もいるかもしれないけど、とりあえず、書いてみなよ!あるいは、声に出して読んでみなさい!などのいささか荒々しい忠告に遭遇する場合もあるかもしれない。素直に実践して、詩との距離の詰め方をヤマカンでマスターできちゃう人もいることでしょう。ああ、多様だ、詩は。

「詩じゃないものから詩を読む」

というテーマの周辺をうろうろしたいとおもってます、今。詩じゃないものというのは、世の中のほとんどがそれにあたるから、どんなものでも、行為でも作品でもだれかの寝息からでも詩を見出してみようというコンセプトになる。まづは、「お話」に焦点を絞ってみよう。
 ここに笑える話と素敵な話があったとしよう。たいがいが素敵な話から詩的な要素を拾うことが容易くなりそうだ。詩は素敵な感じがするものだ。そのイメージが詩にとってマイナスに作用して、詩を読もう、という人の視野を少し狭くしてしまうことは、なんとなくもったいないものだ。
 そんな例えを用意して、これからぼくが笑える話をこちらに提示して、どうだい、素敵な話に詩を引きつけがちな方々よ、この笑える話の切れ味は!と目にもの見せたいわけではないし、陰惨な話にこそ実は詩が宿っているんだよ、なんて言うつもりもない。
 さて、ぼく自身の感慨としては、『詩』をもっとも感じさせてくれるのは、何でもない話なんじゃないかな、と。どんな事件が起こるわけでもないような、事実なのか少し嘘なのかぼんやりしてたり、そもそも記憶が曖昧な事実を臆面なく記すスタイルだったり・・・・・・・・・(前置きおわり)

 先日、妻と岩手を旅行してきた。一軒の本屋にどうしても行きたかったから。さわや書店フェザン店という名の盛岡駅ビル内で営業しているお店だ。ここにTさんとMさんという方がいて、面識がある。
 東京から新幹線を利用して、お昼に盛岡に着く。旅行会社がくれた割引チケットを持って盛岡冷麺の名店とされているお店で冷麺を食べる。店内は小学生が大きな声で楽しそうにはしゃぐ声につつまれていた。
 ホテルに荷物を置いてから、さっそくさわや書店に足を向ける。すぐにMさんが接客されている姿を目のはしにとらえる。店内をくまなく見てまわる。情熱的なポップがカラフルにあちこちで弾けている。棚がいきいきしている。
 ほどなくTさんとMさんと挨拶させてもらえる。とても忙しそう。あんまり店内をいつまでも知人にうろうろされると仕事の邪魔かな、ともおもい、いったんひきあげることにする。盛岡の町を見よう、と店をあとにする。妻とあれこれさわや書店の魅力について話しながら歩いているとMさんが追いかけてきた。これを、と渡されたのは、盛岡の町を案内したミニコミ誌だった。そういえばTさんは冗談まじりに、さわや書店は、観光案内所を兼ねていますから、と言っていた。それが冗談でなかったことが追々分かってくる。
 宮沢賢治の本を出版した光原社のあたりを散策。中津川に向かい、啄木が空に吸われた盛岡城跡公園へ。もりおか啄木賢治青春館にも行ってみた。
 夜は、TさんとMさんがお魚と日本酒が美味しい(ぼくは日本酒を呑みませんが、みんなが美味しいと言っていた)お店に連れていってくれた。4人とも本と本屋が好きなので、その周辺の話題で大いに盛り上がる。
 翌日Tさんに促されて、盛岡ローカルのラジオに出演させてもらった。これは緊張した。妻とTさんは余裕。ぼくとMさんは、少し目が泳ぐ。盛岡のソウルフードと言われている「福田パン」というお店のコッペパンを食べた。
 盛岡から花巻へ出て賢治ゆかりの地をいろいろと見てまわる。羅須地人協会にあのおなじみの写真のコートがあった。賢治が贔屓にしていた蕎麦屋で天ぷらそばとサイダーをオーダー。お店の方に賢治セットですね、とニヤリとされた。宮沢賢治記念館。ここでも小学生たちが元気すぎる。
花巻全体が賢治に満ちている。そのせいか公園にあった普通の小さなコンテナが遠くからは、銀河鉄道を象っているようにみえて妻と笑う。

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