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『給料・年齢で判断しない仕事』マレーシアで月収1万5千円でアシスタントをしていた頃の経験 

なんでマレーシアで働いていたのか?
自分は4年ほど前にマレーシアのクアラルンプールでカメラアシスタントとして、現地のファッションフォトグラファーの下で働いていました
今回はなんで、東南アジアでフォトグラファーとしてキャリアをスタートさせたのか?をお話ししていきます

疑問に思うかもしれませんが
・なんで、マレーシア? 日本でやればいいのに、、、
・給料はどれくらい?
・マレーシアでやることのメリットは?
まず自分がマレーシアへ向かった理由はいくつかあります
 
ファッションに特化したフォトグラファーを本格的に目指したのは30歳で周りに比べるとかなり遅いスタートでした
マレーシアへ行く前の自分の収入は、フリーランスフォトグラファーとして営業写真がメインでした
具体的に
・着物のカタログ
・成人式の前撮り
・学校写真
・婚礼写真
月収はかなりばらつきがあり、月に10-40万が当時の収入でした


「なぜ四年間続けていた営業写真からファッションフォトグラファーを志したのか?」

当時の自分は、どんな仕事でも生活費のために闇雲に営業に行って仕事を受けていました
薄々気づいていましたが、
この生活を今後何十年も続けるのはラットレースでしかないなと思っていました
 
あれこれ単価に左右されず、自分の本当にやりたい分野で権威性を保てるようになれば自分の単価は保たれるはず
 
ただ残念ながら自分が写真をスタートした営業写真の分野では、
個人で戦うには起業してブランディングしなければ、上記の戦略は成り立たないのです
対 一般のお客様 →営業写真
対 企業クライアント →商業写真
 
対クライアントの予算が圧倒的に違います
上記の理由と写真を仕事として始めた頃から、いつかファッション写真を仕事で受けたいなという淡い考えがありました
フリーランスとして目標が見出せなくなっていたこの時期に本格的にファッションフォトグラファーを目指すようになりました
やる事は、ただひたすら作品撮りをしては営業に行く
これを生活費を稼ぎながらも空きの時間を使って、半年ほど続けていました
 
現実問題、営業写真から未経験のファッション業界へ移動するのは非常に難しく何度も壁にぶち当たりました
営業に行っては、
・アシスタントについたらいいんじゃない?
・営業写真からファッション誌は無理じゃない?
・また写真見せにきてね
どこへ営業してもこれの繰り返しで、一向に前に進みませんでした
 
ここでの打開策はすでに自分でもわかっていました
・フォトグラファーアシスタントについてコネと実績を作る
・成果が出るまで作品撮りと営業をこのまま繰り返す
・ファッション誌を扱う出版社の社カメになり、安定した収入を得つつコネを作る
この時期に痛感したのは、同じ職業でも分野が違うと0からの振り出しに戻るという事でした

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当時の自分は年齢に対しての引け目が強かったです
ファッション業界での写真撮影の実績はなくても、フリーランスとして生計はすでに立てていました
 
今思うと、とても恥ずかしいのですが
当時の自分は、アシスタントに戻る事で自分より若い先輩アシスタントや年下のフォトグラファーの下で働くことに抵抗がありました
業界は違えど、アシスタント時代も含めてフォトグラファーとして4年半活動していたプライドが大きな壁になっていたのです
 
プライドを捨てることは目をつぶれましたが、
圧倒的な0からのスタートを望んでいなかったことでした
この葛藤は半年も続いてしまいました
 


「マレーシアへ行くきっかけは??」
話は大きく戻りますが、自分は25歳で写真を仕事にするまで世界中をバックパッカーとして3年ほど仕事をしながら放浪していました
この期間中に、マレーシアのクアラルンプールで活躍するフォトグラファー と知り合いました
彼はドレッドヘアーでオーラが強い。シンプルに見た目がイカツイ。。
ファッション業界で働く人と関わることが今までなかったのもあって、彼の印象は衝撃的なものでした
彼のスタジオにお邪魔して色々話していたら、「もしやる気があるなら雇ってあげるよ」とお声掛けを頂いたのですが結局お断りしました
そして日本へ帰国してから、写真を仕事にするとも考えていなかったので、
のちに彼がいかにすごい人なのかというのに気づかされました
そして写真の仕事を始めてからもずっとこれが心残りでした
路頭に迷っていた時に、彼の存在を思い出し駄目元でメールを送りました

内容としては、
''日本でフォトグラファーとして5年のキャリアがあるんだけど、もしアシスタントのポジションがあればあなたのチームの一員として働かせてもらえないか?''といったものです
彼のマネージャーとメールのやり取りを続け、彼のスタジオがスポンサーになりマレーシアへ移住しました
ただ、周りを見渡してもマレーシアでファッションフォトグラファー をしている人の情報もなかったですし、先人のいない環境でローカルに飛び込むのは不安でもありました


自分はマレーシアへ旅行したことがある程度で、まさかローカルな環境で働くとは考えてもいませんでした
フリーランスで仕事のない苦しみを体験していなければ言い訳をして逃げ出していたかもしれません
当時の自分には失うほどの何かを持ってもいなかったので、勢いに任せて渡航しました


「マレーシアでの仕事はどのようなものだったのか?」

彼の肩書きは、ファッション・コマーシャルフォトグラファー/映像ディレクターといったもので
仕事は主に、ファッション誌全般・ルックブック・広告・MV・CM制作などで1ヶ月のスケジュールの大半は常に埋まっていました
初日の仕事がSingapore版のHarper's Bazaarの仕事で、自分が望んでいた環境に身を置くことができたと早々に実感できました
寝れないほど長時間の仕事があったり大変な仕事が多かったですが、仕事がない苦しみを十分にわかっていたのでここでの経験は大したことありませんでした
休日は毎週作品撮り
初めのうちは機材やスタジオを使わせてもらえないため、土地勘のないマレーシアで屋外撮影を中心に作品撮りしていました
メンバーはスタジオへ仕事で来ていたスタイリストやメイクのアシスタント
他にもこちらから声をかけさせていただいた、インスタグラムのDMを通じて撮影に参加していただいたファッション学校に通っている生徒さんやフリーランスの方々
作品撮りを繰り返すことで大半のモデル事務所との関係を構築し、個人の力でもたくさんの業界関係者とのコネを結ぶことができました
この関係は今でも続いているので、いかにアシスタント時代にコネを作ることが大事かというのを強く感じました

「生活面に関して」
時代が自分の状況を後押しするわけではないですが、
・住むところはAir BnBでおさえた格安のゲストハウス (10人部屋で月1万5千円)
・移動はUBERやGRABを使い移動していました
Air BnBやUBERなどのサービスは初めて彼のスタジオを訪れた2011年には浸透していなかったので、マレーシアでの生活に困ることはありませんでした
 
「マレーシアでのお給料は?」
・始めの3か月はインターン扱いで月収¥1万5千円
・3か月目以降は社員として月4万円~
マレーシアの最低賃金が月収3万円なのでギリギリラインのところです
 
技術職のアシスタントはとても給料が低いですが、安心してください
独立して仕事がもらえるようになると、1日の撮影で軽くマレーシア最低月収を上回ります
アシスタント期間中は、将来への投資だと思って考えたほうがいいです
下積みの間から高額な賃金を払ってくれる環境はほぼないです
 
ただ、マレーシアであれば3万で生活できるだろっていう意見もありそうですが、正直出来ません笑
朝早くからの仕事であれば、朝・昼は支給されるお弁当で済まします
夜はフォトグラファーがスタジオメンバーを引き連れてご飯をご馳走してくれます
 
マレーシアに住んで半年が経つ頃には、ヘアスタイリストの友人に無料で髪を切ってもらったり、作品撮りもスタジオを使わしてもらえるようになり出費が少なくなりました
何より週6勤務の休日に作品撮り。お金を使う時間もありませんでした
 
側から聴くと底辺の生活を送っていたように思えますが、自分の中では充実感でいっぱいでした
毎日新しいことを学び、やりたいことへ集中できる環境は今振り返ってみても、お金には変えられない貴重な経験です
 
この修行期間にどういったことをしていたか?という内容は後ほど別記事で詳しくお話しします
 
「これからアシスタントをされる方・しようか迷っているかたへ」
自分がアシスタントを経験して感じることは、アシスタント期間は決して無駄になりません
過去の自分にも伝えたい事は、「考えてる時間があるなら飛び込んでしまえ!」
合わなければ辞めてしまえばいいだけだから
 
アシスタント期間をなんとなくこなしていると、独立した後に苦労します
学んだことは必ずアシスタント期間中に自分の作品撮りで実践してください
貴重な現場に携われているのですから、ひたすら吸収してください
自分のオリジナリティは後からついてくるものです
始めのうちから自分のオリジナルを追い求めすぎると路頭に迷います。独立前に自分の作品を振り返れば、自分のスタイルはある程度出来ていると思います
アシスタント期間=修行期間=学習期間→いつでも独立できる状態にしておく期間
 
私たちは、’’プロのフォトグラファー を目指すのであってプロのアシスタントを目指しているのではありません’’
なんでもキツイのは嫌だから辞めるというのはお門違いですが、大きなストレスを抱えてまでアシスタントをする必要はないでしょう
 
「アシスタントを終えて感じたこと」
勘違いしてはいけないのは、
アシスタントとして一流の仕事に携わることが出来たとして、それはあなたの師匠の仕事であってあなたの仕事ではありません
誰の下で働いていたとか、それは入り口でしかありません
日本のクライアントはとりわけ、作品よりも経歴を気にする方が多いように思えます
アシスタント経験のない人でも実力さえあれば海外では仕事に困りません。。
と言いたいですが、始めのうちはあなたの写真スキルよりもコネや営業力の方が重要です
 
まとめ
日本に帰国した際に感じた事は、もしあなたが今後日本でキャリアを築きたいのであれば日本でキャリアを積んだ方がいいでしょう
自分のように日本で実績を積まずに東南アジアでキャリアを築いているフォトグラファーとしては現状、日本で仕事を得るのは中々難しいです
自分の活動したい拠点で実績を積みましょう
ご覧いただきありがとうございました m(_ _)m

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