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沖縄の花織の違い、いろいろ。

沖縄の染織のいろいろについて、
おさらいを兼ねて書かせていただきたいと思います。
よくある質問は「首里花織」と「読谷山花織」の違いについてです。
簡単に説明させていただきますね。


首里と読谷山。
どちらも花織の産地として名高いものがあり、
首里花織の人間国宝は宮平初子さん。
読谷山花織は、亡くなった与那嶺貞子さんが人間国宝でした。

狭い島国の中ですから、お互いに影響しあっていますが、
すぐに目に付く違いは、
読谷花織には裏に糸が渡っている、ということです。

しかし、首里の中にも裏に糸が渡る技法もありますし、
読谷山の中でも糸が全部渡らずに切れているものもあります。

画像で比べてみますね。こちらは読谷山花織。

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こちらは、県の重要無形文化財保持者・比嘉恵美子さんの
読谷山花織(沖縄読みで ういたんざはなうい)

現在、読谷山花織の人間国宝はいませんので、
県で重要無形文化財に指定されているのは3名のみです。

いつも言いますけど、丁寧な仕事で織られたものは裏が美しい!!

この読谷山花織の帯は裏糸に全く緩みがなく、
ピシっと揃っていて、見ていて本当に気持ちが良いのです。

基本的には、王朝のあった首里に比べて、南方貿易の中心であった読谷山はより南国的で力強く、濃い地色に色糸で柄を織り出します。

柄は、
銭花(ジンバナ)銭に似せた花模様は裕福になる願いを表しています

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風車(カジマヤ)沖縄の風習にならって長寿を祝う風車の形をしています

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扇花(オージバナ) 末広がりの扇の模様が子孫繁栄を表しています

扇花

の縁起の良い柄3つの組み合わせに、
縞、格子、絣が併用されることもあります。

読谷山村での布の用途は、村芝居の衣装や婚礼衣装であり、素材は木綿でした。

また、女性の肩や髪に掛ける手拭のような小布を手巾(ティサージ)と呼び、女性から男性へのお守りとして渡されもしました。

庶民のものでもあったので、全体的に温かみと親しみやすさがあります。

対する首里花織は、読谷山より変化に富んでいて技法も多く、
中でも 花倉織・ロートン織は王族、貴族にのみ許された
首里だけに伝わる織物です。

裏表で同じ柄を織り出す両面浮織りも首里のもので、
裏に糸が出ないので単衣にも使われます。

首里花織の名古屋帯です。

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縞の部分が経糸だけが浮き織になるロートン織。
部分的に糸の密度を高くしています。

琉球王朝では男性の正装用の織物でした。

裏糸がカットされて見えているのは、
柄の部分のみに色糸を使って織る、手花(てぃはな)と呼ばれる技法です。表からは刺繍のようにも見えますね。

首里花織の中でもう1つ独自のものが、花倉織です。

花倉織2


沖縄読みで「はなくらうい」と呼びます。
沖縄の染織の多くは 戦争で途絶えてしまい 
戦後 多くの努力のに復元されました。
 
琉球王朝時代には 花倉織は
王族と上級士族が仕する時にのみ、とが許される特別な織物でした。
琉球王朝時代の花倉織の裂は
日本民藝館に1点と ベルリン民族博物館に3点残るだけです。
全て藍地のものだそうです。

花倉織は 花織部分の浮織りと 絽の部分のもじり織りの
2つの異なる技法を1つの布の上に織り上げます。
それは 組織としても 技術としても
とても複雑で高度なものです。

その困難ゆえに 王族にのみ許された布としての
洗練された美しさを持つ花倉織。
藍のみならず 沖縄の自然界の色を写し取ることで
さらに 美しく格調高い織物になりました。
この帯は、花倉織の第一人者 伊藤峯子さんの九寸名古屋帯です。
花織と絽などの透かしの入った織りを組み合わせたものですが、
沖縄の織物のうち最も格式の高い織物で、
王家の妃、王女にのみ許された夏の衣装です。

花織と絽織、紗織を市松又は、菱形模様に織り上げたものだけが
花倉織と呼ばれ、
絽が入っていても市松や菱形状になっていないものは花絽織、などとされます。


沖縄に行った時に拝見した花操行。

花操行


花織は経糸の上げ下げが複雑で、
これだけの綜絖を扱うのは熟練だけのもつ技です。
これは18枚というとんでもない数ですが
通常は5~6枚の操行で織られています。
頭がこんがらがりそうですね。

琉球として 本土とは違う文化が花開いた沖縄の織物たち。
コロナで春の沖縄仕入れ出張が行けなくなりましたが
落着いたら必ず 工房見学に行きます。
その時が楽しみです。

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