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はじめに糸ありき。

あちこちの産地や 作家さんの工房へお邪魔していますが
最終的に 手織りの紬というのは
まず、糸ありき、なのだなぁと感じます。
特に ある程度年齢が行ってくると
見た目が どんなに豪華だったり
可愛かったりするものよりも
羽織った時に 材質の良さを感じて心地良いものに
手を出したくなってきました。


絹糸は蚕の繭から取りるわけですが
繭一個は約2グラムと非常に軽いものでして
蚕は1000~1500mの糸を吐き出して繭をつくります。
この糸はセリシンという糊状のタンパク質で互いに接合していますが、
お湯に入れると接合がゆみ、糸をとり出すことが出来ます。
1本では細すぎるので、
複数本を束ねるようにして巻きとって行きます。
この繭から糸をとり出す工程が製糸であり、
時代や産地によりさまざまな方法が考えだされました。

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江戸時代、養蚕農家は
養蚕、製糸、機織りを一貫した作業として行っていました。
明治に入って、輸出産業化する過程で、
農家は繭を出荷し、
製糸工場で繭から糸をつくるという分業が進んだのです。
明治の始めには、官営製糸工場がつくられ、
ヨーロッパの製糸技術が導入され
均質な糸をつくるために製糸工場の機械化が急速に進みました。

江戸時代から製糸の本場だった群馬県では
伝統的な品質にこだわって機械化が遅かったのに比べ
後発の長野県では、生産性の向上と
輸出先のアメリカが求める均質な糸の生産への意欲が高く
機械化が急速に進んで 
昭和初期には日本一の輸出用生糸の生産地となりました。

しかし、その後、化学繊維の発達などにより
量産の衣料品の素材としての生糸に対する需要が減少した上
近年には、呉服用の生糸も中国などからの輸入品が急増し、
国内の養蚕業も絹の製糸業も、急速に衰退してしまいました。

日本は世界一の絹消費国にもかかわらず、
国産生糸はもう1%も流通していません。
さらに 補助金の打ち切りにより
全国の養蚕農家が廃業したり 廃業を決めたりしています。
2010の秋に 神奈川県の養蚕農家は最後の繭を出荷して
2011年春に組合を解散して実質 神奈川県産の繭は無くなりました。

ここまで減ってしまった国産の糸ですが
さらに手引き、手紡ぎとなると本当に希少です。
しかし、心ある養蚕農家の方や 
一部の技術保存の方々などの手によって
国産の繭から 手で紡いだり 手で座繰りした糸も
細々と作られています。
群馬の座繰りは比較的有名ですが
結城紬のための結城界隈の手紡ぎ糸、
長野、愛媛などでも 極僅かながら
座繰りや手引きが行われています。
中国から繭で輸入されたものを
座繰り、手紡ぎしている糸もありますから
単に座繰り、手紡ぎ、と言ってもいろいろあります。

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絹糸を 蚕の命と引き換えとして
大切にしてきた日本の心を失いたくありません。
 
ようやく秋になり、着物を着る機会が増えるこの頃ですが
虫の声を聞きながら
お蚕さんも虫だったなぁ・・・と考えています。

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