第14回芥川作曲賞選考演奏会(2004年)批評

#2004年に執筆したものの再録です。

 故芥川也寸志氏の功績を記念して1990年4月に創設され、その翌年より選考が開始された 芥川作曲賞は、選考会の前年に内外で初演された新進作曲家による管弦楽作品(室内管弦楽作品も含む)を対象とした作曲コンクールである(サントリー音楽財団主催)。本選会は、例年サントリーサマーフェスティバルの最中に行われ、候補曲の公開演奏と、それに続く審査員によるステージ上での議論とにより受賞曲が決定される。こうした公開審査のあり方が、この作曲賞をひときわユニークなものとしていると言えるだろう。審査の過程を逐一公開することは、時に審査員自身の作品以上にその音楽性と見識を露わにするものであるし、審査の内幕がステージ上で逐一披露される機会というのはそうあるものではない。

 今回、この難役をつとめるのは、湯浅譲二、野平一郎、猿谷紀郎の各氏。審査討論の冒頭、野平は「どんな難曲を弾くためにこのステージへ上がるより、芥川作曲賞の審査のためにステージに上がるのは嫌な気持ちがする」とコメントし、会場の笑いを誘ったが、これも冗談というより偽らざる気持ちの吐露であったというのが正直なところだろう。

 14回目となる本年の選考会においては、昨年1年間に初演された69曲の新進日本人作曲家の作品を対象に予備選考が行われ、3曲が本選会へと残された。残ったのは渡辺俊哉《ポリテクスチュア》、三輪眞弘《村松ギヤ・エンジンによるボレロ》、壺井一歩《星投げびと》(演奏順)の3曲。今年で45歳となる三輪(審査員のひとり、猿谷よりも2歳年上である)が新進作曲家として審査の俎上に載っていることについては少々奇異な感覚も受けるが、筆者はこの点について、日本音楽界に蔓延するある種の歪みが顕在化したものとの印象を持った。これについては後ほど詳述することとする。

 さて、受賞者に新作管弦楽曲を1曲委嘱し、発表の場を保証するという点も、この作曲賞の忘れてはならない特色の一つである。才能のある若手作曲家がコンクールを制したとしても、即、方々から委嘱を受ける人気作曲家になれるわけではない。特にオーケストラ曲となれば、若手作曲家が継続的に委嘱を受けるのは極めて難しいのが現実である。だが、現代の日本に、オーケストラ作品を書かせてみるべき優秀な若手作曲家は決して少なくない。こうした現状故に、新進作曲家に管弦楽作品を委嘱し発表の場を設けることは、作曲賞受賞の栄誉を与える以上に意義のあることとなる。そもそも、作曲家とは自作が実際に演奏される経験を積み重ねる中でフィードバックを得、成長していくものなのだ。芥川作曲賞が、現代音楽作曲家の登竜門として、確固たる地位を持つに至った理由は正にここにある。

 本年も、候補曲の公開演奏に先立ち、前々年度(第12回)受賞者である夏田昌和(1968-)への委嘱作品《重力波》が披露された。東京藝術大学にて近藤譲らに学んだ後、パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)にてスペクトル楽派の重鎮:ジェラール・グリゼーに師事した夏田は、師:グリゼーの作風をさらに生動的なものへ発展させた管弦楽曲の作曲を試みているようだ。スペクトル楽派といえば、2年前の芥川作曲賞の本選会においての、審査員:近藤譲の発言が思い起こされよう。近藤は、スペクトル楽派の教えとは、スコアの垂直方向の構造を作り出すための、言い換えれば個性的な音響・音色を紡ぎだすための知見に過ぎず、それを時間発展させていくダイナミズムについては、宿命的にスペクトル的知見の外に見出さざるを得ない、と指摘したのだった。

 垂直方向の構造を作り出す技術については十分な技量を持つ夏田が、新作においていかなるダイナミズムを導入し、スペクトル的な手法と調停し得たのか。なるほどこれは興味深い視点である。この調停の方法論を模索する中で、師:グリゼーとの差別化も自然に図られるであろう。作品は、ステージ上の左右にやや離れて置かれた2台の大太鼓でピアニシモにて開始され、この2台を核にした楽曲の展開を予想させる。大太鼓を核に空間を埋めて行く重心の低い音響は、次第に高音域へとその音響スペクトルを移して行き、作品は新たな局面へと入る。弦楽器のグリッサンドなどを駆使した音響エネルギーの扱いは、グリゼーの諸作よりもクセナキスを思わせるものもあるが、自然倍音を基調とした微分音程の使用も目立ち、紛れもなくスペクトル楽派の衣鉢を継ぐ個性を感じさせる。注目すべきは、旧作より緻密に書き込まれるに至ったステージ上の音源の移動で、スペクトル的な知見とダイナミズムとの調停は、この重力波のイメージとも結びついた「空間を伝播してゆく音色の濃淡の変化」によって実現されていた。曲後半においては、客席2階の左右に配置された2台の大太鼓がさらに加わり、大太鼓からの放射はついに四重極放射を模したものとなる。作曲者自身の筆によるプログラム・ノートに記載されているように、作品は大まかに5つのセクションにわけられているが、音風景の順次変化には旧作にはない説得力があり、そのことが、夏田のこの2年間における著しい進境を物語っていた。

 では、ここからは候補曲についての紹介に移る。最初に紹介された候補曲:渡辺俊哉(1974-)による《ポリテクスチュア》より始めるが、紹介は演奏の順には拘らない。渡辺は東京藝術大学大学院を修了、山口博史と小鍛冶邦隆に作曲を師事し、1999年には武満徹作曲賞(審査員:ルチアーノ・ベリオ)の第3位に入賞した作曲家。近年は若手作曲家集団:クロノイ・プロトイでの活動でも知られている。この《ポリテクスチュア》では、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロが各1人、ソリストとして指揮者の前に一列に並び、会場2階席にもホルン、トロンボーン、トランペット、打楽器などの楽器群が配置されている。指揮者の前のソリストたちは、ソリスティックな技巧を披露するよりも、むしろ2階席の楽器群と同様、音源間の距離にヴァリエーションをもたらし、空間的な多層性を呼び込むことを目的として配置されているようだ。作品の構成素材として、弦楽器によるグリッサンドやトリルが多用され、木管楽器が調性的なアルペッジョを添える箇所などは、前年度の芥川作曲賞受賞曲である山本裕之による《カンティクム・トレムルムII》を想起させないこともない。スコアの細部に至る精緻な書き込みには「分解能の高さ」という意味での耳の良さが感じられ、各楽器の音色をブレンドしてゆく楽器法も趣味の良いものである。ただし(これは審査の席でも指摘されたことであるが)、作り込まれた音響をどこに向かわせるのか、という点において、作曲者に迷いがあるように感じられたのも事実。発音する楽器間の距離をさまざまに対照させるなど、多様な音現象の積み重ねによって「ポリテクスチュア」ルな音世界を確実に実現していたことは高く評価されるべきであるが、それらの構造を最終的にどこかに収束させるのか/あるいは未解決のまま漂わせるのか/etc. という志向については最後まで読み取ることが出来なかった。また、これ程に、新しい素材を自在に使いこなしているのにも拘わらず、全体の響きをテュッティで分節化していくような常套的手法の残滓なども感じられ、こうした残滓が現時点における渡辺の音世界の中で、違和感をもって響いた点も気になった。よく聴こえる耳を持つ者は、聴こえてくるものの多さゆえに、人一倍迷うことが多いものなのかも知れない。だが、こうした迷いの中より、自分の進むべき確固たる道を見つけたときの成果にこそ期待したいものである。

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渡辺俊哉作品集(ALCD-122:2020年)当該曲の収録はなし

 迷宮に迷い込んでいるかの如き渡辺とは対照的に、壺井の志向に迷いはない。この《星投げびと》で探求されているものは、プログラム・ノートにも記されているとおり、オーケストラから常ならぬ響きを引き出す方法論である。壺井一歩(1975-)は東京音楽大学研究生を修了、阿部義人、有馬礼子、池野成、藤原豊らに学び、この作品で2003年度武満徹作曲賞(審査員:ジョージ・ベンジャミン)の第4位に入賞している。さて、この音色における探求はユニークな編成上の実験を実現することになった。ステージからヴィオラは全て取り除かれ、チェロは一本残されるのみである。楽曲は、三和音を鳴らしたりとかなり調性的な響きを持つ金管楽器(審査員である猿谷は、映画『マトリックス』の音楽を想起させる、とコメントした)と、それらと対照される弦楽器パートとの関係性を軸に展開される。常ならぬ音色的志向があるために、三和音を使っていても作品に従来的な香りが染み付くことはない。この前向きでユニークな分かりやすさは積極的に評価されるべきであろう。ただし、2階席最前列中央で審査を行っていた審査員からは、チェロを1本のみ残したための音量のアンバランスさが指摘されることとなった(この点については、会場の1階席、前から4列目で聴いていた筆者からは、さほど気にならなかった。むしろ、テュッティで動くヴァイオリンと1本だけのチェロとの音色的対比を興味深く聴いた)。壺井には、武満徹作曲賞、芥川作曲賞と、2年に亘って自作が演奏された経験をもとに、新たな技術的知見を獲得することを強く期待したい。さて、このような志向をもつ書き手が生まれるに至った理由を、審査員の野平一郎は、クラシック的、現代音楽的、等と響きを分けて聴くような感覚を持たない世代に属するがゆえではないか、とコメントしたが、これに関しては一言だけ苦言を呈しておきたいと思う。このような言説は、壺井よりふた周り近く年上の吉松隆についても語られたはずであるし、今回、賞を競った三輪眞弘もまた、高校時代にロックバンド経験をもち、プログレッシヴ・ロックを押しのけて登場したパンクに絶望することで、現代音楽への志向を決定したことを思い出すべきであろう。情報が飽和している中で育まれてきた世代にとっての世代論は、もはや「情報が飽和した時代に育った」以上の意味はなく、飽和がもたらした膨大な情報、あるいはその中に生まれる情報の偏りの中で、いかなる取捨選択を行ってきたのか、ということこそが重要なはずだ。個性的な個人様式を、世代論へと還元して語ることは難しくなりつつある。

 三輪眞弘(1958-)は上述の高校でのロック体験の後、ドイツに渡り、ベルリン芸術大学やロベルト・シューマン大学にて、ユン・イサンやギュンター・ベッカーに師事。第10回入野賞をはじめ、幾つかのコンクール入賞歴をもち、現在IAMAS(岐阜県立情報科学芸術大学院大学)教授を務める作曲家である。「方法主義」同人としての、極めてシステマティックな方法論を前面に押し出した作品の発表でも知られていよう。この《村松ギヤ・エンジンによるボレロ》でも、楽曲を特徴づけるのは、弦楽器奏者から意図的に音程の誤差を引き出し、これを蓄積してゆくシステム(むしろアルゴリズムと表現した方が座りが良いだろう)である。ここでのアルゴリズムとは、作曲者によって弦楽器奏者へと与えられた2つのストレスに他ならない。その第一は、5~10部程度に分けられた弦楽器パートの譜面を、1オクターブを18分割する三分音のスケールを基本に構成したこと。これによって、奏者が正確な音程で演奏することは積極的に妨げられることになる。半音の音程感覚なら身体に染み付いているプロフェッショナルの弦楽器奏者であっても、日常弾くことがない三分音となるとそうはいかず、各奏者が完全に音程を揃えて演奏することは、もはや望みえない。第二は、弾き始めの音を唯一の例外として、パート譜には音高が明示されておらず、相対表示によって弾くべき音高が指示されること。すなわち、各奏者は、自身が直前に弾いた音との相対的な関係(三分音上がる、三分音下がる、等)のみによって弾くべき音程を指示され、自身の音程を正すための情報を譜面から得ることは出来ない。結果、それぞれの奏者が三分音を弾く際に生まれる「正しい」音程との誤差が、補正の機会のないままに蓄積されて行き、最終的には各奏者が奏でる音程は、各々全く別のものとなる。

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村松ギヤ・エンジンによるボレロ収録CD(FOCD2573:2012年)

 弦楽器の楽句は全てグリッサンドで演奏されるよう指示されているが、このアルゴリズムのために、当初は線同士の交錯に過ぎなかった楽句が、次第に音程の幅を持ったクラスター同士の交錯へと変化し、時間が進むごとにその幅を大きくしていくのである。これは、洗面器に張った水に垂らしたインクが拡がっていくかの如き不可逆過程であり、湯浅譲二が言うところの「楽曲内におけるエントロピーの変化」の具現化に他ならない。作品は、カスタネットとタンバリンで打ち鳴らされるリズムに貫かれ(ゆえにボレロである、が、いわゆるボレロの定型的なリズムが演奏されるわけではない)、曲前半においては、これらのリズムを伴奏に弦楽器に現れるクラスターの成長を聴かせてゆく趣向であるが、しばらくすると、トランペットとホルンが6全音音階を基本とした鄙びたフレーズで切り込んでくる。弦楽器のクラスターとの対照もあり、これにはなかなかに衝撃的な効果があった。その後、トランペットとホルンはこの6全音音階によるフレーズだけを延々と吹き続け、弦楽器の成長するクラスターと徹底的に対照されることとなる。演奏時間28分。金管楽器が奏する6全音音階は、通常の12音平均律と弦楽器パートの基本となる18音平均律との共通音から導出されているようで、これも三輪のシステマティックな思考を裏付けるものと言えよう。

 この作品においては、一風変わったプログラム・ノートにも触れておかねばなるまい。三輪は、自作を北海道東北部の架空の民族であるギヤック族の音楽に取材し、これを西洋的なオーケストラで再構成した作品だと紹介した。北海道北東部に住むギヤック族は、17人の女たちが作る大きな円の内周を、5人の男たちが作る小さな円がギアのようにまわっていく「村松ギヤ(春の祭典)」という祭祀を行い、この祭祀の形式が全曲を通じて演奏される打楽器のリズムに反映されているというのだ。もちろん、これが転倒であることは言うまでもない。作品の成立過程から考えれば、曲生成のアルゴリズムがまず在りきで、それに沿う形でフィクショナルな民間伝承が創作されているというのが正しい。これこそが三輪の提唱する逆シミュレーション音楽の概念に他ならない。弦楽器によるクラスター生成のアルゴリズムからは、ギヤック族の「波動昇降」という音楽概念が創作されている。なお、架空の民俗音楽に関する説明の中に、アルゴリズムに関する解説だけでなくストラヴィンスキーや伊福部昭への目配りも隠し味にしたプログラム・ノートの周到さは、審査会の席上で司会をつとめた沼野雄司によって指摘されていたが、審査員らは、作曲の審査においては音楽こそが重要であると考えたゆえなのか、さして興味を惹かれた様子はなかった。しかしながら、現代音楽受容の現場において、プログラム・ノートが果たす役割については、もう少し考慮される必要があるように思われる。作品を単に音にするだけでなく、いかなる文脈で聴衆へ音をプレゼンテーションするのか。このプレゼンテーションのあり方も作品の一部として捉えるような考え方が、有るようで実は無いのが現代音楽界なのだから。

 さて、これらの3曲の演奏後、審査員による合議があり、三輪眞弘による《村松ギヤ・エンジンによるボレロ》が第14回芥川作曲賞に選ばれた。単純明快なコンセプトをもって息の長い持続を作り上げたこの作品の受賞は妥当なものと言えるだろう。しかしながら、10年近く前に自作作品を集めたCD《赤ずきんちゃん伴奏器》をリリースし、入野賞の審査員や日本電子音楽協会の副会長もつとめる45歳の作曲家が新進作曲家として賞を受けていることに、正直違和感を感じてしまうことも確かだ。三輪のようなキャリアを持つ作曲家が、今に至るまで管弦楽曲を書いていなかったことも驚きである。この点には、近年の日本楽壇において、管弦楽曲を書く作曲家と書かない作曲家との二極化が、かつてなく甚だしいものとなっていることが大きく関係していよう。室内楽等での自作発表会において、どんなに高いレベルの作品を継続して発表していようとも、そうした活動の成り行きとしてオーケストラ曲を書くチャンスが自然に訪れることは無くなってしまった。作曲家を評価するいわゆる楽壇は、オーケストラの演奏会の周りに閉じており、それ以外の場へは目を向けようとはしないのが実状ではないか。三輪のように多彩な活動を長年にわたって続けながらも、自身の管弦楽作品を日本初演するためにコンクールという機会を待たざるを得ない作曲家が現れるのもそれ故である。これを貧しい状態と言わずして何と言おう。重ねて書くが、現代の日本に管弦楽曲を書かせてみるべき優れた才能はまだまだ眠っている。「45歳の新進作曲家」の誕生は、機能不全に陥った楽壇が優れた才能をスポイルしている現実を改めて照射したものでもある。

 かくのごとく、本年の芥川作曲賞はさまざまな問題を浮き彫りにした貴重な機会となったわけであるが、コンクールとしてではなく、4曲の管弦楽曲を並べたコンサートとして鑑賞したとしても、本年は例年になく上質のものだったことを今一度強調しておきたい。委嘱作、出品作のどれもが個性的で、質の高い作品であり、粒が揃っていたことはもちろんであるが、何よりも、小松一彦指揮の新日本フィルハーモニー管弦楽団の素晴らしい演奏があればこその充実だということを忘れてはならないだろう。芥川作曲賞が、新人作曲家の登竜門として確固たる地位を持つに至った背景には、例年、丁寧な演奏で候補曲を演奏する彼らの貢献があることは言うまでも無い。来年以降も、素晴らしい演奏によって新たな才能が発掘されることを期待とともに見守っていきたい。

(2004年8月29日 溜池山王・サントリーホール大ホール)

初出:インターネット批評サイトweb-cri。  

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