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まだお前は子供だから笑

先日ある方と話している時に、自分が子供の頃ずっと二十歳になりたいと思っていた事を思い出した。今はもう大学生になったからだろうか、みんなが自分の話を聞いてくれる。でも裏を返せば、みんなは「自分」の話を聞いているのではなく、「大学生の話」を聞いているのかもしれない。

「自分」は小学生ぐらいから考えていることは大して変わっていない気がする。もちろん中学校、高校、部活、受験、大学の講義、恋愛、サークル、えとせとら。確かに今と小学生の時の自分を比べれば、小学生の時には経験していない事件をいくつか経験したような気もする。でもそれは、小学生の時にあった自我がその諸事件に直面しただけで、今と当時の自我がまるっきり違うものとは思えない。

だから「まだお前は子供だから笑」と親や大人に一笑に付されていた時に、俺とお前の何が違うんだ、どうせ俺だってお前と同じような事件を通るんだ、どうせ通るんだからその事件を通っていない俺とお前に大した差はありはしないんだ。と悔しがっていた記憶がある。

今では、当時の周囲の人間が、ある主張に対してその主張の中身に対して応答せずに、その主張した人の個性に基づいて応答(攻撃)する、人身攻撃とか人格攻撃論法とか言われる典型的な論点のすり替え、クリティカル・シンキングにおける誤謬を犯していたという事がわかる。当時はなんて理不尽な世の中だろうと本気で思っていた。

でも、思えば自分だって同じような判断はどこでもやっているし、自分みたいな普通の人間が平和にぼーっと生きていくためには致し方ないことなのかもしれない。2日後に東京では知事を決める選挙がある、投票しに行こうと思っているが自分もやはり「何を言っているか」ではなく、「誰が言っているか」を軸にして投票してしまうだろう。SNSだってそうだ、このアカウントは有名な人だから、偉そうな学者だから、医者だから、えとせとら。

皆さんは「はてな匿名ダイアリー」というサービスを知っているだろうか?Anonymous Diary、アノニマスダイアリーを略して「増田」なんて呼ばれる事もある。投稿する内容は一応「日記」ということになってるけど、完全匿名のX(旧Twitter)と考えてもらった方が分かりやすいかもしれない。完全匿名というのは、投稿された「日記」にはタイトルと内容、それからいつ投稿されたか、という事しかわからないからだ。その日記が誰が投稿したかを知る術は(管理サーバーを確認でもしない限り)無いから、その日記を投稿した人が他にどんな投稿をしているかも分からない。idすら見える形では付与されない。

投稿されている内容がちょっとしょうもない(たとえばこの文章を書いている2024年7月5日14:45現在で一番上に投稿されていた「日記」のタイトルは「ハニトラにあったという男性の相談を受けた話」 で、内容もくだらない)けど、この形式にはすごく可能性があるように見える。形式には可能性があるから、もっとしょうもなくない投稿が増えて欲しいなとずっと思いながらたまに見ている。

「次世代の教科書」編集部 鈴木

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