「誰でもできる仕事です」という仕事を受発注してはいけない3つの理由

多分動機としては、価格を抑えるためなんでしょうが
「こんなの誰でも(「自分でも」も意味は同じです)できる仕事です」と言って
発注しようとする、(業)者を時々見かけます。
これについては下記理由により、受注すべきではないと考えます。

誰でもできる仕事なら自分でやりましょう。
誰でも出来る仕事を割り振っていいのは
部下の教育の名目で上司が割り振る場合だけです。
発注元は上司ではなく、発注先は部下ではありません。

仕事は「やる」か「できない」かどちらかの状態しかありません。
仕事が「できる」(けど)「やらない」という状態はあり得ません。
理由がどうあれ「やらない」なら「できない」のです。
「やらないけどできる」などという言い訳が通用すると思うのは
受注側であろうが発注側であろうが、仕事をする人間としてプロ失格です。
どうしても「できる」と主張したいなら「即」自社(自分)でやりましょう。
「できない」なら「依頼(お願い)」しましょう。
「僕でもできるんですけど、やってください」はたとえ社内でもNGです。
ましてや受発注が絡むなら絶対禁句です。

仕事の受発注は「社会活動」です。相手には敬意を払いましょう。
「誰(僕)でもできる」というのは
発注先の仕事に不満があった場合に
(僕より)劣るんだから「敬意(またはお金)を払わない」
という口実を用意しているのと同じことです。
発注する以上は「自分ではできない何らかの理由」があるのに
こういう口実を用意してから発注するのは明らかに卑怯です。
「(僕でも)一日でできます」と期限を設定するのも
同じ理由ですべきではありません。

受注側がこういう事言うと、メチャメチャ反感買いそうですが
「仕事の受発注は社会活動である」「社会活動である以上相手に敬意を払うべき」
というのは、社会人として当然の基本だと思います。
受注側がこういう基本を抑えてない場合は、契約を切れば済む話ですが
発注側がこのくらいの基本は抑えておいてくれないと
トラブルになるのは確実です。

「1000円でも払ったら、客の言うことは何でも聞け」という
安っぽい人間とはいくらでも闘いますよ、私は。


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