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消えた義母

最初の結婚は「結婚したい」と意思表示した瞬間からずっとモメ続けた。とかく両家は「結婚のしきたり」への感覚がまるで違う。ざっくばらんにいうとうちは「まあまあ適当に本人たちがやりたいようにやればいいんじゃない?やらなくてもいいんだし」というスタンスで、義実家は「うちの決めごとは一部の隙もなく守ってもらわなければ困る。だってうちはオタクみたいな平民ではなくいいうちだから」というウエメセ。譲る気のない両家に「どうにでもなあれ」と試合放棄のもと夫、そして「愛があるから大丈夫♡なんとかなる」と頭が沸いてる私では、何も解決することがなかったのだ。

たとえば結納である。

うちは、特に父は結納反対派だった。結納は「娘を金で売る」みたいな気持ちになる。事前に会うのは構わないが、どうかその際モノやお金は無しにして欲しい。それだけは頼む。そんな父の意思は私からも伝えたが、親同士の電話会談でも何度もお願いされた。真剣な気持ちは伝わったはずだった。

ところが先方にはまるで通じていない。なぜなら義父母にとって結納とは「これをクリアしないと結婚ステージへ進めない、避けることのできない必須イベント」だったからである。彼らの人生には「結納なしの結婚」という概念はない。父親が「いらない」とか言ってた気がするが聞き間違いだろう。結納なしの結婚なんてありえないもの。結納はするものだ。するのが当たり前だからするのだ。そういう結論になった。

あの地方の結納がどんなにすごいのか、私がどんなに頑張って普通の結納イベントを阻止したかはまた別の機会に書くことにしよう。「結納品は買うな」と息子に説得され承諾したフリをして実はこっそり購入し、うちの実家まで持ってきちゃった話もまた別の機会に書くことにしよう。ともかく義父母はあの夏にやってきた。

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上記の通りこっそり結納品を持参したため、電車ではなく車である。出発は夜中。三重県の山奥から千葉の先端までの長距離ドライブ。しかもうちの実家に午前中について一緒にお昼ご飯を食べたら、その足でまた三重県へトンボ帰りという、前世で悪行ざんまいした人だけが受ける罰ゲームのような「結納イベント」だった。

あくまでおごそかに気張って進めたい婚家と、マイペンライでいきたい我が家の思惑はガタガタと食い違い、胸元から取り出した巻紙にしたためた文字を鍛え上げられた神主ボイスで読み上げようとする義父と、聞いちゃいない父のコントラストは笑えるほどだったが、とりあえずなんとかとりつくろい、愛想笑いで乗り越えたイベントが終了した。私は夫と私を東京のアパートまで送ってくれるという義父母の申し出を受け、一緒に車へと乗り込んだ。今から帰れば私たちは午後、義父母も9時くらいまでには帰れそう。そんなわけで、名残惜しかったがそそくさと実家をあとにした。

車が千葉市に入ったあたりで義母が「トイレに行きたい」と言い出した。今と違って当時はそこら中にコンビニがあるでもなく、イオンなどの大型ショッピングセンターも見当たらない。そこで私は土地勘のある稲毛ならと思いつき「今いるところから稲毛駅まですぐなので、駅に行きましょう。路駐もしやすいし駅ビルにはトイレがたくさんあります」と提案した。ほどなく我々は稲毛駅のロータリー近くに車をとめた。私は目の前にある駅ビルを指差し、あそこに見える入り口から入ってすぐのところにトイレがあると義母に教え、彼女は駅ビルへと向かった。

そして義母は消えた

10分くらいはなんでもない。女のトイレは長いモノだ。そもそも混んでるし、やることもいっぱいある。愛する息子を奪った女の前ではきれいを保ちたい理由もある。化粧直しも気合が入るだろう。

30分もたつと少しは心配だが、これくらいこもっている人なんてザラだ。それに義母がお腹が弱いことは周知の事実である。戻ってきたら「遅い」だのなんだの言わずにサラッと出発するのが、人としてのマナーである。義父も夫もイライラすることなく待っている。

1時間もするとさすがに心配になってきた。車は駅ビルから10メートルと離れていないところにあるし、トイレは入り口を入ってすぐだから迷ったとは考えにくい。まさかトイレで倒れたりしてないだろうか。私は「ちょっとトイレを見てきます」と駅ビルへと向かった。トイレには誰もいない。では買い物でもしてるのかと周囲を探してみたがいない。車へと戻る。

2時間たった。義父も夫も私も交代で何度も周囲を捜索した。駅ビルのトイレは男子トイレに至るまですべて確認したし、ビルだけでなく駅構内にも呼び出しをかけてもらった。反対側の出口に行ったかもしれないと探し歩き、西友やジャスコ、果ては(絶対ないのだが)パチンコ屋でも呼び出ししてもらう。いない。どこにもいない。

3時間たってようやく義父が警察に連絡することを承諾。通報する。パトカー何台もやってくる。警官も大勢やってくる。衣服の特徴など伝え、警察犬が義母の持ち物の匂いをかぐ。小説などにはよく「煙のように消えた」などと表現されるがあれは本当だったのだ。いなくなる時は本当に忽然と消えてしまう。すぐそこにいたのに。

いつの間にか日はとっぷりと暮れ、夜になっていた。依然として義母は見つからず、警察と話し合っていた義父がなんらかの書類を書くことに同意し、いよいよ大ごとになってきた。

そうだ、気づけばお昼に実家でご飯を食べてから、みんな何も口にしていない。「とりあえず飲み物だけでも買ってくるわ」そう言って私たちは車からでた。すると

そこに義母が立っていた

わーーーーー! 全員が叫んでいたと思う。お前、いったい、どういう、どこで、なんで、何を、今まで、どこに!

5時間だ。5時間たっていた。その間義母はずっと我々の捜査網をすり抜けていたのだ。とんだルパンだ。本当はどこにいたのだ。何をしていたのだ。義父と夫の叱責に意外そうな顔で義母はシャラっと答えた。

「どこにも行ってない。トイレに行って帰ってきただけ」

いやいやそんなはずはない。駅ビルは隅から隅まで余すとこなく探したはずだ。女子トイレだけでなく男子トイレも見た。駅構内のトイレにすら捜査の手は及んだ。近隣の建物という建物はすべて見回った。そしてこの警官の数を見てみろ、これだけの警察官がさらに付近をローラー作戦で探しまくったのだ。トイレにいたのなら見つからないわけないだろう。

「トイレにしか行ってない!すぐ帰ってきた!」

何度詰め寄っても、義母は同じことしか言わない。警察の人が出てきても同じことしか言わない。何度も何度もコール&レスポンスが繰り返され「ではもう奥さんも帰ってきたことだし...捜索願は取り下げということでいいですか」となり、私たちはひたすら頭を下げ警察は帰った。東京のアパートに着いたのはもう真夜中だった。そして驚くことに義父はそこから運転して三重県まで帰ったのである。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。