出来上がり

イケアの炊き込みごはん

「こういう料理、好きなんだよなあ」

それはハタチの男子が好むには、あまりに地味すぎるものだった。そして脂っこい料理ばかりを好んでいた私には、見たことも食べたこともないものだった。繁華街の雑居ビルの地下にある、とりたててどうという特徴もない居酒屋で、「こういう料理」が気に入っているからよく来るんだと、彼は言った。私はつきあいだしたばかりの彼にいいとこを見せようと「じゃあ今度作ってあげるよ」と、さも自らのレパートリーにあるかのようにふるまった。菜っ葉と油揚げだけの色気のない料理...それが私と煮びたしとの、最初の出会いだった。

みなさんは煮びたしはお好きだろうか。

地味すぎて、あまり本などには載っていないかもしれない。一度ゆでた野菜にだしをかけるおひたしとは違い、煮びたしはだしに直接食材を入れて一緒に煮てしまう。煮物のようにじっくりコトコト煮るのではなく、サッと短時間煮るだけなのが特徴だ。いろいろな材料で作られるが、小松菜のように短時間で仕上げた方が美味しい野菜が向いている。例えば大根を大ぶりにカットしてコトコト煮たらそれは「煮物」だが、細く千切りにしてサッとダシで煮たら「煮びたし」を名乗ってもいい。そんな感覚だ。

出会いは「ふうん、こんなのが好きなのか」とあまり興味をそそられなかったが、今の私はやたらめったら煮びたしを作る。まず味が好き。そして野菜取れる、カロリー低い、手順が簡単、菜っ葉がシナっとなったらとりあえず食べられる、のイイコトづくめ。油揚げは常備しているし、菜っ葉の類いもたいてい冷蔵庫にある。毎日疲れててライフがゼロ、気力もゼロの私には、な〜んも考えずにザクザク切って鍋に放り込むだけで完成する煮びたしは、実にありがたい存在だ。

あの日、出会ってなかったら私の煮びたしデビューはもっと遅かっただろう。いや、下手したらデビューすらしていない人生だったかもしれない。煮びたしだけの話ではない。すべての料理は、出会いでできていると言っていい。

誰かに教えてもらったり、どこかで食べたり、何かで読んだりの繰り返しが自分の中にしんしんとつもり、レパートリーを増やす。また試作に試作を重ね、これが最適解と決めた今のレシピも、永遠に最適解とは限らない。また別の出会いがあれば、するするとレシピは変わっていく。

先日のワークショップでみんなに食べてもらった「明太子のムチム」もそうだ。最初に友人に教えてもらい、次に料理本で読み、また別の人が作ったものからアレンジを思いついたレシピである。最初の友人が今の私のムチムを食べたら「あれ?私が教えたものとずいぶん違うな」と思うだろう。でも将来はわからない。またあの激辛シンプルに戻るかもしれないし、さらにすごくアレンジしちゃうかもしれない。

うちのポテトサラダもそうだ。オーソドックスなポテサラから始まり、当時大好きだった店の味をまんま真似した時代を経て、やたら具沢山にしてみたり、逆にキュウリすら入れないブームを乗り越え、今はニンニクとマスタードをハッキリきかせたシンプルタイプをよく作っている。そんな風にレシピが変化していくのが、私はすごく好きだ。

出会いは人だけでなく、モノにもある。初めてセイロを手に入れたときは嬉しくて、とにかくやたらめったら蒸しまくった。肉も魚も野菜もコメも、蒸し器に入るものはなんでも一度は蒸してみたと思う。あのころ考案しよく作っていた「豚肉ともやしの蒸し物」は、同じものが今セブンイレブンで売られているため、店頭で見かけるたびに出世した孫を見るような気持ちになる。孫いないけど。

ああ、スモーカーとの出会いもあった。初めてスモーカーを手に入れたときも嬉しくて、とにかくやたらめったら煙をかけまくっていた。肉も魚も野菜も卵もチーズもコメも、手に入るものはなんでも一度は燻製してみたと思う。スパゲティをスモークしたことさえある。あれはまずかったな。


ではここで、私が最近出会ったモノからインスパイアされた炊き込みごはんのレシピを紹介しよう。

「モノ」は、イケアのしゃもじである。

エーゲンドムリグ、179円。イケアで見かけたことのある人も多かろう。うちはずっと炊飯器に付属するしゃもじを使っていたが、何の気なしにイケアに変えてから、このしゃもじの大いなる利点に気づいた。それは

とっても薄い

ということだ。薄いから、ちょっとしたものならこれでカットすることができる。そう、キノコはもちろん、肉なんかも、ごはんの上でカットできてしまう。つまり「疲れてるし、めんどくさいし、もうなんもやる気がしないんだけど、どうしても炊き込みごはんが食べたい!」という気持ちの夜に、包丁とまな板を使うことなく炊き込みごはんが食べられるのだ。

何はともあれ見て欲しい。炊飯器にコメをセットする。

そこへ鳥もも肉を1枚、どんと入れる。

舞茸を1パック、どんと入れる。

コメ1合に対し大さじ1の醤油を入れる。スイッチを入れる。以上だ。ここで風呂に入るのが、炊き上がるまでの時間をムダにしない私の冴えたやり方である。

炊きあがったら、勇気を持ってしゃもじを突き刺してほしい。具を縦横無尽に切り刻み、底からよく混ぜたら出来上がり。豚バラでもいける。ひき肉ならなんの問題もない。醤油を計るのが面倒なら「コメ1合に対し醤油1周」のアバウトでもいい。大丈夫、お米とじろまるを信じて欲しい。ちゃんと美味しいから。

私はイケアで見つけたが、どうやら今どきのしゃもじは薄いのが流行りなんだそうだ。みなさんも薄いしゃもじを入手したら、一度お試しあれ。3合くらいが1番切り刻みやすい量だと思う。

  ◇

冒頭の彼はよく、実家近くの町中華の味について話してくれた。そのラーメンが独特で美味しいこと。あれと同じ味が東京では見つからないこと。その魅力をなんとかして私に伝えたいが、どうにもうまく言えないこと。まだ若い私らには語彙がない。経験値もない。「〇〇みたいな味」とか「あの調味料」とかの説明が、どうしてもうまくできない。いつか実際に食べに行かなくちゃな、口で言ってるだけじゃわからないよな、などと言っているうちに、ケンカして別れてしまった。

それから10年たち、私は浜松へよく出張するウーマンになっていた。お客さんといくつも派手な宴会をこなし、ドーマン蟹を口にした回数も二桁を超え、浜松グルメはひと通り制覇した気になっていた。そんなある日。時間がなくて駅近の店へと適当に飛び込んだ私は、見た目はとりたててどうという特徴もない塩ラーメンを食べようとして、軽く「あっ」と声を出した。

これだ。彼が言ってたのは、これのことだ。

ふわっと鼻をくすぐる、独特の香り。ありそうでなさそうなその味。単なる塩ラーメンを印象的にしていたものの正体は「鶏油(チーユ)」だった。なるほど、これはハタチでは説明できまい。あの頃の私たちのテリトリーには、鶏油はなかっただろう。たぶん鶏油の存在自体も知らなかったと思う。

その足でデパ地下へ行き、鶏油を買った。それから私はしばらくの間、やたらめったら何にでも鶏油をかけてみるウーマンになっていた。料理は出会いでできている。そんなことの繰り返しで生きている。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。