新養生訓三兄弟

『新・養生訓 健康本のテイスティング』出版記念・露払い(その三)

こんにちは。

いち編集部のリアルです

いよいよ配本されました。

これまで2回にわたり『新・養生訓 健康本のテイスティング』出版記念・露払いnoteを掲載してきましが、今回で最終回。まず、ここで朗報です。

本書が、紀伊國屋書店新宿本店1階に一週間ほど、面陳されることになりました!

おいおい「めんちん」って、何だよ? とどこかでそんな声が聞こえてきましたが、図示すると、こんな感じです。

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出典:https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/galaxyyogo03

ふつう本は、書店の本棚に「背差し」されますが、それではあまりに目立たない。そこで新刊や注目本などをアピールする場合は「面珍」、ある程度売れ筋のタイトル(新刊紹介時も展示いただく場合が多いですが)は「平積み」されます。出版社的には,刊行時に,面陳もしくは平積みされるか否かでアピール度がまるで違いますので、営業スタッフが大型書店等に出向いてお願いするわけです。逆に刊行後すぐ「背差し」になってしまったら,デビュー早々下火路線の本(「これは、売れない」)というレッテルを貼られてしまうので、刊行後1~2か月は、とってもスリリングな絵模様が書店の売り場で展開されるわけなんですねぇ。

ま、なんだか釣り堀の常連の釣り師の…みたいな視点ですが,紀伊國屋書店新宿本店といえば、都内でももっとも人の賑わいが激しい注目のお店、アンテナショップ的な大型書店、それこそ本のトレンドを左右する売上のベンチマーク、座標軸、試金石、う~ん、つまり、あんたが大将! ですからメルクマーク的な店舗として、あの店の1階店頭に本がディスプレイされるだけでも「すごい」お話なのです。まして面陳となれば、本のプロの目利きの書店員が、

「やべぇな、この本、なんか、売れそうじゃねぇ~」

と眼力はんぱなく利かして、出版社の営業スタッフを前に

「いっすよ。一週間くらいおいてみましょうかね、20冊。でも売れなかったらすぐ5階のフロアに移しちゃいますからね」

てな感じで言ってくれるわけですよ。もううれしいじゃないですか。こちらにしてみれば、書店スタッフさんの肩のあたりに後光がさして見えるし、「いっすよ」の言霊に胸は小躍り、まさにその眼力と願力におすがり申し上げたい次第となります。

ましてや、あのお店の店頭の面陳される本といえば、堀江貴文さんとか、落合陽一さんとか、村上春樹さんとか、ですね、それこそ万部を重ねる著者筋の本ばかりですからねぇ、私どものような総合学術出版社の専門書など、まず並ばないわけです。それがですよ、

『新・養生訓 健康本のテイスティング』、紀伊國屋書店新宿本店1Fで
カンバンをはれるわけですから、すごいじゃないですか。

本当、イワケン先生と岩永さんの「岩」を貫きとおす神通力と申しますか、弊社の営業職が興奮するのも無理ありません。

で、先日、その旨をお二方に報告したら、岩永さんから「『めんちん』て、何ですか?」ときたので、上記の説明を申し上げたわけです(え~と、使いまわしの説明…)。そしたら、「それなら、私も、見に行きます」と仰ってくれて、やっぱりジャーナリストの方はフットワークいいですよね。もちろん、いち編集部のリアルも、紀伊國屋書店新宿本店の1Fに足を運んでみたいとは思っています(棚の展開は書店側の事情により、逐次変更となることがあります。いちエピソードとしてお受け取りください)。

と、毎度冒頭の脱線が定番になりつつありますが、第2回の記事の続きで、

「やっぱり(岩永さんが)本書の企画をお受けされたのは高名な感染症医の岩田先生にお会いしたく…というのが動機のようです。タンタンはきっと…ご愛敬なのでしょう。」

このことを裏づけるご本人のお言葉として、本書の「あとがき」をここに紹介させていただきます。岩永さん、あとがき紹介を了承いただき、ありがとうございました。

あとがき
新聞社とインターネットメディアで長年、 医療を取材してきたのですが、じつを言うと普段はあまり「健康本」を読んでいません。たいてい、タイトルや著者名で読む価値があるか判断しますし、取材に必要な資料は書店の健康本コーナーに並ばないような本ばかり。たまに怪しい医療情報を一般読者にばらまく「困ったメディア」として批判する時に取り上げるだけで、むしろ敬遠していました。
今回、「健康本をテイスティングする」という対談話をいただいた時に、普段の仕事のように、医学的な事実関係を検証するファクトチェックのつもりでお受けしたのです(岩田先生と一度お話ししてみたかったこともあります)。
ところが、「課題図書」の一冊目は、かつての私の部下が著者で原稿も私がチェックしてこの世に出した本。岩田先生からビシバシと指摘を受けるうちに、じつはこれは自分の医療情報を読み解き、扱う力が試されているスリリングな対談なのだと初っ端から気づきました。自分がどんな基準で情報を判断し、その表現を選んでいるのか、ある情報や文章を正しい、おかしいと考えるのはなぜなのか。自分の思考過程を厳しく点検するような時間でした。
対談というよりは、ほとんど岩田先生の独演会でしたが、先生は対象本の中の気になる記述をきっかけに、データの吟味の仕方、読者に対して誠実な発信の仕方から、医師と患者のコミュニケーションの問題、医師の働き方、マスコミの報道批判までぐんぐん脱線していきました。それでも、この脱線こそに、医療との向き合い方のヒントがたくさん詰め込まれていると感じたので、流れに任せる形で広がっていく議論を楽しみました。
ところで、文学部出身の医療記者として常々思っているのは、
医療は医学や科学だけの問題ではない
ということです。本書でも議論になりましたが、HPVワクチンへのためらいや、根拠のない食事療法、患者の藁にもすがる思いにつけ込むニセ医学は、医療者とのコミュニケーションのこじれやメディアの誤った発信が導いていることも多いのです。ところが、SNSなどの議論では、そういうものに惹かれる人を、科学的根拠を重視する医療者がエビデンスで殴りつけ、かえって分断を深めていく光景をよく見かけます。
今回嬉しかったのは、科学的根拠を重視する論者として有名な岩田先生が、科学でできることと、それ以外でやるべきことは切り分けることを厳しく注意しながらも、哲学者らの言葉をたびたび引用しながら、患者の価値観を尊重する診療のためのさまざまな工夫を語ってくださったことです。
EBM(Evidence Based Medicine:科学的根拠に基づく医療)という概念は昨今、科学的根拠に絶対の価値を置く医療であるかのように誤用されがちです。岩田先生から、
「EBMの本質は『個々の患者』、すなわち『目の前の患者』なんです」
と聞け、その時点で最良のエビデンスと、個々の患者の価値観をすり合わせた意思決定という本来の定義や実践方法を改めて学べたのはありがたいことでした。ただ、本来のEBMに基づいて自分にとって最善の医療を受けるために、患者もまたエビデンスを理解したうえで、目の前の医師の専門性をうまく引き出し、自身の価値観や意思を伝えながら意思決定をしていく主体的な参加が必要となるでしょう。
そのために本当は役に立つはずなのが、医療をわかりやすく伝える「健康本」やメディアの医療発信です。この本は、健康本の批評という形を取りながら、より良い医療を実現するために、一般読者だけでなく、メディア、医療者にも読んで考えてもらいたい内容になったと思います。
最後になりますが、今回、この本を担当してくださり、岩田先生のような強力な論者の相手として、私に声をかけてくださった丸善出版の編集者、程田さんに心から感謝申し上げます。程田さんの適切な突っ込みや構成がなかったら、この本は成り立ちませんでした。
胸を借りるような気持ちで対談した岩田先生には、学んだことを自身の情報発信に活かす形でお礼に変えさせていただきます。対談後、早速、HIV陽性者の就職を差別した医療機関を批判する記事にコメントを寄せていただきました。それに加え、神戸大学の教授室の乱雑ぶりに親しみを感じて撮った記念写真を「『机まわりがカオスな人は仕事できる仮説』を検証 きっとあなたも今日から散らかしたくなる…」という記事に使ってしまいました。高い専門性とユーモアを解する心を兼ね備える先生とご縁ができて嬉しく思っています。
2019年10月吉日 岩永直子


では、イワケン先生のお言葉も紹介させていただきます。岩田先生、まえがき紹介を了承いただき、ありがとうございました。

まえがき 
書店に行くと健康コーナーにはさまざまな「健康本」が並んでいる。
 これが泣かせる。最近特に多いのは、 
なんとかで死にたくなければ、〇〇だけしなさい(あるいは、するな)。
的な本だ。「ふくらはぎをもめ」「アゴを押せ」「脈だけ見てろ」「血管を鍛えろ」「抵抗するな」「背伸びしろ」「なんとか筋を鍛えろ」「家の掃除の仕方を変えろ」「運動しろ」「運動するな」「小麦粉をやめろ」「パンをやめろ」「牛乳をやめろ」「肉を食え」「肉は食うな」「お尻をしめろ」「脂肪を取れ」「歯を磨け」「朝食を抜け」「朝食は食べろ」「腸にいいことだけをやれ(?)」…。 みんなよく思いつくよね。
端的に言って、こういう「なんとかしろ」「なんとかはするな」的な健康本は全部デタラメだと考えていただいて構わない。本書で説明するように、健康はシングルイシューでなんとかなるものではないからだ。ああいう本を読むのは時間の無駄だ。
 「健康になりたければ、〇〇しなさい、という本を止めなさい」 
という本が書けそうだ。
では、世にある健康本は全く役に立たないのか。あるいは、もし役に立つ本があるとすれば、それはどういう本なのか。役に立つ本と、立たない本はどこが違うのか。どうやったら、両者を(医学の専門知識なしで)峻別できるのか。 この命題に取り組んだのが本書である。丸善出版の程田さんに相談して、企画は成立した。 こういう議論は「対話」が役に立つので、誰か相手が必要だ。それなら岩永直子さんがよいのではないか。面識こそないが、その執筆記事を愛読していた僕はそう提案した。幸い、二つ返事で快諾いただいた。  
結論から申し上げると、上記の命題は本書を読むことでかなりの見通しが開けるのではないかと思う。もう、読者のみなさんが「ガセ」を掴まされる可能性はそう高くはないだろう。そして、「健康本」を自分自身でクリティーク(批評)することもある程度は可能になるはずだ。うん、本当によい本だと思います。ぜひ、ご活用ください。 
末筆になりましたが、対談の相手をしていただき、いろいろと引き出していただいた岩永さんに感謝申し上げます。僕はジャーナリストではないので、その業界のお話もたくさん聞かせていただき、とても勉強になりました。そして、われわれの超高速マシンガントークをまとめ、文体を整え、適切な脚注と、あとでこちらが提示した引用文献の整理にご尽力いただいた程田さんにも感謝申し上げます。
最後に、学びの機会を与えていただいた、本書で紹介した健康本の著者の皆様たちに心から御礼を申し上げます。いろいろムカつくこともあるかもしれませんが、まあ、そこはご容赦ください。異論反論は謹んで拝聴いたします。                      
2019年10月吉日 岩田健太郎


どうですか、お二方のお言葉を読んで、ますます読んでみたくなってしまわれたのではないですか。

コトバは人そのものを包括する表徴ですから、コメントの中で「どのようなコトバを選ばれ」「何を伝えたいのか」、著者の姿勢や本書への想いが込められていて、もうお二方のコトバの選択を追うだけで大事なレターだなぁと思うのです。つまり、1つひとつのコトバを紡ぐ作業、厳密にコトバを選ぶ作業、イワケン先生も岩永さんも「まえがき」「あとがき」を執筆する際、それをやってくれているのですね。だからこそ、そこにメッセージ性が生まれます。ですから今回は(いち編集部のリアルの駄文は極力控えめ)もう余計なことは申しますまいと、以前から決めておりました。


さて、なんと今回本書でクリティークさせていただいた健康本11冊の著者の方にも、編集部より献本させていただく予定です。どのようなご反響となるのかちょっとどきどきですが、本書の中で、書名入りで紹介させていただいた以上、それが筋と思いますし、イワケン先生からも

「まず、本書で紹介している本の著者の方にはお送りくださいませ。褒めてても、批判してても」

(やっぱり肝の据わったお方です)と言ってくださいましたし、科学的批評のメソッドやマナーのようなもの(イワケン先生のお言葉を借りれば、「ヒト」でなく「コト」を批評する)を体現した対談書としてお目通しいただけるとうれしく思います。

それと、いち編集部のリアルも含めて、広くエディタの方にも読んでいただけたらなぁと思います。特にひと様の健康や命にかかわる情報を発信するときは、本づくりにおいても襟をたださなければならないところがあると思うのです(自戒を込めて)。そこ踏まえたうえで出版活動を通じ、大いにビジネスを展開しようじゃありませんか。

最後に岩田先生、岩永さん、そして本書に携わり多くのサポートやプロのお仕事を提供してくれた関係者の皆様に心より深謝申し上げます。深川優さんのイラスト、佐野裕子さんの装丁も最高でした。そしていち編集部のリアルの2人のスタッフさんもありがとう。

そして、多くの皆様に、本書が届きますように。

そうそう、ここだけの話ですが、好評ならば,新・養生訓 健康本のテイスティング』第2弾もやっちゃおうかなと考えております(まだ勝手な思案ですが…)。

イワケン先生,岩永さん,いかがでしょう.
また、やりません…?

ご清聴(読)ありがとうございました。

2019.10.31


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