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金と時間は足りる事はない

こんにちわ!KIYOtakaです。

まぁ、何があったわけでもないのですが今朝ふと思った事を書きます。

金がない!

僕は暫く「金がないっていう人ほど持ってるもんだ」と自論を言っていましたが少し違うのではないかと思いました。

金がないって何が比較対象なのでしょうか?で、おそらく日本人の言う金がないは漠然と金がないと言っているんだと思います。

海外に目を向けてください、今も飢餓状態にある地域はあります。本当に金がないってのはそう言う地域の事だと思いませんか?そう言う地域が求めるのは「マイナスからゼロ」です。しかし、日本人の金がないは「プラスからもっとプラス」です。もしくは、「もっとプラスからもっともっとプラス」かも...

そう、今以上を求めると言う事は常に不足が付き纏うわけです。問題はその不足分を「足りないと吐き捨てる」か「足りないから補填する方法を探す」の違いです。

もっと簡単に言うと、目的が達成できない場合「言い訳をして諦める」か「諦めず創意工夫を繰り返す」かです。

「金がない」なんてただの言い訳だと僕は思います。

KIYOtakaは金に無頓着なわけではない

少し僕の話をしましょう。20代前半の頃にとあるネットワークビジネスに誘われて大きめの借金を背負うことになりました。

ここで誤解して欲しくないのは、「借金の原因」です。ネットワークビジネスが直接的な原因ではないと言う事です。詳細は省略しますが、ネットワークビジネスって悪い印象の人が多いと思いますが、それ自体は悪いものではないんですよ。まぁ、僕はそれには向いてないと知りましたし、それを必要ともしていないので今後誘いが来ても乗り気はないのですが。

で、借金の原因はというと、「自分の甘さ」でした。当時やりたい事はあるけどお金がないっていう状態だったので、これで稼げば目標までの近道になると考えたわけで気持ちが緩んだのか、ゲームや漫画を始め趣味にお金を使ってしまったんですね。今思えば過去の自分がどれだけ阿呆だったか(´・ω・`)

10年ほどかけて借金は返済し、余裕が出てきた所ですがお金に関するところは妻に任せるつもりです。

普段からギャンブルはしないし、お酒もほぼ飲まない(強い方ですが)、一人の休日は家でゲーム、間食もほぼしないと出費はかなり少ない方だと思います。

妻の僕に対するイメージもそうでしたが、借金した人は金遣いが荒いと思う人もいますが、借金したからこそ極力使わない日常を作り出す人もいるわけです。

僕は、無頓着ではないですが、固執もしていません。だから今は「金がない」とは一切言いません。

お金の価値とは

そして、この10年ほどで思ったのは「お金自体に価値はない」です。変な話、1円って1円以上の価値があるます。ただし原材料から見た価値です。使う人から見ると1円は1円ですから。

このように、見ようによって価値は変わります。もちろん、人によっても

いや、でもそもそもお金の価値ってなんなの?

お店で何かを買う時、その値段が一つの価値になると思うのですが、例えばスマートフォンが条件を満たせば本体0円ってスマホの価値がないと言っているようなものです。通信料が月1500円の格安SIM1日50円って事は缶コーヒーより価値がないなんて事もないでしょう...

要するにそのモノの価格=価値が成立しない以上、お金の価値を図るモノはないのです。

僕は、お金自体に価値はなくお金はあくまで価値のあるモノに変換する為の道具であると思います。

であれば、お金を貯めるというより自分の為に使う事が自身への投資という意味で有意義だと思います。

漠然とした「お金がない感」はただの思い込みだと考えた方がいいでしょう。

時間がない!時間が足りない!

さて、まずは時間とお金の関係ですが分かりやすいのは時間を使ってお金を稼ぐ事です。時給制とかがそれですね。ただし、逆パターンは限界があります。

仮に権利収入があって何もしなくても大量のお金が舞い込む状況だったとしても、1日の時間は24時間で、そのうち睡眠時間や食事の時間など省けない時間があるので1日のフリー時間なんてたかが知れてます。それはどれだけお金を使おうが1日24時間という自然のルールがある以上抗えませんし、人間の命は有限なのでお金で時間を買う事は不可能です。

となると、万人に共通して「時間がない」が当てはまります。なので、「時間がない!」って言ってる人は自分だけと思ってるかも知れませんが、ただの幻想です。

携帯の契約の時に時々言われるのが「時間がないから早くしてくれ」なんですが、時間がないのが自分だけだと思っている以上はいつになっても成長しません。

携帯の契約だけじゃなく、病院の待合とか銀行とか待ち時間なんて多々ありますし

結局、時間がないのはタイムキープ出来なかった自己責任であり、もっというと誰しも有限の中に生きているので時間がない時点で平等。

その限られた時間のなかで、自分に変えられない他者を責める時間をなくし、自分自身で高められる自己研鑽の時間を増やすのが理想だと思います。

他人が何をやっているかではなく、自分が何をやるかがキーポイントという事です。

まとめ

お金と時間に囚われた生活ってマイナスで退屈で面白くないと思うんですよ。

お金の捉え方と時間の使い方を変えると人はきっと今と違った世界が見れると思うんです。それこれアドラーのいう「人はいつでも幸せになれる」んです。

でも大半の人は幸せになりたくないんです。いつでも被害者側に回る事で同情を集めたいんです。意味のない傷の舐め合いをしたいんです。無意識のうちに...

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