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「不完全さ」を許容する社会へ

「不完全さ」が、今、求められている。

人にも、モノにも、サービスにも、私たちはいつも完全さを求めていたし追求してきた。

その結果、お互いへの不寛容、自分への攻撃、自信の喪失につながっている。

心理的安全性がチームのパフォーマンスを高めるという有名なgoogleの研究結果からも分かるように、私たちの持つポテンシャルを最大化するためには、ありのままの自分でいられるかどうかが大きい。

「あるべき」に囚われた状態から「ありたい」を大事にする生き方へ。個人の中で起きる大きなパラダイムシフト。

組織の目標や役割に縛られた「must」を手放し、組織の器を通じて「will」を社会に提供するという、生態系としての組織レベルのパラダイムシフト。

そんなことが私自身が惹かれること、やりたいこと、やってきたことなのかと思うと、改めてスッキリする気がする。

これを実際にやっていく現場はそんなにきれいなものではなくて、葛藤や衝突の連続で、モヤモヤした場であることが多い。でも、その過程自体がとても意味のある、味わい深いものだと思う。

そして、これらを実現する上でとても大事なことは「不完全さ」を許容できるかどうかだと思う。自分自身もそうだし、場においても。そこにはお互いへの思いやりや、愛みたいなものが存在する。今思うと、私が好きな「失敗おめでとう」という言葉は、使う人やその場に、愛や優しさがあるか?と問いかけてくれる。

いま、私たちの生きる近代社会自体が大きな転換期にあるのを感じられるのは、こういった考え方の転換を信じて動きだしている人があちこちにいるから。苦しんでいたり可能性を感じたりしていたのは自分だけじゃないし、自分の周りだけではなかった。

アウトドア、北欧、バックパッカー、モンテッソーリなどのオルタナティブな教育、マインドフルネス、ヨガ、有機野菜、地方移住、DIY、サウナ、フェス…どれも「あり方」を大事にしているもの。自然や偶然、ありのままを受け入れているもの。理性的にというよりは、感覚的にこれらに惹かれる人が多いのは、それだけ工業化された社会で私たち人間が抑圧されたり何かを犠牲にして生きているからに他ならない。

そんな葛藤と無理を抱えた社会は、自然に、より望ましい形に変容していくことになる。そんな大きな転換点に生きられる喜びと、未来と今を生きる子どもたちのためにも自分のできることをやっていきたいという気持ちがある。

改めて、「不完全さ」が、今、求められている。私たち人間は、「不完全だから」。

以上、今日の学びでした。

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