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冬の日本海、幻が実在する街「ホテル二本足のユニコーン」

冬の日本海を左手に見ながら僕は一人歩いた。空は曇り、波は高く、冷たい風が吹いていた。忘れ去られた国旗を掲揚するポールがカンカンと寂しい音を響かせていた。ポールに巻かれたロープが風で揺れ、ポールに当たりカンカンと鳴るのだ。辺りには誰もいなかった。道路だけれど自動車も走らない。十分すぎる間隔を空けて家がいくつか建っているけれど人が住んでいるのか判断するのは難しかった。鳥すら飛んでいない。僕だけがその景色の中にいた。

とても現実を感じる場所だった。同時に幻のような場所とも言えた。ある日、この日のことを思い出す。日本海を見ながら一人で歩いたよな、と。あれはどこだっただろうと思い出そうとする。きっと思い出せない。日本海を左手に見ながら歩いて、ポールがカンカンと寂しい音を響かせ、鳥も飛んでいない。その瞬間はまるで映画のワンシーンのように思い出せる。でも、あれはどこだったんだろう、と考えると風邪を引いて熱が出て頭がボーッとした時のように思い出せないのだ。やがて幻だったのかと思ってしまう。そのような街や記憶があるのだ。

この街に僕が来たのはその幻を見るためだった。幻が現実として存在する街なのだ。誰もがすっかり忘れていると思う。理由は誰もラブホテルのことなんて調べないし、多くのガイドブックにはラブホテルのことは書かれていないからだ。でも、幻が実在している。多くの人がその存在を、幻とか、想像上の、と言うけれど、この街に唯一あるラブホテルに現実として存在しているのだ。

それは「ユニコーン」だ。

ユニコーンは誰もが知っている。四本足で馬のような見た目だけれど、額に一本の美しいツノがあり、天に向かい真っ直ぐに伸びている。誰もその存在を見たことはない。我々が生を営むこの世界は十分に広いけれど、どんなに探してもユニコーンはいないのだ。なぜなら、幻の、あるいは想像上の生き物だからだ。

旧約聖書を見るとユニコーンは登場している。しかし、新約聖書になるとその存在は消えている。誰もが知っている誰もが知らない生き物が「ユニコーン」なのだ。矛盾していることを書いているけれど、そういうことになる。

しばらく歩くと「ホテル二本足のユニコーン」が見えた。体は芯から冷えていた。建物の外観はあまりに古く、またこの辺では木で作られた小屋のようなものが多いから、逆に目立たないのだけれど、木で作られた船のような形をしている。漁船ではない。ノアの方舟のような形だ。都心にあれば間違いなく目を引く建物ではあるが、この景色の中では馴染んでいるように思える。

そのノアの箱舟のような建物の四方は目線程度の高さの白い壁で囲われている。ラブホテルは入るのを見られたくない人もいるだろうから、その問題をクリアするためになんとなく作られたような壁だ。その壁に今では色褪せ一部はペンキが剥げてしまっているけれど、「ホテル二本足のユニコーン」と書かれているのがわかる。その隣には控えめに休憩2990円、宿泊5990円、フリータイム3990円とパネルが貼ってある。こちらも随分と色褪せている。

中に入ると外観からの期待は裏切られ、どこにでもあるラブホテルのような感じだ。三階建てで一階にフロントがある。フロントの横にパネルがあり、各階に七つの部屋があることがわかる。それぞれの部屋に動物の名前がついている。「キリン」「サル」「シマウマ」「イノシシ」「シカ」など。日本でも普通に見ることができる動物もいれば、アフリカに行かなければ見ることができない動物の名前もある。クジラやゾウは見当たらなかった。僕は「キリン」のボタンを押して、三階のその部屋に向かった。

階段を上り、リノリウムの床を歩く。コツコツと寂しげな音が響く。その音を聞きながら二本足のユニコーンはどこにいるのだろうと考えた。ホテルの正面にはいなかったし、部屋の名前にもなかった。もっとも僕はそんなことよりドアとドアの間隔の狭さに僕は驚いていた。本来ならば三部屋が適切と思われる広さを無理やり七部屋にした感じだ。そのおかげでドアの間隔が狭いのだ。おそらく部屋も狭いのだろう。

薄暗い廊下で唯一光を持つ小さな電球がついた部屋「キリン」のドアを開けた。しばらく誰もそのドアを開けていなかったのか、鳥肌が立つような嫌な音がした。

部屋はやっぱり狭かった。そのことは一目でわかった。キリンが窮屈そうだもの。このホテルの部屋には、部屋の名前となった動物の剥製が置かれているのだ。本来のノアの方舟にはオスとメスの両方が乗ったけれど、このラブホテルには一体しかない。その部屋に入る二人がその動物になるということなのだろう。ロマンチックな解釈とも言える。

だったら動物の剥製はいらないのではないか、と思うけれど置いてある。ゾウやクジラが部屋の名前になかったのはそのためだ。大きくて入らないのだ。僕はその中で一番大きいと思ったキリンを選んだから、選んでしまったから部屋をキリンが占めていた。

まず天井が低いのでキリンのその長い首は壁に向かい伸びている。それでも向かい合う壁と壁では狭いので、部屋を斜めに分断する感じで首は伸びていて、それでも胴体があり入りきれないので首は傘の取っ手のような形になっている。立っていると入りきれないので、キリンは足を折り横になっている。そのおかげで床もほとんど見えない。ベッドの脇にキリンがいるのだ。上手く想像できないかもしれない、とりあえず狭い部屋に無理やりキリンを入れたと考えて欲しい。部屋のほぼ全てがキリンだ。窮屈そうではあるけれど、ベッドに横になり、キリンと目が合うと、とても幸せそうな目をしていた。

この状態がすでに幻のようだった。見たことがない、こんなキリンを。でも考えてみれば、ノアの方舟にはすごい数の動物が乗ったのだ。そう考えるとこのように部屋は狭くなるのかもしれない。洪水を凌ぐための一時的なものなのだ。ノアの方舟に乗らなければ、洪水に飲み込まれ滅びるのだ。

さて、と思う。二本足のユニコーンはどこにあるのだろうか。実はこの街でユニコーンの骨が見つかったのだ。1663年のことだ。当時はそれがなんの骨なのかわからなかった。しかしバブル期になってその骨が「ユニコーン」のものだとわかった。どこかの考古学者がそう認定したのだ。

街は一時期それで町おこしをしようと考えた。ただその骨の所有者がこのラブホテルのオーナーだった。オーナーはすでにあったこのラブホテルを改装して、二本足のユニコーンを置いた。その結果、多くの人が見に来ることを敬遠し、やがて忘れ去られてしまった。ラブホテルは誰もが知るけれど、誰もが知らないことにしたい存在なのかもしれない。一度敬遠されると誰の記憶からも消えて行ってしまう。この日もラブホテルに来ているのは僕以外にもう一組だけだった。その一組は「ボノボ」を選んでいた。

問題は「二本足のユニコーン」ということだ。ユニコーンは四本足ではないのかと思う。それが謎だった。部屋を出て、フロントに行き、二本足のユニコーンを見に来たことを伝える。カーテンが閉められていて、どんな人がいるのかわからない。テーブルとカウンターの僅かな隙間から光が漏れている。

「それは一度ホテルから出ていただいて、後ろ側の壁のところにいます」と顔の見えない男が言った。当然の質問として「室内にないんですか?」と僕は訊いた。男は「ない、ユニコーンはノアの方舟には乗らなかったから」と素っ気なく答えた。やはりこの建物はノアの方舟を模していたのかと僕は安心した。

ノアの方舟の話を思い出してみると、確かにそうだった気がする。ユニコーンも本当はノアの方舟に乗ることになっていた。しかしユニコーンは傲慢で暴力的だった。その一本のツノでノアの方舟に乗る他の動物を傷つけた。それに神は怒り、結局はノアの方舟には乗れず、洪水に飲み込まれユニコーンは滅びたのだ。だから今のこの世界に存在しない。

僕はそんなことを思い出しながらホテルを出て、壁に沿って歩き、建物の裏側に行った。壁の向こうは崖になっていたので、曇りでそもそも光量がないこともあり、もはや夜のように暗かった。そこに二本足のユニコーンは立っていた。もちろん剥製ではない。ユニコーンの骨と断定されたものから復元した骨格標本だ。彼は一本のツノを天に伸ばし、ノアの方舟のようなラブホテルを見つめている。二本足で立ち背筋をしゃんと伸ばして。

疑問はもちろんある。ユニコーンは四本足で馬のような見た目のはずだ。しかし、このユニコーンは太く長い足の骨を二本だけ持ち、やはり太い背骨は馬よりも遥かに大きい頭蓋骨と繋がり、その背骨はそのまま尻尾にまでなっている。肋骨はない。手の骨もない。背骨と太い足は無理やり接着されている。

僕の知っているユニコーンとはまるで異なった。一本のツノを持つ以外は全部違うのだ。でも、どこかの考古学者はその骨からユニコーンと断定して、骨格標本まで作ったのだ。そして、ラブホテルまで作られた。ここで愛が生まれているのだ、きっと。じゃ、これで正解なのか、とも思う。

考えてみれば誰も本当のユニコーンを見たことがないのだ。これが正解かもしれない。骨格から察するとこんな生き物はいないと思うけれど、それは今の常識だ。ユニコーンがその太い二本の足で大地を踏みしめていた時は違ったのかもしれない。そう考えることにしよう。

僕はホテルを後にした。今度は日本海を右手に見ながら来た道を戻る。幻のようだと改めて思う。ある日この日のことを思い出す。でも、きっと僕は思い出せない。あるいは信じることができない。理解できない光景だけがずっと続いていたから、夢か何かと思うはずだ。全ては出鱈目な映画のワンシーンのようだったから現実だったとは思えないのだ。

振り返るとラブホテルの壁は目線ほどしかなかったので、二本足のユニコーンの頭蓋骨の上半分とツノが見えた。夢ではないのだ。現実だ。こんな現実もあるのだ。波の花が海風でずっと遠くまで舞っていた。この日最初の一片の雪が僕の前に舞い落ちた。全てが幻のように感じられる世界を僕は一人歩いた。二本足のユニコーンはいつまでもノアの箱舟を見つめていた。

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