見出し画像

神戸高塚高校 校門圧死事件から30年 今も続く管理教育・学力至上主義


 兵庫県立神戸高塚高校の校門圧死事件を問い、門前追悼を続けてきた有志らによる「高塚門扉」が主催する30周年の記念講演会の講師として呼ばれ、主に教育委員会を題材にした講演を行った。
 管理教育全盛期に、定刻どおりに強引に校門を閉める兵庫県教育委員会事務局が主導した「遅刻指導」なるものによって、1990年7月6日、遅刻間際に校門に駆け込んだ石田僚子さんが門に挟まれて命が絶たれた。当時12歳で、神戸市東灘区に住んでいた私は、ロスジェネ同世代の人間として片時も忘れたことはない。
 にもかかわらず、「遺族が怒るならわかるが、そうでない人々がなぜ怒るのか?」と言い放った兵庫県教育委員会事務局の管理職職員もいた。会場でこのことを伝えると、会場からは、「驚きを通り越してあきれる」、「「抗議に行くべきだ」との声があがった。
 当時の兵庫県教育委員会事務局は、文部省の意向を受けて、「この事件は1人の生徒と、1人の教師の問題である」などと矮小化し、責任回避を図った。教育という名とは程遠い、今も昔も残忍な冷血漢としか言いようがないが、こうした見解を公式に述べたことを現在の兵庫県教育委員会事務局はどう考えるのか?あらためて問うために6月末公開質問状を送った。すると「一部週刊誌でそのような記述はありますが、発言の有無及びその意図については不明です」
などと、大よそ人を愚弄した回答であった。
 一部週刊誌どころか、朝日新聞をはじめ大新聞や当時、神戸高塚高校教諭であった高橋智子さん(当時の管理教育に反対し、担任を外されるなどした)や、加害者である細井敏彦元教諭も自著で同様の見解を兵庫県教育委員会事務局が採ったことを明らかにしているにもかかわらずである。
 独立した地方行政を建前としてきた教育委員会は形骸化している。大阪府の教育長など吉村知事の腰巾着に過ぎない。


 コロナ後、オンライン授業などの設備などが整備されている自治体とそうでない自治体の学力格差は一層進むことになるに違いない。それは家庭教師や通信教育、公文式などに金銭をかけることのできる家庭と、そうでない家庭で格差がでることも明白だ。
 大阪府は吉村知事主導で、塾・予備校的に学校間を競わせる「チャレンジテスト」の導入を行おうとしている。所得による学力格差が出ることは明白で、再び神戸高塚高校で行われたような学力至上主義的管理教育の復活が懸念される。
 日本共産党などは「コロナ禍で新自由主義経済が破綻した」などと能天気に述べているが、大阪ではこれからが、「維新型新自由主義」の本領発揮である。何しろ、コロナ対策で吉村知事は一定の名声を獲得したのだ。
 「さあ、石田さんの分までテストを頑張りましょう」(事件翌日の朝礼での教師の発言)―人の命よりテストが大事という教育。こうした展開が、今後の大阪府下の公教育で予想される。

(フリーライター 角田裕育)

 

【お願い】人民新聞は広告に頼らず新聞を運営しています。ですから、みなさまからのサポートが欠かせません。よりよい紙面づくりのために、100円からご協力お願いします。