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ぷりずむ 「日本が朝鮮を直視するには」

 板垣竜太『北に渡った言語学者ー金壽卿1918ー2000』(人文書院)は、ある言語学者の学問と生涯を追った本であり、分断体制の中で離散した家族と再会するために自国で家族の死亡届を提出するエピソード(271頁)など、生の苦と夢への希望が込められた本だ。同時に日本で「朝鮮」をいかに語るのかを問うた刺激的な本でもある。

 著者は日本の朝鮮研究について指摘する。「日本(人)が植民地期におこなったことや、解放後に残された「遺産」にだけ関心をもつような、反省的であるともいえるが、どこかしら帝国主義と裏腹の関係にある研究態度。」(304頁)これは、植民地主義批判をしつつも結局朝鮮を日本との関連の中でのみ見がちな、左派の朝鮮認識もまた鋭く問う言葉だ。

 日本では絶対不変であるかのように語られる朝鮮半島の分断体制は、本書の登場人物たちにとって、家族が出会うために様々な試みが行われる可変的な現場なのだ。不変で固定的な枠組みを前提に朝鮮を認識することは、ある人の生きた道を考えることではなく、生をその枠組みに押し込めることになってしまう。日本の植民地支配を批判するときすら、朝鮮の人々の生を歪めて認識しているのではないのかと問い返したい。          (K) 

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