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【戦争遺跡と認めよ】中国から略奪した大阪城の「狛犬」 侵略の歴史を覆い隠す大阪市

ーー大阪城の狛犬は、日本軍による中国からの略奪品だった。当時の新聞記事から、証拠となる資料が20年程前に発見された。だが、大阪市はその事実を案内板に書くことを拒んでいる。狛犬を巡る動きについて取材した。( 取材・編集部 かわすみかずみ)
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 大阪市中央区にある大阪城は、中世、近世の城郭や文化を色濃く残す貴重な遺跡群として、1955年に国の特別史跡に指定された。天守閣や櫓(やぐら)など当時の建築様式がわかる建物は重要文化財として大阪市が管理している。だが、西ノ丸北門にある狛犬は文化財に指定されず、経済戦略局が観光資源として活用する。

中国から略奪した大阪城の狛犬

 83年に中国への狛犬返還運動を行った「大阪城狛犬会」によると、狛犬は明時代の国宝級のもので、1937年当時は中国の天津市政府の庁舎前に飾られていた。だが、同年に日本軍の天津爆撃で吹き飛ばされ、爆撃でできた穴に偶然落ちていたところを日本軍が盗んできたこと、「北支支那(中国)軍敗戦の記念物である」と大言していたことが当時の大阪朝日新聞(博覧会の翌年に主催者の同新聞社が掲載)や『支那事変聖戦博覧会大観』に掲載されている。
 この記事は、研究者の塚崎昌之さん(66)が在阪朝鮮史の資料集めのために、当時の大阪朝日新聞を見ていて発見した。 博覧会の写真から大阪城にある狛犬であることがわかった。狛犬は、38年の「支那事変聖戦博覧会」(兵庫県西宮球場とその周辺で開催)に出品された後、大阪陸軍兵器支廠正門前に移された。  1940年には、子どもたちの戦争教育を行う「国防館」の入口にあたる姫門に飾られ、子どもたちに「強い日本」をアピールした。 
 83年に日本軍の略奪品であることがわかり、返還運動により中国側に返還。同年、中国から日中友好の証として大阪市に寄贈されている。
 ほとんどの人がそこに狛犬があるとは気づかないその場所には、宋之光中華人民共和国駐日本国特命全権大使(当時)直筆の石碑が置かれている。「中日友好萬古長青」という流麗な石碑の文字には、永遠に中国と日本の友好関係が続くようにとの願いが込められている。
 実際に狛犬がある場所に行ってみた。西ノ丸公園から行けば直線距離だが、有料施設で通り抜けできない。大手門から内堀沿いに約10分歩いて着いた西ノ丸北門は、午後3時という観光客が多い時間にも関わらず、人はいなかった。北門は普段は閉鎖され、特別な時しか開かれない。そこに置かれた理由は何だったのか?

中日友好萬古長青と書かれた石碑

戦争遺跡ではなく「観光資源」

 取材に対し大阪市教育委員会文化財保護課は、「狛犬は日本の歴史に直接関係していない」「指定区域内だが、中世、近世の文化とは関係ない」という理由で、狛犬の文化財申請はできないという。
 一方文化庁は、「83年に日本からの返還を受けて再度市に寄贈されているので、市の責任」だという。
 経済戦略局は、文化財の魅力向上を目的に、観光資源として狛犬を内外に紹介。案内板も同局が管理する。
 文化庁によれば、日本における文化財候補の基準は、建築物であれば築50年以上、それ以外は第二次世界大戦以前(第二次世界大戦中も含む)だ。文化財保護課が文化財申請することは可能である。
 狛犬が寄贈された83年を起点と考え、文化財認定の基準に満たないと同課は判断する。だが、狛犬は造られてから370年以上経過しており、大阪城が特別史跡認定された時から日本にあった。狛犬が中国への侵略の過程で日本に持ち込まれたことは明白であり、文化財保護課の「日本の歴史とは関係ない」等の主張は当たらない。
 「大坂城狛犬会」は、2022年12月に、経済戦略局に対し、狛犬の案内板の文言を史実に基づいた記述にするよう交渉を行った。
 現在の案内板には、「日中戦争時に中国から日本に運ばれ」と書かれている。日本軍が略奪したことを書くことで、日中不再戦の誓いや日本の謝罪の意が示されると主張する。
 

日中不再戦を願い再び大阪市交渉へ

 40年前に、中国の革命軍事博物館を見学した会員の伊関要さんは、現地で中国の方に話しかけられた。日本が行った多くの残虐行為を館内で見ていた伊関さんは、中国語がわからない中で「ごめんなさい」と何度も日本語で謝ったという。
 中国の方が、穏やかに話してくれたことに救われた。帰国後すぐに、狛犬が日本軍による略奪品であることがわかり、返還運動が起こる。当時大学生だった伊関さんは、この運動をライフワークにしようと誓った。
 市交渉には、鄧小平氏の来日時に通訳を行った戸毛敏美さん(NPO法人大阪府日中友好協会副会長)など、日中友好を切に願う10人余りの男女が参加した。参加者のひとりである関登美子さんは中国の歴史的書家である欧陽詢の直系の子孫で、父親は甲骨文字研究の大家である欧陽可亮氏。
 外務省と愛知大学に招聘され中日辞典編纂を行った父親とともに、日本に移住した。関さんは市職員に対し、「狛犬の問題は中国の新聞に大きく取り上げられている。これは国際問題です」と、認識を改めるよう訴えた。
 14年に会が市に提出した同趣旨の陳情書を市議会が不採択にしたことや、中国領事館と協議を行って了承を得たことを理由に、経済戦略局は文言の変更を拒んでいる。
 文化庁は、「政治的な軍事に関わる遺跡」という名称で戦争遺跡を文化財と認め、特別史跡指定区域内には戦時中の軍事施設跡が散在する。だが、「狛犬を戦争遺跡と認識していないのか?」という問いに、同局は「戦争遺跡の定義がわからないので答えられない」と回答した。
 岸田首相は昨年末、防衛費の増額を発表した。南西諸島では、中国からの攻撃を想定した基地の建設が進む。戦争を食い止める道を、私たちは模索せねばならない。

(人民新聞 2023年1月20号掲載)

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