自戒

おそらく数分前の車に轢かれて頭部を殴打、片方の眼球を前突してしまった猫を道路の真ん中から道の脇へ移動させた。身体を揺らしても反応はなかったが、もしかしたらまだ生きていたのかも知れない。死んでいるのかわからないにも関わらず当たり前のように移動するだけで、心に「もしかして」とよぎっても救護しなかったことを悔やむな。出来る事をしたならそれで、仕方のないことだってある。自分の力だけでこの世は出来ていない。向こう側だと思うから怖い。こちら側だと想えば怖くない。

何故投稿するのか?起きた事を文字にしてこの自戒が行き過ぎているのではないかと再確認する為だ。病院へ連れて行けば助かったかも知れないという思いを否定する為だ。生きていたとしても手遅れだと。

はじめはただ通り過ぎた。考え直して引き返した。それ以上轢かれてしまうのは可哀想だから。次に浮かんだことはもしかしたら生きているかも知れないと。

家に戻りシャワーを浴びるまで家の猫は撫でられなかったのは、弱い心から来る死への差別心だ。霊柩車に親指を隠すことと同じ。死は向こう側では無い。こちら側なのだ。しかし因縁を恐れる癖は治らない。人間の本能の一部かも知れないが、それを超えた理解と強さと諦めが必要だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?