見出し画像

コミュニケーション・インフラの必要性

自分が長年人事職を務めてきて思う事に、日本企業の大きな弱点に『コミュニケーション・インフラにお金をかけない』という点がある。ここでいう『コミュニケーション・インフラ』とはいわゆるSlack等のツールだけではなく、相互にコミュニケーションを円滑に行うための基盤の事を指す。

組織においてコミュニケーションが非常に重要であることは最早語るまでもない。では、その非常に重要であるはずのコミュニケーションに関する共通の基盤整備に対し、十分に組織は投資をしているだろうか。これは個人的な感覚になるが、十分とは言えないと感じる。

■コミュニケーション・インフラとは何か?

ここで改めてコミュニケーション・インフラについて定義してみる。

<コミュニケーション・インフラとは>
①特定の組織内においてステークホルダーとの間で行われるコミュニケーションに関する共通認識(文脈、ルール、発信&受信の方法、それぞれの立場や価値観、その他)
組織内におけるステークホルダーが互いに相手のおかれている状況及びそれに伴う立場や守らなければならないもの、価値観、ルール(ここではルールとマナー、作法等を含むものといった方が良い)等幅広い情報を知っていればいるほど、自分達の利益を守りながら相手とどうしたら協働できるか、という観点からコミュニケーションしやすくなる。往々にして人は相手の置かれている状況を十分に知らないが故に、一方的な考え方を押し付けたり、自分の都合だけを主張してしまう傾向にあるからだ。以前の日本企業では、ジョブローテーションにより様々な部署の事情を知る人を複数作る事でこの課題に対処しようとしていた。しかし、業務の専門性が高まるにつれて一つの部門で経験を積み、プロフェッショナル化していく人が増えた事で互いの部署の事情を深く知る人物がいなくなっているという事が挙げられる。また、時代の変化が加速していることで、数年前に自らが経験した情報が現在は全く通用しなくなっている事へのキャッチアップ不足もあり得るだろう。そのような問題を解消する為、各々が置かれている状況の情報を積極的に開示する必要性が出てきている。

②ステークホルダー間の個人的な人間関係の信頼度(相互に個人的信頼関係が強ければ強いほど一般的に好ましい)
組織内の『見えない壁』が部門間の縦割りを加速させたり、相互の情報交換がされずに問題発生の原因になったりする。組織を超えて本音で実態を明かし合うようなコミュニケーションをする事が出来ない事が問題になっているケースが組織内には散見される。これを手っ取り早く超えるのは相互の個人な人間関係だ。一般的に対立しやすい営業部門と生産部門を考えてみよう。営業部門と生産部門はお互い組織のためを思って行う行動が時に対立を生みやすい傾向にある。これは組織の機能としての構造的な問題である。しかし、ここで双方の部門長が個人的に親友であり、何でも相談出来る深い関係性を持っていたとしたらどうだろうか。組織毎の小さな対立は多少発生したとしても、最終的に「落としどころ」を部門として話し合って決める事が出来るのではないだろうか。組織の構造上対立を生みやすいステークホルダー同士ほど、個人的な関係性を構築する事が極めて重要なのだと言える。

③ステークホルダー間のコミュニケーションを促進するための組織内の公式、非公式の機会及びツール(会議体、ミーティングルーム、ITツール、所管業務別の問い合わせ先一覧表等)
ある特定の部署が、その部署内だけでは解決が困難な全社的課題に直面する事は良くある。当然、組織としては複数の部署の関係者を巻き込んで対応を検討したり、予算を割り振ったり、人員を配置したりする必要があるが、それが迅速かつ適切に扱われているケースは極めて稀だと言える。①や②がない事に加え、特定の部署を超えて大きな課題を取り扱う事を目的とした会議体及びそれを預ける部署が存在しないからだ。一般的に考えれば、経営企画室や総務部等が引き受けることになるのだろうが、それらは他の定型業務に忙殺されている為に対応が困難で、現場の課題を拾い上げる事が出来ない場合が多い。その時、複数の部門をまたぐ全社的課題を専門に取り扱う会議体及びその会議体の運営部署が別途必要だ。そしてその部署は必要であればプロジェクトチームを発足し、部門横断的な対応を進められるイニチアチブを持っていなければならない。

④利害関係の対立に伴う調整が必要になった際、適切な仲裁を行う事ができる中立的存在(コンサルタントやコーチのような第三者、人事部や経営企画部のような調整部署等)
組織ではまれに、深刻な部門間の利害関係の対立が発生したり、特定の人同士の衝突(意見の対立を超えた個人的感情の対立)が起きたりして、それが原因で建設的な業務の推進が妨げられる事がある。問題はそれらが発生した際に適切に仲裁を行う機能(部署、人、外部リソース等)を組織が常時保有していない事だ。結果的に対立は放置され、各々が互いを尊重しないまま勝手に行動し、問題が拡大したり、手遅れになってしまったりする。本来であれば部門長や管掌取締役が調整を行うべきだが、実際には出来ていない事が多い。個人的な感情のもつれの仲裁はプロのコーチやファシリテーター(あるいは人事部や経営企画部等でそれらのトレーニングを専門に積んたスタッフ)に任せる方が早いし、効果も高い。しかし、実際にそのようなアプローチを積極的に使っている企業は少ない。


■コミュニケーション・インフラを組織が整備しようとしない理由

新人が部署に加入したり、新しい部署が立ち上がったり、新規プロジェクトが発足したり、取締役が新任されたりした時は、コミュニケーション・インフラを整備するべきタイミングである。また、既存のインフラが機能しなくなっていた場合に見直す絶好のチャンスともいえる。しかし、実際にはコミュニケーション・インフラを整備する為の投資や活動を行っている組織は非常に少ないのではないだろうか。コミュニケーション・インフラが整備されていない状況下では、人は互いにどのようにコミュニケーションをすればよいか、手探りで進めなければならない。コミュニケーションに関するルールやツールはある程度明文化、共通化しているとしても、文脈の共有、お互いの人としての癖の把握等を個人技に任せる為に無駄が多く、必然的に精度も低くなる。適切なコミュニケーションをとれなくなる場面はメンバーが多様性に富んでいればいるほど多発し、結果として正常な組織としての機能を果たせなくなってしまう。そうならなかったとしても、膨大な労力を割く事になる。これが如何に企業として無駄を生むか、その影響は計り知れない。

では、組織においてコミュニケーション・インフラが整備されない理由とは何だろうか。

①「コミュニケーションの成否は個人の技量に依存する」という思い込み
ビジネスの文脈において、コミュニケーションが非常に重要である、という事について異論をはさむ人はいないだろう。しかし、コミュニケーション・インフラが重要であり、そこに適切な投資を行うべきであるという話に即Yesと答える人は少ないだろう。せいぜい、個人のコミュニケーションに関する技能向上の重要性が語られるに過ぎない。その最たるものが企業で行われる新人や管理職向けのコミュニケーション研修である。対象者が変わればコンテンツは変わるが、総じてこれらの研修が実際される背景にある文脈は「コミュニケーションの成否は個人の技量に依存する」という考え方である。これはコミュニケーションにおける一つの側面にしか対応していない。組織の中で適切なコミュニケーションをとれるようになる為には、個人の技量の他にインフラが必要なのだという事を認識しなければならない。

②そんな事をやっている暇がない、あるいはそんな事に投資する余裕はないので、すぐに実務に取り掛かるべきだと考える
緊急性の高い問題に直面した時に組織が取りやすい行動の典型的かつ非効率的なパターンだ。緊急度の高い重要な課題ほど、総じて複雑な問題が背景に絡み合っており、かつ失敗が許されない為、慎重に事を進める必要性がある。そのような場合にコミュニケーション・インフラが未整備で、常時コミュニケーションロスが発生している状態であったらどうだろうか。もし目的地に早くたどり着きたいのであれば、着手は早くするべきだが、初めの土台作りが欠かせない。そうしないと、後々になって面倒な調整や後手に回るような対応をやらなければならなくなり、かえって効率は低下するだろう。

③マネジャーが総じて自分がコミュニケーションミスあるいは判断ミスをしない人だと思い込んでいる。
何故か理由はわからないが、このように考えている人は多い。この事について、個人のコミュニケーションに関する技能の上手、下手を一旦横に置いたとして、二つの点で重大な誤りがあるといってよい。一つ目は、コミュニケーションは常に発信者と受信者がいて、双方のかかわりによって成り立つものであるから、一方がちゃんと伝えた、ちゃんと聞いた、と認識していても、相手側がそう思っていなければ成立しないからである。あるいはお互いちゃんとコミュニケーションをしたと思い込んでいて実はすれ違っていた事が後でわかる等もあり得る。二つ目は、どんなに優れた判断能力を持つ人であったとしても、コミュニケーションロスにより必要な情報が得られていなかったならば、現在の状況に合わせた的確な判断は出来ようもないからである。コミュニケーション・インフラが整備されていなければ、少なくとも確実にマネジャーのもとに重要な情報のいくつかは届いていないと考えてよい。そんな状況下で的確な判断を下す事は不可能だ。これは判断能力の問題ではない。


■コミュニケーション・インフラの整備を加速させる方法

では、組織でコミュニケーション・インフラの整備を促進するためにはどのような施策を講じればよいのか。ここではいくつかの有効と思われるアイディアを提案してみたい。

①コミュニケーション・インフラの整備を担当する専門チームを組織し、予算と権限を与える
コミュニケーション・インフラを担当する専門チームは、情報システム部でも、人事部でも、経営企画部でもない。専門チームだ。無論、この専門チームは前述三つの部署の協力を要する事は言うまでもない。一方でその機能をどこかの部署に兼務させるべきではない。何故ならば、各部署共に既に重要な定型業務を抱えており、新たな業務が入り込む余地は少なく、よほど経営陣が優先順位を高くしない限り埋没してしまうだろう。いっそのこと専門チームを組織し、そこに予算と権限を与え、コミュニケーション・インフラの整備を進める方が効果的だ。会社内における会議のファシリテーション支援、関係性コーチングの実施、組織開発等のアプローチ、ワークショップの開催、ITツールの活用などを同時に推進していく事でインフラ整備は進むと思われる。

②コミュニケーション・インフラの整備状況をレビューし、経営課題として取り扱う
コミュニケーションが重要であるならば、それを常にレビューし、取り扱う事が大切である。年に2回は最低、自社のコミュニケーション・インフラが適切に機能しているかどうかのレビューを行い、機能不全になっている点や新たに発生した問題などをチェック、それらを経営課題として取り扱う事で常にコミュニケーション・インフラが整備され、アップデートされている状態を確保できる。これは単にコミュニケーションの円滑化を促進するだけでなく、結果的に社内政治の腐敗を防いだり、コンプライアンス違反を未然に防いだり、リコールに至るような重要な問題を早期に経営に報告したりすることに寄与するだろう。

③経営陣がチーム・ビルディングを促進するワークショップを行う
例えば新任の取締役が就任した時や、新しいマネジメントチームが発足した時等には、「Tグループ」に代表される、お互いの関係性を深くつなげるようなワークショップを通じてコミュニケーション・インフラの構築を一気にすすめた方が良い。これは単に取締役や上級マネジャーが集って行う研修でも、戦略ミーティングでもない。経営陣が自らトップマネジメントチーム内におけるコミュニケーション・インフラの重要性を認識し、それを構築する姿勢を内外に示す事は重要だ。Tグループ等で深く相互理解を進めた間柄では、何でも率直に相談できるし、苦難も共に乗り越えようとする気持ちが生まれる為、非常に強い取締役会を作ることが出来る。副次的効果として経営ビジョンや理念の共有なども大きく進める事が出来るだろう。

④コミュニケーションに問題が発生した時は中立的な第三者が仲裁する組織文化を醸成する
コミュニケーション・インフラを整備したとしても、組織内において深刻な対立や感情的なもつれが無くなる訳ではない。むしろ、抑え込んでいたものが表出し、一時的に強い主張がぶつかり合う場面も出てくると思われる。問題は、一度人間関係が壊れるくらい強く衝突した人同士が、再び信頼関係を取り戻す為ににどうすればよいのか、という事である。仕事は真剣勝負なのだから、ある意味ではぶつかるのは当然だ。その時、関係性の修復を中立的な立場及び高度に訓練されたコミュニケーションスキルで支援する人や機関があれば心強い。トップマネジメントチームの場合は、社内の政治的力学を鑑みて外部のコンサルタント、エグゼクティブコーチ、プロフェッショナルファシリテーター等に依頼するべきだろう。部門間や個人レベルでの問題には、①で提案した部署もしくは人事部が対応するのが適切だろう。そして何より重要なのは、相互にぶつかってしまった際は誰かの支援を受けて関係性を再構築する事を目指す文化を組織内に浸透させることだ。これはトップマネジメントチームにしか出来ない仕事だ。経営陣が自ら実践し、その在り方や姿勢で従業員に手本を示す他に方法はない。

■組織のあらゆる問題は最後にコミュニケーションへとたどり着く

あらゆる組織において人々を悩ます共通の問題は、コミュニケーションである。社外に発生するあらゆる外部的要因としての脅威も、ステークホルダー間において適切なコミュニケーションが取れたとしたらクリアできる事も多い。むしろ、コミュニケーションさえしっかりとれていれば問題の解決策そのものは容易に考えつき、実行可能性もあるのに、社内のコミュニケーションがうまくいかずにとん挫してしまう事の方が多い。コミュニケーションはそれくらい事業の運営に絶大な影響を与える。一つのコミュニケーションロスが組織を窮地に立たせる事すらあり得る。コミュニケーションの成否を個人の技量に依存させず、インフラの整備を推進して円滑に進める事は、組織の攻め(事業の推進)にも守り(コンプライアンス、コーポレートガバナンス)にも大きく貢献する事だろう。コミュニケーション・インフラへの投資はその手間に見合った成果を組織にもたらすことは間違いない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?