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わたしという命の使い方 #年末年始に考えたこと

日刊noters、2019年一発目の記事にしては、少しタイトルから重めです。が、私が年末年始に考えたことは「死との向き合い方」からくる「わたしという命の使い方」です。

実は年明け早々、同じコミュニティにいる同い年の友人を亡くしました。そのこと自体については、ラボのお師匠さんである、さとなおさんや、ラボの友人もnoteに書いてくれていました。

彼女とは、出会って半年ちょっと、直接会ったのも2回ほどで、その際も同じ87年生まれグループでワイワイと飲んだだけ。間違いなく、僕なんかより彼女のことが大好きで、距離の近い家族友人はたくさんいたのですが、それでも僕にとって、そして僕の周りの友人にとって、とても大切な存在になる予感しかない、これから縁をつむいで深めていく大切な友の一人でした。

僕自身、彼女の死の一報を聞いた際、少なからず動揺し、その動揺が徐々に大きくなっていく衝動を感じ、でもどこかで自分自身の日常に戻っていく、そんな不思議な感覚で過ごしていました。

彼女は僕とは性格的に対極のタイプで、でもラボのおかげで共通言語で話せることが多々あり、SNS上でも気軽に絡んだり、ふとした瞬間に急に応援メッセージをくれたりと、シンプルに人として好きだなと、自分にはない魅力を感じさせられることがたくさんありました。

何度も何度も何度も、見返した彼女のSNSの投稿内容や、グループや個人でのやり取りに、どこか生き急いだ、でもいつも素直で本音で振りきった、いや振りきろうとした彼女の言葉の数々が、今でも胸によぎります。

そんな感情を抱えたままの週明け、翌日に彼女のお通夜を控えた日でした。。忘れもしない出社直後の母親からの着信。かかってきた瞬間になんとなく察した部分があったのですが、その予感はあたり、その電話は今まさに祖父が亡くなったことを伝えるものでした。そこからはあっという間で、彼女の通夜の為に準備した喪服は、祖父の為のものに変わり、気がついたら地元に帰省し、気がついたら通夜と葬儀と少し早い初七日の法要が終わっていました。

実は亡くなるちょうど1週間前の年末年始の帰省時、最終日に会いにいった際に前日前々日と病室でずっと寝たきりで眠っている祖父が、ほんの一瞬ではありますが、はっきりと僕が来たことを認識し言葉をかけてくれました。そんな祖父を振り返りながら、きっとこれが最後かもなと思って、病室のドアを締め、正月なのに薄暗い、誰もいない廊下を後にしたのを覚えています。

97歳、数え年で99歳の大往生。家族を大切にし、自分に厳しく信心深く、歳を重ねて90歳を超えてなお、ケータイを使いこなし、本や新聞をよく読み、亡くなる1年前までは毎日の日記を30年以上にわたって丁寧につけていました。祖父との思い出は数え切れないほどにたくさんありますが、自分の性格や考え方をつくる過程において、最も多くの影響をくれた尊敬する人であり、祖父の孫であったことを誇りに思える、本当に偉大な人でした。

死してなお、僕を動かす

僕の2019年は「死」から始まりました。平成最後の年明け、死から始まったこの1年のスタートに、どんな意味があるのかは正直わかりませんし、亡くなった大切な二人が、人生の最後に何を思ったのかや、どういうことを考えたのかは正直分かりません。

でも一つだけ、確かなことは二人の人生の中には、僕と交わった時間があり、僕を応援してくれた時間があったこと、僕に期待してくれたこと、そしてその期待を言葉にして、ちゃんと伝えてくれた時間があったことです。

その言葉は僕の胸の中だけにあり、死してなお、僕を動かす原動力になりました。こんな形で僕が言葉にすることを二人は想定していなかったはずだし、勝手な思い込みもありますが、死してなお、僕を動かす二人からもらった力を明日の誰かの力のために使いたい、そう思います。最後の最後、僕に言葉を残してくれた二人にありったけの感謝と、ありったけの気持ちをこめて伝えたいなと思います。

「出会ってくれて、ありがとう。また会う日まで。」

※最後になりますが、Business Insider Japan主催のミレニアル世代の才能や取り組みを表彰する新たなアワード「BEYOND MILLENNIALS」の投票をしてくださった皆さま、ありがとうございました。おかげさまで、「人事ごった煮会」の発起人として、44名+2組織の中の「Game Changer 2019」に選出頂き、グランプリの発表・表彰で、なんと「Leadership」部門グランプリを受賞させて頂きました。応援してくれた二人にも心からの感謝を伝えたいです。ありがとうございました!


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