タートル・トーク・サバイバー

 寝れないのでくだらない話を書く。

 つい先日、私は地元に帰ってきた友達に誘われてディズニーシーへ行った。人生初めてのディズニーシーである。お恥ずかしながら、私は千葉県に住んでいるにも関わらずディズニーについて全くの無知だった。ディズニーシーのことをディズニーCだと思い込み、なぜBがないのかと疑問に思ったほどである。そしてディズニーランドも物心がつく前に一度しか行ったことがなければ、ディズニーのキャラクターも片手で数えるくらいしか知らない。もはや今回が初ディズニーだ。そしてなんと驚くことに当日までディズニーランドへ行くものだと勘違いしているくらいには友人たちに任せっきりで何も調べていなかった。
 そんな私でもディズニーシーへ行くと知った途端、行きたいと思いつくアトラクションが唯一あった。そう、タイトルで諸君らは察しがついたであろう。タートル・トークである。タートル・トークとは口達者な亀が客と喋るというだけのアトラクションだ。これだけ聞くとディズニーシーへ行くことの叶わぬ田舎者や、ディズニーシーへ一緒に行く友達すらいない孤独な諸君らはつまらなそうだという印象を受けるかもしれない。そんな無知の諸君らに説明してあげようじゃないか、タートル・トークの素晴らしさを。タートル・トークの素晴らしさを保つもの、それは亀の想像を絶する口達者ぶりである。落語家や漫才師がその口先だけで飯を食らうように、あの亀も口先だけで娯楽を生み出し客を満足させているのだ。万が一、諸君らが日本とも思えぬような田舎から藁葺き屋根の小屋を飛び出し遠路遥々幾千里を越えディズニーシーへ赴いた際には、是非ともこのアトラクションを体験して欲しい。友達のいない諸君らはその手垢に塗れたパソコンでタートル・トークと調べてみてくれ。少々話が逸れてしまった。そしてとうとう私は夢にまで見た、いや嘘である、少し興味を持っていたタートル・トークへ赴くこととなった。
 列に並びながら飛び上がりたくなるほどの高揚感を抑え、質問事項を考えていた。意地悪な質問でもしてやろうか。いや、軽くいなされて終わるのだから何も面白くない。お茶目な質問がいいだろう。さてどうしたものか。亀の甲羅の中は痒くなったりしないのだろうか、そんな素朴な疑問が適しているに違いない。絶対質問をしてやる。周りの餓鬼どもに質問権を取られてなるものか。私が一番このタートル・トークを楽しみにしているのだから、一秒でも長く亀と対談してやる。そんなことを考えていると、ついに我々の順番が回ってきた。いや、回ってきてしまったのだ。私はここからタワー・オブ・テラーやレイジングスピリッツを超える恐怖体験をすることとなった。(これを読む田舎者の諸君ためにディズニー博士の私が補足をしてやろう。タワー・オブ・テラーやレイジングスピリッツというのはディズニーシーの中でも有数の絶叫アトラクションなのである。)
 亀の漫談は挨拶から始まる。亀の社会はどうやら体育会系と同じく、挨拶が最重要事項らしい。「お前ら最高だぜ!」と言われたら両手を上げなければならない。おっと失礼、"両鰭"を上げなければならない。話が始まってものの数秒、洗礼と言わんばかりに亀がやけに通る声で我々へ挨拶を要求してきた。お前ら最高だぜ。これからの漫談に胸を膨らませていた私は、よしきたと言わんばかりに周りの目を気にすることなく両鰭をあげた。もはや心は亀である。人間であったことなどとうに忘れて餓鬼どもに混じりはしゃいだ。海中にいる気分になり、汚れた酸素も澱む重力すらも感じなくなっていた。
 その頃、亀は辺りを見渡していた。はしゃぐ子供や、もはや同族となっていた前髪の長い男なんかはすでに眼中になかった。その亀の目に映るのはつまらなそうな顔をして挨拶を怠った人間のみである。亀はとうとう見つけてしまった。奥の方に座りつまらなそうな顔をして挨拶を怠った男を。
 挨拶を終えて本題に入るかと思いきや、亀はまず一人の男を指名した。名をウラノの言うらしい。なぜこの男が指名されたかというと、挨拶ができていなかったからだ。もはや田舎の不良青年のような絡み方である。亀と不良と体育会系は挨拶に厳しい。この社会を生き抜く上で、知っておくべきことなのだろう。亀はまず観客に晒し上げるようにしてウラノに挨拶を叩き込む。ウラノ、最高だぜ。ウラノは渋々と恥ずかしそうに両手を手を上げた。観客はそれをみてはクスクスと笑う。その頃、亀となっていた私はすっかり人間に戻っていた。高揚感などとうに消え失せていた。私はウラノの二の舞にならないように、目を伏せることなく、目立つことを避け、このノリを崩すことなく群衆の一人になろうと心に決めていたのだ。亀のお喋りは止まることがない。ウラノをいじりつつ質疑応答を続けている。尋常じゃないくらいに話が上手い。観客に話の主導権を一切譲ることなくキャラクターを保ったまま話を続ける。隙が一切無いのだ。恐ろしかった。晒し上げられることが怖いのもあったが、それ以上に話が上手すぎて恐ろしいのだ。こんな感覚は初めてだった。小遊三の座談会を聞きに行った時も、漫才を見た時でもこんな感覚を感じなかったはずだ。
 そこからはほとんど記憶がない。質疑応答が始まっても、私は質問などできるわけがなかった。"ウラノ"になりたくなかったからだ。いや、それだけでは無い。話の主導権を完璧に奪われて歯車の一つとなってしまうことが、骨抜きにされたようで恐ろしくてたまらなかったからだ。耳に入ってくるのは、お前たち最高だぜという掛け声のみである。その声が聞こえるたびに、私は怯える心を押さえて群衆の一人に徹するべく手を上げる。かなりの恐怖体験だ。私はこれから、お前たち最高だぜという掛け声を聞くたびに両手を上げてしまうのだろう。私は亀に調教されたのであった。

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