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創作の神様、その妙技の真髄に迫る ~星新一『できそこない博物館』

星新一は、小学生の頃から読んでいた。

ロボット、宇宙人、天使と悪魔、変な会社、怪しげな手紙、見知らぬ街、不思議な人々。

これらのショートショートは、全部あわせて1,000以上にものぼるらしい。こんなにもたくさんの話のすべてが、奇想天外で、幻想的で、最後に意外などんでん返しが付いていて、なぜこんなにもおもしろく描けるのだろうかと、子どもながら不思議に思っていたものである。

でも、小学生のときの自分は、その疑問への答え合わせである本書に、たどり着くことは無かった。そして20年を遥かに超えて、いまやっと、その秘密の小宇宙の裏側を覗くことになる。

本書は、著者の膨大な数のショートショート創作の過程で積み上げられた、沢山のアイディアの断片メモの紹介と、それらに対する考察、そこから垣間見える著者の方法についての本である。星新一の小説以外の本は珍しい。何かの雑誌で連載していたものをまとめたらしい。

やはり、これだけの質量で創作できるのには、ちゃんとしたワケがある。実は世のアイディア発想の王道を行くような発散・収束の手順もしっかり踏んでいた、というのは少し意外なんだけど、当然ながらそれだけの話ではない。

彼が織りなす作品とまったく同様に、その生み出す過程も、なにか不思議で捉え所がなく、しかし妙な温かさをまとっている。それらが書かれて数十年経った今もなお、彼の本を読んで子どもが大人に育っていくように、そのアイディアの種は孵化し、育ち、時に壁につき当たりながら、少しずつ煌めきを増していく。

世で持て囃される「創作の技法」という謂いは、システマティックでドライな意味を含み持つものだ。
Aの要素とBの要素をこういう感じで組み合わせ、それをこうやって昇華させて云々、という「技」は、人それぞれが脳内で生み出したアイディアの種を、ある一定のところで切り出して操作可能にする。それによって色んな概念操作が可能になる一方で、もともとそれらが脳内で持っていた豊穣な周辺イメージやそれ自体の意味、物語性を、過度に削り取って陳腐化しまう。

しかし星新一にとって、それらイメージは単なる概念操作の対象としてAだのBだのとして外在化させるに過ぎない要素では全然なくて、自分自身の大事な子どもであり、少しずつ少しずつ形にしたり柔らかくしたりしながら育てていく類のものなのだ。なので彼が構想の過程で書きつけるメモは、もっとずっとファジーで、それ自体何の意味もなさない断片ですらないものから、徐々に徐々に色んな枝を生やし、葉を付けていったりもする。

「アイディアは生もの」とは良く言われるが、彼にとってのそれは、「生き物」ですらある。こういった実例の数々を本人が「できそこない」と言って照れながら解説する本書は、創作活動に携わる全員にとっての、とても貴重な資料だと思う。

また同時に、そうした独特の方法を綴っていくその語りも、作品の世界観と同じような空気の中で幻想的になされる。そういったことも相まって、とても幸せな読書体験だった。

ショートショートの神様が描く不思議な世界。その舞台裏も、やっぱり胸躍る子どもたちの世界、だったのだ。

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