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技術進歩と幸福な狂気~ハクスリー『すばらしい新世界』

オーウェル『1984』が全体主義的ディストピアの荘厳な構築物だとすると、こちらは科学と資本主義で装飾されたより内面的で分かりにくい”人間中心”的全体主義社会が日常生活に溶け込んだ姿である。

1984には、きれいに完成された体系の怖さがあり、清々しい狂気があった。しかし本書が描く新世界は、もっともっと具体的でリアリティに溢れ、説得力も実行可能性も併せ持った合理的な、故に我々人類が実際に内蔵している極めて手近な狂気を持つ。

以前、ウェルズ『タイムマシン』の記事の中で、80万年後における技術の不在について書いた。

あれが、未来すぎて生物進化のフィルターを通過したのちの社会の像だとすると、本書はしっかりと技術的因子を勘定に入れた近未来の予想図であり、自然も人間も制御可能であるとする近代から続く自然科学的世界観を踏襲する。

僕らの人権と自由は、社会全体の発展や安定性維持のために制限/制御されるべきか。この使い古されたように見える問いが、ハクスリーの手により、未来の科学技術と優生学と行動経済学のギミックを用い、今日的に問い直される。

本書に出てくるような「幸福を感じる薬」の服用に、未来の人類が抵抗できる可能性はあまり高くない。昨今の神経科学の発達により、本書刊行の1932年よりもそれはよりずっと身近な議論になっただけでなく、既に単なる絵空事ではない。

著者自身も新版あとがきで言うように、技術進歩がもらたす社会/経済革命よりも、個人の内的な幸福の認知にダイレクトに介入する仕方の方が、より人類史に根源的な革命をもたらすだろう。

現在多く取りざたされるような、AIと人間との関わりが人類と世界を決定的に変えると唱えるホモ・デウス的な論は、その意味で思ったほど的を射ていない。人間の脳があくまで現行機能を維持したまま到達する未来は、それがどれだけ技術的に発達した世界であろうと、我々の脳だけがこの”世界”の意味を構成している限りにおいて、それを決定的に変えることはない。

このような、永遠に幸福になるための神経回路の繋ぎ替えというツールを現に人類が手にしたとき、「人間の幸福は思ったより単純ではない」という後退的な受け取り拒否しかできない怖さ、また、そういう形で対峙する未来の我々がその時点でのイデオロギーの中で既に多少なり”条件付けられて”いるであろうという怖さ。本書が描く社会では、国家による徹底的な教育が、人々をいとも簡単にその深みに頽落させる。

単なる戯画化されたディストピアを超えて、これは著者から未来の人類への、遠回しの警句である。

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