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noteを書くことについて自分なりの再定義

毎日投稿している方も多い中で大した自慢にもなりませんが、

3月以降なんとかnoteへの書き込みも週一を継続できています。

フォローをしていただいたり、「スキ」をしていいただいたり、

時にはコメントをいただいたり、

私の拙文に少しでも目を通していただいた方々に、

改めて心より御礼を申し上げたいと思います。

ありがとうございます!

本当にモチベーションが上がるし、素直に嬉しいものですね。

少し慣れてくると欲も出てきて、

もっと読んでもらうにはどうしたらいいか、

何万ビューを稼ぐ人ってどんなことを書いているのか、

すごい数の「スキ」をもらっている記事ってどんなものなのか

なども気になってきて

note必勝法、攻略法のような記事にも目を通しました。

もちろんそこに書かれていることはなるほどなあ、

と思うことでありましたが、、、

ただくるくる回ってたどり着いた素直な心境は、

私がここに書き込もうと思っていることは、

「noteを攻略する」ためのものではないのだよな、ということです。

私にとってはなのかもしれませんが

noteはちょうどよい世界感のプラットフォームです。

フェイスブックほど友達間で閉ざされたものでもなく、

ツイッターほど言いっぱなしのつぶやきでもなく、

インスタグラムよりは文章に比重が置かれていて、

ブログほど孤独にならずにいられる。

フォロワーを増やすにはこういったSNS間の連携もすべきだ、

というサジェスチョンもありますが、

ほかのSNSは自分の素直な思いを

「ちょうどよいサイズ」で語れないものなので

私はほとんど書き込みをしていません。

ですので連携することはあまり意味がないのです。

(あくまで私の場合ですが)

また「攻略法」ではなるべく「回数を多く書き込んで」、

更に「人に役に立つ記事を書くべき」とありました。

うん、もちろんその通りですよね。

できればそうしたいと思うのですが、

その前に興味のないことは書けないし、

人に役立つかどうかって人それぞれですよね。

そこに縛られすぎても苦行にしかならなくなってくる気もするのです。

それにやっぱりきちんと推敲もしたい。


noteで私が再確認できたのは、

文章を書くのって、楽しい、カタルシスだ、

ということです。

もちろん職業ライターであればこんな意識だけではいけないのでしょうが、

noteは人それぞれの思いと意識の宴会場だと勝手に思っています。

自分の感じたことを好きな文字数で書き込める。

しかも誰か少なくとも一人以上の人が見てくれている。

それだけで嬉しいのです。

大体私が興味があることなんて世の中的にはとてもマイナーなことで、

かなりコンプライアンス的にも問題があって、

それなのに「スキ」をしてもらえる人がいたらもう、

もはやそれは「同志」

としか言いようのないくらい親近感を持ってしまうわけです。

袖触り合うのも他生の縁ということわざを改めて思い起こしつつ、

興味の対象に共通項のある方、

実用書みたいなノウハウは決して私は語れませんが、

今後とも懇意にさせていただければと思います。


そこで今一度私がここで取り上げがちな記事のカテゴリーを

ハッシュタグで以下に整理しておきます。
 
#団鬼六 #官能 #小説 #SM #緊縛 #エロ #起業 #ビジネス #早期退職 #アラカン #老後 #コラム #小説 #横浜DeNAベイスターズ #野球 #ロック


#好きしてみて   (笑)

引き続きよろしくお願いします。


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