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情報をシャットアウトする勇気

最近、世の中の情報スピードの速さにビビってる。

YouTuberの名前を聞いても全然分からないし、流行りのドラマやバラエティも、最終回を迎えた後にふと観てハマるなんてことがよくある(だから「誰かと共有したい!」と思っても、今更なんだか発信しにくかったりする)。それらを知らないことに、寂しさと悔しさと諦めを感じている自分がいる。

確か中学生から高校生にかけては絶賛「流行を追いたい欲」があった。旬のお笑い芸人はもれなく把握したいし、ドラマは1話も見逃せない。だから自宅のテレビが壊れた時は、それはもう絶望を感じていた。

親にお願いし続けて買ってもらった待望の携帯電話は、友達・恋人とのコミュニケーション、情報収集手段の大半を占める重要ツールにのしあがった。高校生になると、htmlをポチポチ打ち込んで部活や中学の親友(心友)と個人ホムペ(モバスペでね)つくったり、友達の鍵付き日記のパスワードをアドレスから推測したり。当時はそれが最先端だったし、それが全てだった。

さて、10年後の私。

当時の友達から見た今の私は「(ウェブをメインに)地元で情報を発信する仕事に携わっている人」なのだと思う。これは推測だけど。

そして、そう見られているだろう自分を努めようとしている気がする。

でも、そんな自分を努めようとする必要はない。当たり前だけど、好きなように情報を取捨選択して、好きなように発信すればいい。

ただ、好きなように情報を選ぶのは、少し厄介なのだ。SNSに向かっていると、10年前とは比べものにならないくらいの情報が瞬時に入ってくる。選ぶまでもなく、それらはヌルヌルと頭の中にインプットされていく。一方で、情報発信アウトプットされないまま不完全燃焼を起こしている(多分これ、かしこい人は上手にミュート機能使っているんだろうなあ)。

また、最近は記憶力の衰えもプラスされ(脳に問題があるのかというくらい)、「これもう少し自分の中で咀嚼したい!」と思う情報を得ても、次に入ってくる情報までのスパンの早さと押し寄せてくる情報のビッグウェーブで脳がパンクしてしまうのだ。現代人が1日に触れる情報量は江戸時代では1年くらいの情報量ってデータに納得してしまったよ……。

(とはいえ、SNSというやつはいろんな人やものと出会わせてくれる最高なツール。脳内麻薬が出ているんじゃないかというほどクセになってしまう。危ない)

ハー何が言いたいのか良くわからなくなってしまったけど、ディスプレイから目を離す時間を増やして、無尽蔵に入ってくる情報をシャットアウトする勇気を持ってみること。これが今の私には必要な気がする。

長野での生活はまだまだ続く。TLに流れる情報から緩やかに離れ、シンカイで送る毎日に五感を研ぎ澄ませてみる。

2019年、アウトプットに野性味をプラスしていくぞ

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