「手」が開く対話の時間。「自分らしさ」を回復するリハビリ | 株式会社TMリハサービス 田村寛
「その人らしくあること」と日常生活。この二つは実に深く結びついている。私たちが毎日何気なく行う「歩く」「かがむ」「立ち上がる」といった動作。当たり前過ぎて、それら一つ一つを意識しながら動くことはないだろう。ただし、その動作ができることで私たちは日ごろ困ることなく生活を送ることができている。あらゆる自由に開かれていると言ってもいいかもしれない。
けれども、何らかの原因で歩くことが困難になったとしたら…。それまでの日常は一変し、その人らしさを形づくっていたものも崩れていく。
そんなときに活用されるリハビリ。その現場では療法士が患者を支えながら、一緒に体の動きを回復させていく。それは運動機能の回復以上に「その人らしさ」を回復させていく過程でもあった。
リハビリ難民の解消を地域から。ある理学療法士の挑戦
宮崎市瓜生野にあるリハビリ特化型のデイサービスセンター「TMリハサービス」。ここでは介護保険利用者を対象としたリハビリサービスを提供している。午前と午後の二部ずつ、送迎でやってきた利用者に対し、それぞれの心身の状態に合ったメニューを組み、運動機能・日常動作の改善に結びつくトレーニングやエクササイズ、マッサージなどを行っている。
施設の周辺は静まり返ると川のせせらぎ、ご近所のヤギの鳴き声が聞こえてくる。春の陽気のなかで時折吹き抜ける風の心地良さは格別だ。
そんな牧歌的で心安らぐ場所にデイサービスセンターをつくったのは田村寛さん。
寛さんは理学療法士として約20年間、宮崎市内の総合病院や地域の診療所に勤務していた。理学療法士は日常的な基本動作の回復・維持をサポートするのが主な仕事。病気や外傷、加齢によって身体に障害がある、または障害が出る恐れのある人へ、運動や物理療法を通じて自立した生活ができるよう支援を行う。いわばリハビリの専門家だ。
寛さんは病院で働くなかでさまざまな患者と出会ってきた。脳性麻痺、交通事故、手術などの影響からリハビリを必要とする人々、その年齢層も小児から高齢者まで幅広い。ただ、病院内では基本的に診断にかかる医師が必要と判断し、指示書が発行されない限り、患者がリハビリを受けることはできない。
さらに、医療として入院あるいは通院しながらのリハビリには日数制限が設けられている。たとえば、脳梗塞や脊髄損傷などの脳血管疾患は180日、骨折や関節リウマチなどの運動器系の疾患は150日といった具合に各疾患によってリハビリ日数が定められているのだ。
「制度や構造上の課題もあってリハビリを受けたくても受けられない方を見てきました。今でも『リハビリ難民』として全国で問題になっています。また、通院でのリハビリの場合、移動手段の問題もありました。本人が自力で来ることができればいいのですが、体の症状や高齢だったりして誰かに送迎してもらわなければ通えない方もいます」
デイサービス(通所介護)ならば介護保険が適用され、日数制限に縛られることなく利用者がリハビリを受けることができる。さらに施設側から送迎できるため移動手段の確保もできる。病院で行われているリハビリの質はそのままに、地域のなかで必要な人々に居場所とサービスを提供したい。そうして、2015年にTMリハサービスの事業を開始したのだった。
気持ちを伝えるのは言葉ではなく「手」。「触れる」ことで生まれる対話
デイサービスでは健康チェックにはじまり、施設スタッフの介助を得ながらトレーニング、機械を使った治療を行っている。
理学療法士によるリハビリは日常生活上の動きのなかでも「歩行」に関するものが多い。寛さんによると、歩行が困難になる理由は加齢や病気など身体的な要因もあるが、心によるものもあるという。ケガなどでバランスが不安定になると、立ち上がること、歩くことに恐怖感を抱く人もいる。
「あらゆる原因を追求して仮説を立て、検証する。この『仮説 → 検証』の流れは僕らの仕事ではすごく重要。利用者さんの体に触れることで、あらゆる部位の動く・動かないを感じとり推論しながらメニューを組む。症状の改善状況を見つつ、それの繰り返しですね」
半日のプログラムのなかで必ず一回はこの「触れる」時間を設けている。体の様子を診ることはもちろんだが、触れることで利用者が安心する側面もある。
「『手当』という言葉があるように、手が当たっているだけでも心身の痛みが和らぎ楽になることがあります。僕らの強みは『触れる』ことができる点にある。触れることは緊張をほぐしたり安心感を与えたりと心のリハビリにも通じるところがあります。体の機能回復以上の意味が生まれるんです。そういう時間を僕らは利用者さんと共有することができるんですよね。デイサービスに来たことで少しでも痛みが和らいで、触る前と後で変化があるリハビリをしたいと日々思っています」
治療や介助は利用者と二人一組のペアになっていることがほとんどだ。そのとき、介助者はしてもらいたい動作を言葉で伝えるが、それ以上に手で触れて一緒に動くほうがお互いの気持ちが通じ合うという。
「相手と一体化することで心を伝えるというか。僕がこう動いてほしいなと思っていても、手を介して『あ、嫌なんだな』『こっちの方向は許してくれるな』と相手の気持ちが伝わってきます。僕の思いが強すぎてもダメで、キャッチボールを繰り返すことでいい方向に体が動いてくれる。言葉じゃないコミュニケーションといいますか。僕の気持ちを伝えるのは言葉よりも手なんです」
一緒にいる時間を大切にしている分、利用者の些細な変化を見落とさないようにしている。体の動きに鈍さがある、目の焦点が合っていないなど気がかりなことがあれば、家族やケアマネージャーに情報共有。手遅れになる前にすぐ動くことが肝心だと寛さんは語っていた。
「痛み」を和らげることは相手の尊厳を守ること
2015年の開業以来、業績も伸び新たな施設の構想もあったところに襲ってきたコロナ禍。デイサービスの主な利用者は感染すると重症化しやすいとされてきた高齢者たち。外出自粛や接触への不安、家族の配慮からデイサービス利用者が激減した。
今までは距離が近いこと、一緒にいる時間の長いことが強みとして機能してきたが、事態は一変。かえってリスクとして受け取られることになった。
「『触れない』という選択肢は僕のなかにはありませんでした。そこはマスク、手指消毒、空間の24時間除菌など対策を徹底していることをお知らせするしかなく。通っていただいた方には今まで通りのサービスを提供して安心していただくことに努めていました」
ただ、このままでは事業を継続していくことができない。利用者が通所を不安に思うのであればと新たにはじめたのが訪問看護ステーションだ。支援対象者はデイサービスと異なるが、自宅に訪問すれば不特定多数が密になることもない。必要な人に対しては理学療法士が訪れることでリハビリを行うことができる。
訪問看護をするにあたって、寛さんにはある想いがあった。それは「その人らしく生きるための選択肢を増やす」こと。
「介護が必要な方で家にいたい、人生の最期を家で迎えたいという方は多くいます。反対に、施設や病院にいるほうがスタッフやお医者さんがいて安心だという方もいます。その方が望むことなら僕は両方とも尊重したい。生き方は自分で選べるほうがいいですから。その選択肢が家であるならば訪問看護という手段があることを通じて、家で心地良く生活できる時間を長くしてあげたい。本人が望む生活を少しでもサポートできたらなって考えていますね」
その考えは、過去に経験した終末期の高齢者に対する訪問リハビリが影響しているという。そこで行われたのは治療目的ではなく、体の痛みを和らげるためのマッサージ。亡くなるそのときまで心身の苦痛を遠ざけ、その人らしい一生を全うするお手伝いをする。
「痛いのは誰だって嫌だ」
体の痛みを和らげることが精神的な支援にもなり、その人の尊厳を守ることにもつながる。
「体の痛みが少なく、歩くといった日常の動作が行えれば、できることが増え、生きがいを持って生活することができます。その時間が少しでも長くなるよう支援するのが僕らの役目。日々を快適に過ごすためにデイサービスや訪問看護を活用して、リハビリしていただけたらなと思います」
(取材・撮影・執筆|半田孝輔)
(写真提供|TMリハサービス)
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