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大学1年生の思い出【黒歴史】

4月になり、新生活がスタートしました。期待に胸を膨らませている方もいれば、絶望感に満ちあふれている方もいらっしゃるのかな?今回は、僕が大学入学が嫌で仕方なかったときのお話をしようと思います。

僕は静岡県の公立進学校の落ちこぼれで、現役時が全落ち、一浪時は私立大学しか受からず国立は全滅でした。不本意な結果で、進学する気がなくなっていましたが、親に反対されて大人しく合格した大学に進学しました。超がつくほどの親不孝者で、いまこれを書いている瞬間も自分をしばきたい気持ちを頑張って抑えています。

入学時は、かなり拗らせていて意味不明な発言もよくしていました。これは浪人生のときに時間がありすぎて自分の人生を考える時間が増え、気づいたら哲学チックな問いの答えを永遠に考え続けるようになってしまったからだと思います。
(話は少し逸れますが、今年浪人しても1年頑張る決意をした受験生の皆さんへ。1年間勉強を続けること自体はそんなに難しいことではありません。寧ろ、感情や自己肯定感をコントロールすることのほうが難しいです。無心に頑張り続けられれば問題ないですが、10代の多感な時期に感情を殺して頑張るというのは普通の人間だと難しいです。何でも良いので心の支えを持っておくこと、信頼して自分のことを相談できる人がいることがとても重要です。メンタルケアが重要なことをここで強調しておきます。)
受験の結果というものさしでしか自分を測れなくなり、ベストを尽くした結果とはいえ不本意なものだったため、当時、自分のことが本当に嫌いでした。本当に情けない、その思いは暫く消えないままでした。

とはいえせっかく大学生になったし、楽しみの1つや2つあっても良いだろうと思って、入学前に知り合った友達の影響もあって、混声合唱のサークルに所属することになりました。バイトも始め、典型的な大学生としての生活を送っていました。

自分の弱さというのは隠しきれないもので、現実逃避のつもりではなかったのですが、1年生の夏休みに行ったサークルの夏合宿で浴びるように酒を飲んでしまい(1浪マンなので20歳になっています)、周りが潰れている風景を見ながら自分はなんてクズなんだと心底思い、生きるのがしんどいとすら思っていました。夏休みの残りの期間はサークルにも顔を出さず、バイトにも行かず、実家で休養をしていました。

その翌年には成人式を迎えました。行く気がなかったのですが、中学時代の友達に声をかけられ参加することになりました。中学時代は成績が良く、県内トップの進学校に進学したため、大学はどこへ進学したか色々な人から聞かれましたが、あれは本当に嫌でした。いま思えば自意識過剰だったと思いますが、進学校基準でものを見過ぎていて、自分の感覚が一般的なそれとは乖離していたことにそこで初めて気づきました。自分の返答の仕方で不快な思いをさせてしまった人が一定数いたかと思います。本当に申し訳ないことをしたと思っていますし、出来るのなら成人式に参加している僕を呼び出してボコボコにしたいです。

成人式が終わってから、何故か高校のクラスメイトであり浪人仲間でもあった友達に間違えて電話をかけてしまいましたが、そこから2時間ほど話をしました。彼も第一志望校には行けなかったのですが、僕とは違ってしっかり切り替えをして大学生活を充実させているようでした。自分は視野も狭く、精神的にも未熟だったと痛感させられたのと同時に、少し救われた気持ちにもなって、あのとき間違えて電話をかけて良かったなと思いました。

そこからはサークルを辞め、自分がやりたかったことに真剣に向き合うようになりました。具体的にはマラソンをアマチュアでですが競技志向でやることと会計関係の資格取得です。どちらも未知の領域で最初は結果を残せるか不安でしたが、最終的には地道な努力が報われ、自信を少しは取り戻すことが出来ました。このあたりのことはまた別の記事で書こうと思います。

たとえ行きたくない大学に進学したとしても、自由に使える時間が多い大学生になったことに変わりはないから、変な拘りやプライドはさっさと捨てなさいということがこの記事を通して一番伝えたかったことです。何も大学でやりたいことなんて、大学でしか学べない学問だけではないはずです。僕が見てきた中で、拗らせているやつというのは基本的に殆んど何もしていません。口を開けば後悔や言い訳、絡んでいてもろくなことがありません。サークルに所属したことは無駄だったとは思わないですが、1年間無駄にした僕を反面教師にして、充実した大学生活のスタートを切ってもらいたいと思います。

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