社会的認知と自覚、責任

[時間堂 会社になる05] 時間堂P晴香です。先日は念願のスタジオオープニングイベントでした。たくさんの方に祝福していただいて、スタジオはtoiroan 十色庵と名を改めました。ご来場くださった方も、会場とは別の場所でお祝いくださった方も、ほんとうにありがとうございました。

さっそく演劇以外の使い方もしたりしてますが、基本は時間堂の創作活動の拠点、基地、ホームとして活用していきます。お気軽にお立ち寄りください。稽古やイベント、ワークショップのない日でも。あ、誰もいないと困っちゃうので、いらっしゃるときは時間堂宛にご相談くださいませ。

さて。

イベントの最終日、「アーティストの『拠点』と『経営』~東京の小劇団が専用スタジオを持つまでとこれから~」というトークをさせていただきました。私、企画当初は前に出るのが嫌で、散々渋ったんですが、結果としてはしゃべってよかったなぁと思っています。

ちなみに嫌がった理由には「人前に出るのが嫌」という個人的な志向性もさることながら、「時間堂みんなが当事者なのに、堂主とプロデューサーだけが前にでて話す、みたいなのは違うんじゃないか」という、一応、理屈もありました。法人化だのスタジオ所有だの、おおがかりな動きが重なっていて、それに劇団が一枚岩体制で取り組めているかというと、本音で言えば自信が持てなかったのです。その状態で私が前に出て話すことにはとても抵抗感がありました。

しかしその心配は、司会をしてくださった佐伯さん(SPAC 静岡県舞台芸術センターの制作で、時間堂の「味方」)というスーパーマンによって杞憂に終わりました。佐伯さんがほかの劇団員の声を引き出したり、事前に「時間堂」と「大森晴香個人」の意見を整理するような問いかけをしてくださったりしたお蔭で、私もほかの劇団員も、たどたどしいところもありつつ自分の言葉で、お客さんの前で自分の未来への展望を語ることができました。

言葉にして聞いてもらう。それも普段共通言語を持つ人だけではない場で。これは本当に貴重な時間でした。佐伯さん、本当にありがとうございました。

…で、本題(やっと)。そこでもちらとお話しした「意識」のお話です。

社会的認知と自覚、責任」とはなんぞや。

実は先日劇団ミーティングで衝撃の事実が発覚しました。「劇団を会社にする理由~メリット編~」の中で、「芸術団体の持続可能性を圧迫する5つの問題」と書いたのに、よく読んだら4つしか書いていないっ。2番がないっ

がーん…。

というわけで、もうひとつ、そしてもしかしたらこれが一番大きいかもしれないものをここで追記します。それが「社会的認知と自覚、責任」です。法人化することで、もっとも劇的に変わるんじゃないかと思っていることが、この2つなのです。

「社会的認知」とは、平たく言うと世の中で演劇をやっていないひとびとから見た演劇の「イメージ」。それも、我々のような小さな空間で作品発表をしているいわゆる「小劇場劇団」のイメージです。「お金にならない」「自己満足」「ご趣味」などなど、職業として見られているかと言ったら程遠いもの。同じ夢を持ったキラキラした仲間とのサークル活動貧乏になってもしょうがないよね好きなことやってるんだから、という見られ方が、極端ですけど無きにしも非ず。

でも、「専門の訓練を積んだ人間が時間とエネルギーをかけて作品を作ること」が仕事でなかったら、これはどう考えたらいいのでしょう。どうしたら、これが職業であると認識されるのでしょうか。こうなってしまった原因には品質の問題もあるとは思いますが、私は「劇団がサークルである」というところにも少なからずあるのではないかと思っています。だって、サークルでしょ?同じ趣味の仲間が集まってるんでしょ?それってご趣味でしょ?というのはごもっともなご意見だから。

一方、「自覚、責任」というのは中の人間、つまり演劇をやってる側の問題を指します。自己満足と言われても仕方ないクオリティ、当たり外れがあるのが当たり前、はてはバイトがあるので稽古は休みます、などなど…。その背景には、多くの小劇場現場で技術スタッフ以外は手弁当、という現実があります。いまだにノルマがあったり(それも俳優だけ)、出演料はほとんどもらえず「チケットバック」と呼ばれる自分が直接販売したチケット売上の一部をもらうだけだったり。稽古に通う交通費も自分持ち。稽古が佳境に入ればバイトも仕事も休むから無給。この状況で、「プロ意識を持つ」「職業演劇人としての責任を果たす」と言われてもピンと来ない人もいるでしょう。あるいは言葉ではわかっていても、実質が伴わないケースなんてごろごろあります。

でもね、たとえそこで出演料や演出料がもらえなかったとしても、お客さんにチケット代をお支払いいただいている以上は、それは立派なお仕事です。職業です。入場料はサービスの対価なんですよね。本当に趣味として楽しみたいのなら、入場料をいただかない発表会をやったらいいんです。有料公演をやるなら、プロフェッショナルとしての責任を果たすべきです。ただし、どれだけ「自分はプロだ」と息巻いても、我流で自己満足作品をつくって世に出して、お友達で会場は満席、お友達がお客さんだから結構ウケたりして気持ちがいい、それは、仕事ではありません。そこは勘違いしてはいけない。職業にするのであれば、対価をいただくにふさわしい演劇人になるトレーニングを修める、あるいは日常的に受けて然るべき

この、「中のひとの意識」についても、法人格を持つことはかなりの影響力を持つのではないかと思います。単純にお給料がもらえる=仕事っていうことだけじゃなくて、職業組織の一員であるという立場に変わる、あるいは、自分の関わった演劇活動が会社を運営し、税金を払い、人を雇うことになる。これはサークルにはないことです。

着地が見えなくなってきちゃったのでこの辺で切り上げますが、要は、劇団であれ会社であれ、「心を持った人間がやる」ことなのです。そこが一番影響力を持っている。そして、そこには課題もある分、働きかけたらドラマティックな変化も生じるんではないかな、というのが私の考えていることです。

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そろそろ次の段階に話を進めてみようかな。何をして社会に価値を提供し、正当な対価をいただこうと考えているのか。ここまでの流れでは「演劇は仕事になりにくい」情報ばかりがダダ漏れで、「情熱だけじゃビジネスにはならないのだよ」って声が聞こえてきそうです(笑)

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【宣伝します】
今日は演劇人の職業意識について書きましたけど、私、基礎訓練をおろそかにする俳優は舞台に立たないでほしいと、毎晩お祈りするくらいには俳優トレーニングを推奨しています。俳優にとっての商品、武器は、自分自身でしょう?どうしてそれをメンテナンスしたりチューニングしたり、そもそも鍛えたりしないんでしょうか???
驚くかもしれませんが、あまたある小劇場劇団で、理論と経験両方に裏打ちされた俳優訓練をできているところはごく少数だと思います。プロデュース公演の増える昨今はなおさら、なんの基礎訓練もなく舞台に上がってしまうことも増えています。新入社員研修を受けていない新人に、いきなりひとりで大事な交渉をさせるみたいなもんですよ、これ。商品知識ゼロで営業に行く、とたとえてもいかも。おそろしい。私はここに、「小劇場の当たりはずれ」の一因があると思っていて、世の俳優たちに自覚を深めてほしいとお節介ながら念じているわけです(もっと言えば、演出家やワークショップリーダーたるもの、勉強しないで演出や俳優指導をするなんざ100年早いと思います)。

…ちょっと口が過ぎましたかね。何が言いたいかって、うちのワークショップはいいですよ、という話です。マイズナー・テクニックを修めて自劇団以外でも多くの指導経験を持つ指導者がいて、彼によって訓練を受けている俳優が一緒に受けます。演劇の訓練とは、訓練された俳優とは、ここにひとつの答えがあります。

【時間堂 演技:オープンクラス】
●日時:2014年6月22日(日)13:00~16:00/24日(火)19:00~22:00
●会場:toiroan 十色庵
●参加費:3,000円/回
●対象:職業俳優としての意識のある方(もしくは志望者)
お申し込み方法などはこちらをどうぞ。
7月の日程も出ています。

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