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21 インテリ視点でしか語られてこなかった仏教/日本の仏教が葬式仏教になった理由②

 仏教には、三つの担い手がいる。

  第一の担い手は、仏教のエリートである。宗派の中で、専門に教学(宗派の教えを研究する学問を教学という)を研究している人、修行を専一に行っている人、あるいは宗派の指導者などである。 

 現代では、教えを研究する僧侶は、宗派の研究機関に属していることが多い。ほとんどの宗派が、教学部など、教えを社会に適応させるためのセクションを持っていたり、教学研究所のような研究施設を併設したりしている。また、資金力のある大きな宗派になると、大学を経営している場合もある。東京の駒澤大学や立正大学、京都の仏教大学や龍谷大学などがそれであるが、こうした宗門大学には、仏教学部があり、そこで教学の研究や僧侶の育成が行われている。さかのぼって江戸時代などでも、各宗派には学林などの研究機関があり、学僧と呼ばれる僧侶らが、そこで教学の発展に努めていた。 

 また、多くの宗派は、修行道場としての寺院を持っており、僧侶らが修行を続けている。有名なのは福井の永平寺で、そこで修行をする修行僧の映像をテレビで見たことのある人も多いだろう。修行は、数ヶ月で終える僧侶もいるが、数年、あるいは一生続ける人もいる。

  さらに各宗派の本山などには、宗教的なトップともいうべきポストがあって、宗教的指導者かつ象徴的存在として、宗派を統括している。呼び名は、宗派によって様々であり、座主、化主、法主、門主、門首などいった名称がある。選ばれて就任する宗派もあれば、世襲制で就任する宗派もある。

  こうしたトップだけでなく、それに準ずる立場の指導者もあり、僧侶の指導や一般信者の教化を行ったり、宗派の方向性を決めたりしている。 

 こうした教学研究者、修行僧、そして宗教的指導者などが、仏教のエリートということになる。

  いつの時代にも、こうしたエリートが活躍をしており、高度な知識や宗教的感性に裏打ちされた僧侶らが、常に仏教をリードしてきた。そして、その究極が、空海、最澄、法然、親鸞、道元、日蓮といった、各宗の祖師方ということになる。

  ついで第二の担い手は、一般の僧侶である。現場の僧侶と言ったほうがいいかもしれない。

  現代では僧侶のほとんどは、先に述べた宗門大学を卒業していて、修行寺での修行を経験している。ただし多くは、大学を四年間で卒業し、一定期間の修行で自分の寺に戻ってしまう。その後も大学や修行寺に残る僧侶は少ない。宗門大学も修行も、あくまでも僧侶の資格を得るためのステップに過ぎないと考えている人が多い。

  そしてこうした僧侶らの活動の場は、街の寺であり、村の寺である。そしてそのほとんどが檀家寺であり、信者寺である。

  実は檀家寺や信者寺の僧侶にとって、大学で教わったような仏教の教えを説く機会は驚くほど少ない。法話会をしてもあまり人は集まらないし、葬式や法事が終わった時に法話をしても、聞くほうはその場限りということが多い。

  現場では、大学で教わった教学や、修行道場で努めた修行とは、まったく別の事柄を求められるのである。仕事の大半は、葬式を中心とする先祖供養に関する儀式、厄払いや家内安全、商売繁盛など祈祷の儀式、あるいは、檀信徒との世間話などである。檀信徒の大半は、教えより、先祖供養や祈祷を望んでいる。そうした現実と向き合い、人々の多様な要望に応えながら宗教活動をしていくのが、一般の僧侶なのだ。

  そして生きた宗教としての仏教は、実は、この一般の僧侶たちが担っている。人々と仏教をつないでいるのは、こうした現場の僧侶らである。エリートと民衆のつなぎ役とも言える。

  これが第二の担い手である。

  そして第三の担い手は、仏教徒すなわち一般の檀家や信者である。僧侶でないが、仏教に縁のある在俗の人たちである。

  文化庁の資料によると現在日本には8690万人の仏教徒がいるとされている。

  その大半が「なんとなくの仏教徒」である。もちろん、熱心に教えを学び、実践している「ちゃんとした仏教徒」もいるが、それは常に少数派である。

  一方「なんとなくの仏教徒」は、普段は、あまり仏教のことを考えることはない。亡くなった家族のことを思い出したりすると、仏壇やお墓の前に行って手をあわせるが、そこで教えを意識することはほとんど無い。

  こうした「なんとなくの仏教徒」が多数派であるというのは、現代だけの特徴ではない。これは日本に仏教が定着してから、変わることのない特徴であった。仏教は長い間、こうした「なんとなくの仏教徒」に支えられてきたのである。

  なぜここで三つの担い手について解説したかというと、これまでの日本仏教史で、見落とされてきた視点だからである。

  実は、これまで語られてきた日本仏教の歴史は、ほとんどが第一の担い手、つまりエリートの歴史である。社会の上澄みの歴史と言っても過言では無いだろう。 

 仏教史において、第二の担い手である一般の僧侶や、第三の担い手である檀家や信者が語られることはほとんどない。本当は、この第二の担い手、第三の担い手にこそ、苦しみと救いに満ちた、活き活きとした宗教が生きているはずなのにである。

  現代社会において、仏教の勢いが無くなっていると言われて久しい。その理由として、熱心な仏教徒が減ってしまい、仏教が形骸化してしまった、ということを挙げる人が多い。

  しかし、教えを一生懸命学び、実践する人だけが、仏教徒なわけではない。それに、そもそも昔の仏教徒は誰も彼もみんな熱心だった、ということがあるだろうか。今も昔も、人間はそんなに変わらないはずである。昔は、みんな「ちゃんとした仏教徒」だった、などという考えは幻想である。

  一般に語られる仏教の歴史は、第一の担い手、つまりエリートの歴史に過ぎない。そこに出てくるのは、「ちゃんとした仏教徒」ばかりである。

  しかしそれは、水の上に出た氷山の一角に過ぎない。水面の下には、大きな塊があるのである。そのひとつが、第三の担い手である仏教徒であり、とりわけ「なんとなくの仏教徒」である。そして第二の担い手である名も無き僧侶らが、こうした「なんとなくの仏教徒」を対象に宗教活動をしてきた。 

 この第二の担い手、第三の担い手を見ること無しに、ほんとうの日本仏教は見えてこないのである。(続く) 

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