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10 ある一周忌のエピソード(山田太郎の場合)/葬式仏教という宗教①

 山田太郎は、ごく普通の会社員である。

 一年前、静岡の実家に住んでいた母親が亡くなって葬式を行った。父親は十年前に亡くなっていたので、喪主は太郎だった。

 そして今回、一周忌を行うことになった。やはり施主は太郎である。場所は、お墓のある静岡のお寺、お経はそこの住職さんに読んでもらうことになった。

 その日の朝、新幹線で東京から静岡に向かう。太郎と太郎の妻、大学生の娘の三人である。子どもは他に、結婚して別に暮らしている兄がひとりと、高校生の弟がいる。この二人にも法事に来るよう伝えたのだが、いろいろと言い訳を言って、結局、どこかに遊びに行ってしまった。

 静岡駅に着いたら、姉夫婦が迎えに来ていて、そのまま車でお寺に向かった。お寺に着くと、弟夫婦とその二人の子どもが先に来ていて、住職さんと談笑をしていた。

 儀式が始まると、住職さんがお経を唱え始める。いつもこの時間は苦痛だ。意味のわからない呪文を聞いているようで退屈してしまう。でも、さすがに今回は退屈を感じない。母親のことを思い出して、「ああ、あの世でも幸せでいてくれよ」と思い、手を合わせていた。

 お香の薫りも、意味のわからないお経も、この日は妙に心地よかった。お経を唱える住職さんの向こうには、仏像が見える。それを見ていたら、「ああ、母さんは、仏さまのところに行ったんだな」と思えてきた。仏教のことはよくわからないけど、仏さまの顔を見ていたら、そんな気持ちになってきた。そういえば今まで何回もこの本堂に来ているが、正直仏像の姿を気にしたことは無かった。

 普段は、あの世のことなんて考えたことはないし、「あの世はあるのか?」と聞かれたら、「そんなのあるわけないよ、何、非科学的なことを言っているんだ」と答えるようなタイプだ。そんな太郎が、法事の時にあの世を思い浮かべる感覚は、客観的に見れば不自然だが、まあそんなものかもしれない。

 しばらくしたら、住職さんが順に焼香をするように言ってきた。それで仏前に進むが、焼香の回数がわからずアタフタしてしまった。いつもは、先に焼香をした人が何回やるかを見て、それを真似ていたのだが、今回は自分が最初である。真似る人がいないのだ。

 すると住職さんがそれを感じたのか、「焼香は三回、それから手を合わせてください」と言ってきた。おかげでホッとして、焼香を三回行った。次いで、姉から順にみなが焼香を行った。

 焼香が終わってしばらくしたら法事は終わったようで、住職さんが仏前から降りてきて法話をしてくださった。母親の子ども時代の話を交えた法話だった。

 母の葬式の時のことを思い出した。

「そういえば住職さん、葬式の時にも、うちの母親と小学校の同級生だったということを話していたなあ。あの時は私たちが知らない母の思い出を話してくれたけれど、今回も、子ども時代のことを話してくれた。何かありがたい話もしてくれたはずだがそっちの話は何も憶えていない。でも、母のことを色々話してくれたのは、ほんとうに嬉しかった」

 これまでこのお寺の住職さんと、数えるくらいしか会ったことはない。でも母親が家のことをよく話していたらしく、太郎たちのことを良く知っていて、なんか昔から家族ぐるみのつきあいをしていた人みたいだなあ、そう感じた。

 法事を終えて本堂を出てから、裏の墓地に向かった。一週間前に姉が来て、お墓の掃除をしてくれたようだ。

「たいへんだったわよ。雑草がすごく伸びていて。半年くらいで、けっこうすごいのよね」

「そういうのは、ずっとこれまで母さんがやっていたんだな。これからは、交代でやらなくちゃな」

 お墓のことも、お寺のことも、みんな母がやっていたので、兄弟は何も知らないのだ。今更ながら、元気なうちに教わっておけばよかったと思った。

 線香の束に火をつけて、みんなに配り、一人ひとりお参りをした。そして、お参りをしながら、ふと、次にこのお墓に入るのは自分なんだなということに気づいた。そう考えると、無理を言っても息子たちを連れて来るべきだったなと、今更ながら後悔した。

 お寺を出て、車の中で姉とこんな会話を交わしながら、会食の料理屋に向かった。

「法事っていうのは、何だかやるといいもんだね」

「私はよく解らないわ。別にやらなくてもいいと思ったんだけど、でもねえ、何かやらないとすっきりしないっていうのはあるわね」

「まあ、久しぶりに兄弟が集まれてよかったよ。これも母さんのおかげだな」

 鈴木さんは、「たいした事はしていないんだけど、慣れないことをしたせいか、少し疲れた気がするなあ」と思った。ただ、心地よい疲れであることも確かだった。太郎は、ようやく長男の務めを終えた気がした。(続く)


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