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14 お盆の原風景/葬式仏教の世界観①

 葬式仏教には、いわゆる仏教の世界観とは異なる宗教世界がある。

 仏教の教義的な宗教世界は、実に壮大な世界である。お経ごとに様々な物語や世界観が広がり、複雑かつ緻密なことも特徴だ。

 それに対して葬式仏教の宗教世界は、素朴で、感性的な世界である。日本の風土から生まれた宗教世界と言ってもいい。

 この葬式仏教の宗教世界をもっともよく表しているものに、お盆がある。お盆の期間、家庭で行われる営みは、まさに死者との交流の物語となっている。お盆の数日間、亡くなった人があの世から帰ってきて私たちといっしょに暮らすという物語だ。

 毎年八月のお盆休みになると、新幹線も高速道路も激しく混雑する。都会で暮らす人ほど故郷への思いが強いのだろうか、大半が都会から故郷に帰る人である。お盆を単なる夏休みだと捉えている人もいるかもしれないが、故郷で亡くなった先祖と暮らす季節としての存在感は未だ衰えていない。

 お盆の習慣は、地域によって若干の違いはあるものの、大きな流れは全国どこへ行っても共通している。

 盆の入り(八月十三日のことが多い)の夕方に、家々の玄関先で、オガラに火をつけた迎え火を焚くことからお盆は始まる。地域によっては、お墓の前で焚くところもあるようだ。オガラというのは、麻の茎を乾燥させたもので、この時期になるとスーパーや花屋さんの店先に並べて売られている。これも地域によって異なり、藁であったり、白樺の皮を使うところもあるようだ。

 この迎え火、亡くなった人の霊を迎えるもので、煙を目印にして家に帰ってきてもらうとか、煙に乗って帰って来てもらうとか、いろんな説の由来がある。お墓で焚く場合は、その後提灯に火を灯して、家族が家まで案内して連れて帰ってくるというのが一般的である。

 家では、仏壇の前に精霊棚をしつらえて、先祖が帰ってくるのを待つ。精霊棚のお供えには、さいの目に切ったナス、キュウリ、ニンジンを、水で研いだお米に混ぜた「水の子」など、お盆特有のものが多い。

 キュウリに割り箸の脚をさした精霊馬も、お盆らしいお供え物だ。馬に乗って早く帰って来て欲しいとの思いがこめられている。

 それからの数日間は、先祖と一緒に過ごす時間だ。お供えをして、日々、精霊棚や仏壇にお参りしつつ、故人の存在を身近に感じながら過ごすことになる。

 盆の明けである十六日の夕方、今度は送り火を焚いて先祖の霊を見送る。この時、精霊棚には、お帰りになる先祖の乗り物として、ナスに割り箸をさした牛をつくって置いておく。こうして、先祖とともに過ごしたお盆が終わるのである。

 ちなみに京都の夏の風物詩である五山の送り火や、長崎で行われる精霊流しは、お盆に戻ってきた先祖をあの世に送るためのもので、家庭で行われている送り火と同じものである。

 お盆の習慣は、次第に簡略化されつつあるものの、現代でも無くなることはないようだ。お盆に亡くなった人の霊を迎えて数日間過ごすという感覚は、今もって日本人の心の中に深く刻み込まれている。

 私は東京に住んでいるが、七月のお盆の時期になると(東京のお盆は七月)、迎え火や送り火を焚く風景を必ず見ることができる。どこからともなく煙が漂ってきたのを見て、「そうか、もうお盆か」と気づくこともある。都会でも、未だこうした習慣は廃れていない。

 亡くなった人を迎える、ということは、こちらの世界で生きている人にとって、幸せなことである。故人とふれあい、故人と会話をして、故人に見守ってもらう。日本人はみな、故人とつながっていたいのである。それが葬式仏教の原点であるのだ。(続く)


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