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「ふつう」や「みんな」に頼りたくなるとき

何か考え事をしているときに、ふと「ふつうはどうなんだろう」「みんなどうしてるんだろう」という気持ちが湧くことがある。

例えば、自分のお小遣いのこと。みんな自分で自由に使えるお金をどれくらい確保してるんだろう、とか。他にもいろいろ。仕事のこと。子どものこと。暮らしのこと。お金のこと。

「ふつうは」とか「みんなは」と考え出したとき、わたしは「おっといけない」と、頭をぶんぶん振ってその思考を振り払う。

「ふつうはどうなんだろう」
「みんなどうしてるんだろう」

そう思うのはたいてい、他人と自分を比較することで「自分の現在地」を知ろうとしているとき。世の中の平均や、周囲の人たちとの相対的な関係で「いまの自分」を測り、評価しようとしてるとき。

それ自体が悪いというわけではないけれど、わたしはかつて「ふつう」と「みんな」のことばかり考えて自分を見失ったことがあって、それ以来、ちょっと気をつけている。

「ふつう」と「みんな」を考え始めるとき。

それは「自分はどう思うか」という意見を持つことを恐れていたり、面倒に思ったりして、ラクな思考回路を選ぼうとしているときだ。自分の頭で考えるのって、大変じゃない? だったら "ふつう" をなぞっておけば、いいじゃない? って。

でもそうやって自分の頭で考えるのを放棄し続けた結果、自分がどうしたいのかも、何を感じているのかもわからなくなって「ぜんぜん自分を生きてる感じがしない」と絶望してからというもの、「これではいけないんだな」と心に刻んだのである。

ふつうはどうか、みんなはどうしてるのか。

そんなことよりもまず、自分はどう思うのか。

それは、自分のものさしを持つということ。自分の頭で考えること。考えることをあきらめないこと。自分の人生を生きるということ。

ふつうはどうであれ、みんながどうであれ、自分が「これが良い」と思うのならば、それでいいじゃない。それが、自分の人生のハンドルを、自分で握るということなのだと思う。

「ふつうはどうなんだろう」とか「みんなどうしてるんだろう」と考え始めるたび「いやいや」と自分にツッコミをいれて、自分で考えることをあきらめずにいたい。

ただし「ふつう」や「みんな」に頼りたくなった自分の不安や、心許こころもとなさも、無視せずに。霧のかかった薄暗い道で、迷いながらもひとり黙々と思考を進める自分を、いたわりながら。

***
おわり

運営しているブランド「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートを販売しています。毎週月曜&金曜が発送日です。

2022年9月6日〜11日は夏季休業のため、9月5日以降にいただいたご注文・お問い合わせは、12日にご対応させていただきます。


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