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ライフスタイルに正解なんてなくて

わたしは、どんな生き方がしたいのだろう。

どこで暮らし、誰とともに居て、どのような時間を大切にしながら、日々を過ごしていきたいのだろう。

そんなことを考えるときに、たぶん多くの女性にとって、頭にチラつくことがある。
それが、結婚と出産、育児のこと。

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ここのところ、立て続けに「結婚や出産についてどう考えていますか?」と聞かれる機会があった。いずれも、わたしより若い20代の女の子から。

わかる、気になるよね。
正解なんてない世の中で、選択肢を増やすためにも、自分を苦しめないためにも、いろいろな引き出しを持っておきたいなと、わたしも思う。

その子達はみな「こんなことを聞いて、嫌な気持ちになったらすみません」とも言う。こういう話は人によって心の繊細な部分に触れてしまうこともあるから、なかなか聞けないのも、わかる。

だからこそ、書いてみようかな、と思った。
わたしは、聞きにくいことや言いにくいこと、本当はとても気になるのに、空気を読んで黙ってしまうようなことを表現できるのが、インターネットの良いところだと思っているから。

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最近、周りの友達や年下の子達から、結婚に対する焦りとか、考えとか、そういうのを聞くことがよくある。

先日も「結婚に焦っている」という子から「ミキさんは25歳で結婚して早抜けしたから、勝ち組で良いですよねえ…」と言われた。

こういう焦り、わたしの中にも無いわけじゃない。結婚に限らず、人生において、周囲に取り残されることへの焦りは「これでもか」というほど感じてきたから。

でも、焦りを原動力に人生のコマを進めても、実はゴールなんてないということも、もうわかっている

結婚で「早抜け」しても、次は出産、育児、子どもの成長、住む場所…などなど、他の人と比べられるポイントなんて無限にある。焦って進んでも、また新しい焦りポイントが生まれるだけだ。

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知っている人もいるかもしれないけれど、わたしは2年前に一度だけ、妊娠したことがある。

あの時のわたしはとても傲慢で、「30歳までに出産してみたい」なんて思ってた。当時29歳。ギリギリ間に合ったなあ、なんて笑いながら言ってたと思う。

でも、その妊娠は、8週間で突然終わりを迎える。

恥ずかしながら、わたしはそこで初めて「自分にはどうにもできないことがある」と腹落ちしたのだった。自分の努力ではどうにもならないことがあるのだ、と。

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人生の中には、自分で選べることと、そうでないことがある。

仕事や、住む場所、誰のことを大切にするか、日々をどう過ごすかは、自分で選べることだ。一方で、相手の気持ちや、生命の始まりや終わりについては、自分にはどうしようもないことで。結婚や出産は、その最たるものだと思う。

「自分にはどうしようもないこと」を、あたかも自分でどうにかできることのように考えるのは、とても傲慢だったのだと思い知った。本当にとてもとても恥ずかしかったし、自分が情けなかった。

それからわたしは、「自分でどうにかできること」以外の部分を、どうにかしようと思うことをやめた

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結婚については、わたしの中では「ロマンチックなもの」というよりも「共に生きる仲間を得た」という気持ちが強い。

お笑い芸人の誰かが「コンビ芸人は、1人1人が不完全だから2人セットで世に出てくる」みたいなことを言っていたけれど、まさにそんな感じ。

芸人じゃなくて、アイドルでも何でも良いのだけど、ソロが合っている人もいれば、2人ユニットで輝く人もいるし、大人数のグループでイキイキする人もいる。もちろんそれは「その時そうだった」というだけで、変わりゆくものでもある。

これはたぶん、結婚というか、誰とともに生きるかというのと、近いように思う。わたしの今の結婚観は、そんな感じ。

わたしはたまたま25歳で「共に生きたい仲間」と出会ったというだけ。そのタイミングが早ければ良いわけでもないし、むしろ必要かどうかという視点もあって。

いずれにせよ、そのタイミングや有無は「自分ではどうにもならないこと」でもある。

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子どもについては、なかなか難しい。

先程書いたように、以前のわたしは「30歳までに子どもが欲しい」と思っていた。

今はどうか、というと。
もし居てくれたら、それはそれで楽しい人生だろうと思う。でも、居なかったとしても、わたしは楽しい人生を過ごせる気がする。

加えて。
今年わたしの妹に子どもが産まれて、毎日のように姪っ子の写真に癒されている。そしてなんと、わたしはそれで満足してしまった感じもある。

友達にそう話したら「自分の一族の遺伝子が残ったからなのかな」と言っていて、ああそうかも、と思ったりもした。

子どもと共に生きたいというモチベーションが、今のわたしにはあまりない。ひょっとしたら、そんなに子どもが欲しいと思っていないのかもしれない。

こればっかりは、「居てくれたら楽しいかも」「居なかったとしても楽しいかも」のはざまを行ったり来たりしていて。最終的にどっちになってもいいや、という気持ちもある。

あと関係ないけれど、出産にだけ年齢的なタイムリミットがあるというのは、なんだか悔しい。でもこれも、自分にはどうしようもないことだ。悔しんでも仕方がないのだけど。

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例えば「ありたい姿を描く」とか「数年後の自分をイメージする」とか、そういう理想を描くときは、パートナーや子どもの存在も、自由に描いて良いと思ってる。

それはあくまで「今の自分の理想」なのだから、そこに制限をかける必要はない。

ただ、それらは「自分ではどうにもならないことなのだ」というのも、常にしっかりと握っておきたいなと思う。

「どうにもならないこと」に気を揉んだり、焦らされたり、落ち込んだりするよりも、わたしは「自分で選べること」にエネルギーを使いたい

ちなみに今のわたしの「ちょっと先のありたい姿」の像には、子どもの存在はない。それは、今の自分には想像できないから、かもしれない。

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結婚や出産について人から何か言われたり、友達がどんどん結婚したり子どもを産んだりする中で、自然とそれらを「自分にも必要だ」と思い込むことは、あまりにも容易い。

考えたり、焦ったりすることも、悪くはないと思う。そんな自分を見つけたときに、「どうしてそう思うんだろう」と問い掛ければ、自分の本音が聞き出せるかもしれない。

でも、もしも苦しくなってしまったときのために。

わたしは、せっかく生きているこの人生を、自分で選べる道に集中して、全力で楽しんでやろうという気持ちを、心の一番目立つところに飾ってある。いつだって、思い出せるように。



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じぶんジカン松岡
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