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1995年の中国出張(4)

2週間程の中国滞在も終わりに近づきました。

最終日近く、現地スタッフの慰労会を兼ねて打ち上げがありました。一次会はホテル内にあったボーリング場で行われ、現地スタッフ20人ほどは、殆どが未成年者で、缶コーラと日本人出張社のお土産をパッケージしたお菓子の詰め合わせが配られました。

1レーンに2人程の割合で日本人が配置され、初めてのボーリングというメンバーが多い現地スタッフにルールを教えながらのボーリング大会でした。

ボーリング大会のあと、出張期間中に仲良くなった現地スタッフに寮の部屋を見学させてもらいました。6畳程の部屋に2段ベットが二組。各フロア20部屋+トイレと給湯室、広い階段の踊り場にテレビが設置されていました。

なぜ踊り場にテレビ???

と思いましたが、説明を受けて初めて納得できました。階段にお雛様のように座れば、かなりの人数が居ても全員テレビがを見ることが出来るのでした。

曹くんは私達のチームのムードメーカーで、いつも機嫌よくふわふわとした空気感で仕事をしている青年でした。何でも答えてくれそうな雰囲気につられて彼にたくさんの質問をしたのを覚えています。

月給は日本円で5,000円程。半分以上を新疆の故郷に送金していること。お酒は飲んだことがないこと。日本は香港の近くにあると思っていること。新疆の故郷までは、鉄道で3日+バスで一晩、バスターミナルからバイクタクシーが見つかれば2時間、歩くと丸一日かかること。お金を貯めて家に帰るときには自分のバイクを手に入れて乗って帰りたいこと。バイクで帰ると2週間位かかると思うけど、どの道を走ればいいかはわからないこと……。

色々話しながら、最後の洗濯はいつだろう?と疑問が生じるほど垢じみた作業着のポケットから、しっとり湿ったひまわりの種を一掴み、

「うまいから食ってみな」

と渡されましたが、口に入れるにはかなり抵抗があり

「ホテルの部屋でビールのツマミにするよ」

と身振り手振り、筆談交えて必死に説明してポケットにしまい、ホテルの部屋に帰ってしみじみ見ましたが、やはり食べられず申し訳なかったけど捨てました。

最終日、チームの現地メンバーに、日本から持ってきた千代紙のおりがみセットと、3色ボールペン数本、ソーラー電卓3個を、お世話になったお礼としてプレゼントしました。

お昼休みが終わり、いよいよ引き上げというタイミングでチームメンバーがニコニコして戻ってきました。

手には切り口が茶色くなったリンゴ半かけ、殻が剥がれかかったゆで卵。

プレゼントのお礼として、彼らの社員食堂のお昼ごはんの一部を持ってきてくれたのでした。

胸が一杯で食べられないという気持ちも嘘ではありませんでしたが、ここまで無事お腹を壊さずに過ごしてきたのに、これを食べてしまったら下手をすると香港までの移動中にお腹が……と思い、お気持ちだけ受取り皆に返しました。

往路は会社差し回しのワゴン車でしたが、帰路は高速バスで一人旅です。

皆に見送られて会社を出て、ホテルで荷物をピックアップしてバスターミナルまで送ってもらい、チケットを渡してバスに乗り込みました。バス自体は往路のワゴン車とは違い、香港資本?の高速バスなので冷暖房完備、清潔で安心安全です。車内にはトイレもありました。

途中、中国・香港のイミグレーションで出入国の手続きがあるので、通過後に間違わずに乗ってきたバスに乗るのが最初のミッションです。

バスのナンバーと運転手の特徴をしっかり覚え、通関後、案内表示に従い外に出ます。運転手の特徴として覚えたのは、口髭、ティアドロップのミラーサングラス、赤いベストに赤ネクタイでしたが、国境を超えてバスのりばに来ると運転手全員同じ風体で喫煙所でタバコを吸っていました。

意を決して運ちゃんたちに近づき、チケットの半券をみせて、バスを教えてもらい無事乗り込むことが出来ました。

香港に入ってから1時間ほど走り、尖沙咀のバスターミナルに到着。パンフレットに手書きで書き込んだ地図を頼りに徒歩でホリディイン ゴールデンマイルに向かいました。今なら迷わずタクシーを使いますが。

フロントでパスポートとアンジェラにとってもらった予約票を提出したところ、帰ってきた返答は

「Your reservation will be next year.(あんたの予約は来年になってるよ)」

予想だにしていない回答が帰ってきてかなり動揺しましたが、予約票の日付を確認するとたしかに一年後の予約になっていました。つたない英語でなんとかならないか交渉したところ

「今日はウチに空いている部屋はないが、別のホテルなら紹介できるよ」

とのありがたいお言葉。その場から電話をかけてもらって、予約をとってもらい、メモ書きのメッセージと地図をもらい、九龍酒店へと移動しました。カオルーンホテルはホリデイ・インよりもビジネスよりのホテルで、シングルルームはスーツケースを開くのにも苦労するような狭さでしたが、黒を貴重とした高級感ある内装で、当時のトレンディドラマに出てくるような高級感にテンションが上ったのを覚えています。

昼過ぎに東莞の工場を出て、部屋に入って荷物をおろした時間は19:00を回っていたと思います。一見の外国人の小僧が困っているのを見兼ねて、親切にしてくれたホリデイ・インに施された恩は今でも忘れておらず、自分でホテルを選ぶ際は今でもIHGホテルズを選ぶことが多いです。

荷物を部屋に置き、ホテルの近くを探検に出かけたのですが、有名なペニンシュラホテルのモールの某有名馬具屋さんのお店で、店内に入ったらドアマンに後ろ手で

「ガチャリ」

と鍵を閉められてビビったり、路上の偽物時計売りやエロ写真売りに声をかけられたりと、初めて「海外旅行」らしい体験が出来ました。

食事の方は尖沙咀のど真ん中なので、何処の店を覗いても高すぎるのと、一人で入るのに気後れして、近くのデパートのフードコートで炒麺を食べ、コンビニでビールとおつまみを買って部屋飲みしました。

翌朝はホテルのフロントで教えてもらったシャトルバスで空港へ。(いまならこちらも迷わずタクシーを使うと思います)

啓徳から成田へはJALのジャンボ機で飛び、成田に到着後はリムジンバスで羽田、羽田から秋田に飛び家まで。特にトラブルはなかったので特記事項も特になし。気持ち的には半年も経ったような長い長い初海外出張から帰り、ホッとしたのを覚えています。

さて、長々と書いてきた1995年の中国出張記はこれでおしまいです。

あれから25年。海外出張は香港経由中国の東莞を皮切りに、中国では北京・厦門・大連、台湾の新竹・中壢・苗栗、マレーシアのペナン島、シンガポール経由インドネシアのバタム島、ドイツのアルトエッティング・フライベルグ、イタリアのノバーラ……あちこち出歩いてきました。

天候不順でフライトがディレイやキャンセルになったり、仕事のトラブルでフライト当日に慌てて変更したり、ロンドンから飛んでくる営業とドイツから飛ぶ自分がミラノで待ち合わせたのに、相手のフライトがキャンセルになりミラノの空港で途方に暮れたり、インボラでアップグレードしてもらってビジネスクラスに浮かれたり……。

今ではトラブルの経験値もそれなりに積んできたので、国内、海外ともにあまり緊張すること無く大抵のことには動じずに対応していますが、出張のおかげで旅の経験値が上がった分、感動は少なくなっているのかもしれません。

出来ればこれからはプライベートの機会を増やして、海外はカミさんと二人で、国内は甚兵衛さんも一緒に旅行が出来ればと思っていたのですが、新型コロナの影響で身動きが取れずストレスが溜まる毎日ですが、一日も早くどこへでも旅行ができる日が来ることを祈りつつ。

おしまい。

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