ヘンデル『リコーダーソナタ ハ長調』

時代をさかのぼってヘンデルを取り上げる。

山道をドライブする時に延々とヘンデルのリコーダーソナタを聴いていた時期があり、その中でも一番好きな曲だった。


ヘンデルについて振り返ると。

1710年、25歳のヘンデルはドイツのハノーヴァー選帝侯ジョージ王子のカペルマイスターとなった。その後、イタリアの詩人Torquato TassoのLa Gerusalemme Liberataを基にしたオペラ「リナルド」での大成功を挟み、1712年、ヘンデルはイギリスに永住することを決心した。1713年の夏にはイングランド・サリー州バーン・エルムスのマシュー・アンドリュース氏の屋敷に住んでいたという。デュッセルドルフで働く約束をしていたが、反故にしたとされる。

仕事は順調で、 1713年に初演された「ユトレヒトのテ・デウム」と「ジュビラテ」をアン女王のために作曲した後、アン女王から年間200ポンドの収入を得た。しかし、アン女王は1714年に病没、その後釜となったのがなんとジョージ王子(イギリス王ジョージ一世)であった。

一応、なんとかうまくやっていけていたようだが、ハノーヴァーでの仕事を放置していた気まずさを解消し仲を取り持つために1715年のテムズ川の川遊びの際に演奏されたのがかの有名な「水上の音楽」であった、というのが定説だった。が、近年の研究では1715年のそのエピソードはどうやら疑わしいが、1717年の川遊びではたしかに演奏されたそうな。

そのころのヘンデルの重要な仕事の一つとして、貴族の子女に音楽を教えることがあったという。当時のバロック音楽は通奏低音だけが書かれた楽譜を即興的に演奏するスタイルが一般的であり、当然これを教えていたと考えられる。

ヘンデルのリコーダーソナタはこの通奏低音の練習にぴったりで、おそらく教育を目的として書かれたのであろうと推察される。今も昔もリコーダーが教育に使われていたというのは少し感動的ではないか。

ただ、この曲は出版は1726年以降のソナタ集「Sonates pour un Traversiere un Violon ou Hautbois Con Basso Continuo Composées par G. F. Handel」ではあるもののそもそもの作曲は1712年以前と考えられているようで、不明な点も多い。当時の作曲家の例にもれず、同じメロディが他の作品にも流用されており、第2楽章はオペラ「スキピオーネ」(1726年)の序曲で使用され、第3楽章はオーボエ・ソナタ ヘ長調(1711-16)の第3楽章の改訂版、第5楽章はオペラ「アレッサンドロ」(1725-26)の第1幕第4場面からの二重奏曲「アルマの広場」で使われているようだ。

そういう成立経緯で未解明な部分はあり本当に貴族の子女を教育する目的なのかは判然としないが、この素朴な音色を聴いていると確かにそうなのかなという気がするが、明らかに教育用の素材に留まらない奥行きがある。

リコーダーを学校音楽用の楽器と侮るなかれ。この曲はフルートでも演奏されることはあるが、明らかにリコーダーの音色向きだと思う。


正直なところ、youtubeにはこれぞという演奏がなく、アントネッロの濱田芳道の演奏がお勧め。

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