服装に金を使う人が理解できない話

私はすぐに「カワイイ〜♡」っていう女の人が嫌いです。でもそれは別にいわゆる「カワイイって言っている私カワイイ理論」とは違う理由で嫌いなんです。だって別にカワイイって言ってる人が可愛く見えるわけないじゃないですか。流石にその人たちもそれくらいは理解しているはずです。もしかしたら理解していないのかも知れませんが。わたしがなんにでもカワイイっていう女が嫌いな理由は、かわいいと思っているのにそれを行動で示さず、口先だけになっているくせに"可愛いもの"を理解した気でいるところが嫌いなんです。結局もとを辿れば「薄っぺらい」ってことになるんでしょうね。

ここから本題に入ります。私は流行にあったファッションをするのは別にいいと思うし、少し奇抜な格好でもファッションって言っとけばどうにかなる風潮も嫌いな訳では無いです。でも、ただの服にウン十万とか百万とかかけている人が理解できないんですよね。

その商品がブランドものだって目で見てわかるものだったらまだしも、ただの白Tに何万とお金をかけたり、「絶対にそれはおかしい!!」って思うようなパリコレ気取ってんのか何なのか知らない服に金をかけている人を見ると馬鹿だなぁって思ってしまうわけです。お金を持っていることの自慢に買っている人がほとんどなんでしょうけど、服装とかカワイイの概念って、数年経つと変化していくものだと私は思っています。今昭和の人の服とか着てたら明らかに浮くし、テレビで何年か前の女優さんとかを見ても「美人だなぁ」なんて滅多に思わないじゃないですか。そんなふうにきっと何年かたったら橋本環奈が美人じゃなくなる時代が来ると思うし、今モデルが着てる服だってこの先の未来では変な服だと思われるようになってくるんだと思います。なぜみんなそんな一過性のものにお金をかけるんでしょうね?

価値観は人それぞれだと思うし、今の話が社会をろくに知らないガキの戯言だと思う人もいるかもしれませんが、私は本当に理解できいのです。しまむらで買った2000円くらいのTシャツだって、GUCCIの500000円とかするコートだって目的は「自分の裸を隠すこと」とか、「寒さや暑さを凌ぐこと」で一致しているじゃないですか。それなのに自分を主張したいからって莫大な金を出してそんな一過性の"オシャレ"という概念に投資してしまう。

「肥大化しすぎた承認欲求」は私の一番嫌いなもので、まるで周りに見てもらえないと自分の存在意義がないような人間がたくさんいます。だから目立つほど大した人間でもないくせに身の回りだけはいっちょ前で大声を出して頭すっからかんの馬鹿共が増えるんです。

でもきっとファッション(笑)に価値を見出している人が多数派なのがこの社会だし、少数派の人は弾かれるだけなのも知っているので、私は今日もここでホソボソとぼやいているわけです。ファッションにお金をかけることの必要性を理解できていて言語化できる人がいるなら、一度見てみたいものですね。納得できるかどうかは別だと思いますけど。


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