【問27】私についての『確信』は何か?


 まだ、20年間しか生きていない。仕事もしていない。そんな自分に何か確信できるものがあるのだろうか?と考えると、一つ思い浮かんだものがあった。それは、「やり続ければ何らかの成果となって現れる」ということである。このことは、今まで生きてきた中で何度も感じたことである。(以下ではそのうちの一つ、中学校の部活について書いている。)


【中学校の部活】

 中学校は1年の冬に転校した。転校した先の中学校の部活(野球)は、「部員が練習中に部室で遊ぶ、先輩が非行を行い1か月間以上毎日奉仕活動の日々が続く、顧問の先生も特にやる気があるわけでもない」といったことをいきなり経験した。

 以前にいた中学校の部活は顧問の先生が3人いて、そのお三方いずれも熱心な先生方であった。部員も皆、真剣に野球をしていた。

 中学校の中でもこんなに差があるのか・・・と驚いた。

 部活で思うように野球ができなくても、自主練で毎日素振り、バッティングセンター、シャドウピッチング、ランニングを真剣にして、自分の心の中にある野球に対する熱意は持ち続けていた。


 中学2年の夏に、自分たちの学年の代になった。中学校で部活ができるのは残り1年間だ。同じ学年には9人しかいなかったが、いずれの9人も野球のことが好きだった。下の学年にも部員は3人しかいなかった。部員が少ないないながらも、まとまりのあるチームではあるな、と感じていた。

 中2の秋、中3の春、練習は毎日し続けているものの、大会では1回もしくは2回までしか勝てず、上に上がることはできなかった。

 春の大会が終わり、部活ができるのは残り3か月しかない。ここで、ある変化が起きた。ある部員のお父さんがコーチをしてくれることになった。この方は少年野球で監督をしたこともある、とても熱心な方であった。

 部員が毎日の練習(自主練も含む)や体重の記録を書くようにし、毎週その記録に対してフィードバックをしてくださった。また、フリーバッティングの時には自らバッティングピッチャーをして、さらにアドバイスも丁寧ににしてくださった。丁寧なアドバイスといえば、ピッチングでも同様であった。

 そして、このように夏まで練習をしているとチームの雰囲気がかなり良くなった。そして、中学3年の夏、ブロックで4回勝ってブロック優勝し、市の代表として県大会に出場することができた。

 おそらく、他のどの中学校も、自分たちの中学校が県大会に行くとは予想していたところはなかったと思う。春まではそのくらい弱かった。


 なかなか部活で野球が思うようにできなかった中学1年のとき、結果が出なかった中学2年の時、その中でも野球に対する熱意だけは持ち続けて練習を継続した。そして、その継続のなかで、素晴らしいコーチが指導してくださるようにもなり、最後の大会で成果が現れた。


 ここまで、中学校の部活のことだけで長く綴ってしまったので、具体的なエピソードは以上にする。他にも受験勉強や筋トレなど、「やり続ければ何らかの成果となる」ことを実感してきた。


 これから社会人になったときには、なかなか見えやすい成果となって現れることは少ないかもしれない。しかし、成長はしており、やり続けることで得られるものは必ずあると思っている。

 「やり続ければ何らかの成果となって現れる」

 これが20年という短い人生の中で得た『確信』である。



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部活の思い出

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