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成長と進化を引き出すガバナンス

2002年の論文です。最後にダイアローグ・ポイントを掲載していますので、現状と重ねて、本質を問い直すための対話のたたき台にしてください。

               (Watson Wyatt Review vol.21 2002.8) 
                             高橋 克徳

 政治や企業のニュースを見ると、どうしてこんなことが起きてしまうのだろうと耳を疑いたくなるニュースが後をたたない。誰が抵抗勢力なのかわからず、その先に何を目指しているのか見えないまま、一向に進まない構造改革。社会や消費者への裏切り行為を組織ぐるみでやってきた不正、不祥事の相次ぐ発覚。さらに、明らかな放漫経営のツケが倒産を招きながらも、巨額の退職金を平気で持っていく経営者たち。
 なぜこういったことが、何度も繰り返されるのだろうか。少なくとも「人に迷惑をかけるようなことはしてはならない」という教育を受けてきた多くの日本人(これは日本人の恥の文化、人間関係重視の思想から来ていると思うが)からみると、悲しくなることばかりである。なぜ、自らがおかしいと気づき、自らの行動を正すことができないのだろうか。


1.ガバナンス論で何が解決できて、
             何が解決できないのか

 こうした状況が続く中で、コーポレート・ガバナンスの議論が大きな局面を迎えようとしている。抜本的な構造改革が進まず、収益は回復せず、株価は低迷し、さらに不祥事が続く中で、このまま今の経営者に任せていても、悪しき均衡から抜け出すことができず、再生できないという危機感が、監査・監督機能の強化をメインテーマにした商法改正への動きを加速させている。
 その中心となるのが、取締役会改革である。社外取締役を設け、報酬委員会、指名委員会、監査委員会を設置し、外部の目、株主の目で経営をチェックする。さらに、重要な意思決定への関与を高めていくことで、経営者の業績責任へのプレッシャーを高め、状況によっては強制的に構造を変える力を持とうという考え方である。
 確かに、外部の客観的な目で、経営に警告を発し、経営トップ層に適切な緊張感を生むためには有効な仕組みである。しかし、こうした取締役会改革が進めば、企業の構造改革は進み、非常識な不正行為はなくなり、健全な成長へとリードしていくことはできるのだろうか。私にはそうは思えない。なぜなら、上記のガバナンス改革には大きく三つの欠陥があると思われるからである。

 第一の欠陥は、監査する側とされる側の関係が、完全に独立した関係ではないということである。すなわち、監査機能を強化すると言っているにもかかわらず、監査の視点で参加する社外取締役は、その企業から報酬をもらうことになっている。場合によっては、取締役としての発言が成果につながれば自らが企業価値の増大に貢献することになるので、ストックオプションなどで多額の報酬を得ることもできる。監査の役割を担う人間の良識、倫理観の問題でもあるが、アメリカで実際に起きていることは、こうした監査すべき人間が、その監査する対象からお金をもらう構造、さらにその関係が継続的になると、馴れ合いの関係に陥り、結果として企業の不正に気づかなくなるということである。会計士も同じである。エンロン問題に見られるように、監査する立場の人間たちが、一方で利益を上げるためのコンサルティング活動を行う。この境界の混同が、健全なボイス機能(警告を発する機能)をゆがめる危険性がある。そういう意味では、会計士も社外取締役も、本来は複数企業が出資してつくる機関を通じて派遣されてくるほうが望ましい。

 第二の欠陥は、誰が警告を発し、ときに強制力を発動する権利を有するかという考え方が、株主に集約化されている点である。確かに上場・公開している企業にとって、株主から得た資本を最大限活用し、株主価値を向上させることは、経営者にとって、企業にとって不可欠な義務であると言える。しかし、資本の論理を徹底し、株主価値を最大化するために企業があるという一律の定義で、企業のあり方を規定するのは誤りである。サウスウエスト航空のように企業価値を創造する源泉は従業員であり、従業員の価値を最大化することが顧客価値を増大させ、ひいては株主価値につながるという考え方でも良い。あくまで企業が価値の源泉をどのように考えるかという問題であり、価値の源泉を資本による所有の概念で一律に順位づけし、その順位に基づく企業統治の構造をつくりだすことが、その企業を強化することに必ずしも結びつくとは限らない。

 第三の欠陥は、前提としている組織像が従来型の中央集権型組織であるという点である。企業に関する意思決定が経営トップに集中し、その責任も重要な判断も経営トップに集まってくる。だからこそ、その経営トップに関する監視機能を高めれば、企業リスクを食い止めることができるという考え方である。確かに、資産構造にインパクトのあるような意思決定は、これまで以上に明確に経営トップの責任として議論し、決定していくことが必要である。しかし、情報・通信技術の進化は、企業内、企業間の壁を壊し、行動のスピードを飛躍的に速めた。その結果、現場で得た情報をいったん経営、もしくは中間管理職層に吸い上げ、そこで検討、意思決定し、現場に落とし込んでいくという意思決定の流れでは、外部環境の変化のスピードに追いつけない。現場が主役になり、現場で判断し、適切かつ迅速な行動を促す仕組みが求められている。意思決定する主体への監視機能を高め、リスクの回避を行うことが必要であるとするならば、現場の主体的な行動へのガバナンスのあり方もあわせて考えなければならない。中央集権型の組織ではなく、権限が分散し、より現場が主役となって新たな価値を創造していく組織を前提にしたガバナンスというものも考えていかなければならない。

 以上のように見てくると、現在行われているガバナンス改革の動きは、ガバナンスのあり方をあまりに狭くとらえすぎている。ガバナンス改革の目的が、適切な意思決定が行われるような仕組みを構築し、企業の成長や改革を適切な方向にリードしていくことであるとするなら、実は企業の価値の源泉、企業の新しい組織のあり方によって異なるものであるべきではないか。そう考えると、取締役会を中心にした監査機能が企業統治の仕組みであるというとらえ方だけでは、進化する新たな組織マネジメントには対応しきれない。


2.ガバナンスを分析するための三つのポイント

 上記のように新たな組織マネジメントも含めて、ガバナンスが適切に働くためには、以下の3点を明確にしなければならない。

 第一に、その企業にとって意思決定をする実質的な主体はどこにあるのかということである。経営トップにあるのか、事業部長にあるのか、あるいは現場のリーダーにあるのか、現場の個々人にあるのか。会社の価値の源泉となる創造活動を実質的に決め、推進していく主体を中心にしたガバナンス構造を、本来、構築する必要がある。

 第二に、その意思決定の主体に対して、最適なチェック機能、監査機能を働かせることができる主体はどこかということである。本当に株主なのか、顧客なのか、従業員なのか、取引先なのか。特に重要なのは、意思決定の実質的な主体となっている人たちに直接、影響力をもつ主体はどこなのかを見極めることである。

 第三に、そうした意思決定の主体と監査する主体との関係をどのようなものとして構築するのか、明確に共有しておくことである。すなわち、監査する主体との関係をどのようにデザインするかによって、間違った方向に行っているときのボイス機能のみを期待するのか、それだけでなく自ら新たな方向性を見出す革新へのドライブにも結びつくようなプレッシャー機能までも期待するのかを双方が認識しておくことが必要である。


3.顧客によるガバナンスとは

 このように考えると、企業の価値源泉となる実質的な意思決定を担う主体を明確にし、その主体への監査機能を担う主体を設定し、さらにその主体間の関係性を定義することで、その企業のコアとなる活動が適切に運営されるための最適なガバナンス構造を構築することができる。
 それでは、株主以外がガバナンスを働かせるとは、具体的にどういうことなのだろうか。ここでは、現場のモノ作りが価値の源泉となる主体であり、これに対して適切なボイス機能とプレッシャー機能を働かせる「顧客によるガバナンス」について考えてみたい。  顧客ガバナンスの働かせ方には、そのガバナンス主体が集団・コミュニティによるものなのか、個々人によるものなのか、さらにその担う役割が、間違った方向への牽制・ボイス機能なのか、次への価値創造へのドライブをかけるプレッシャー機能なのかによって、大きく4つのタイプに分類できる。

 第一のタイプは、集団によるボイス機能である。その典型的な取り組みは、消費者運動であり、不買運動である。消費者運動の起源は1844年英国におけるロッチデールの消費者組合といわれ、1963年にケネディ大統領が消費者の四つの権利(安全である権利、知らされる権利、選択する権利、意見を反映させる権利)を提唱し、ラフル・ネーダーなどが中心になって、不買運動、製品批判などが行われた。日本も同様に公害訴訟、薬害訴訟などと絡んで、こうした動きが取られているが、メディア社会、情報社会の進展は、その拡大スピードを加速させている。例えば、雪印食品の牛肉の不当表示問題も、世論の批判が流通業者による自主撤去、消費者の雪印ブランドへの不信感を生み、急激な業績悪化を招き、ほぼ1カ月で創業51年を誇る上場企業を解体に追い込んだ。集団化されなくとも、メディアの力が、消費者、社会全体によるガバナンスを働かせ、ノーを突きつけたことになる。

 第二のタイプは、個々人によるボイス機能である。電話やインターネットで寄せられるクレームがその典型であるが、これを企業が単なる文句、ノイズととらえるのか、真摯に財産となるべき助言として受け止めるのかによって、そのボイス機能が良い方向にも、悪い方向にも転がってしまう。特に、インターネットの拡大は、個人による企業へのガバナンス機能の影響力を飛躍的に増大させている。
 1999年に起きた東芝におけるビデオ修理対応事件も、思わぬ大きな問題へと発展した。ビデオ修理を依頼した際、部門をたらい回しされた挙句、暴言を言われたとして、依頼者がそのやり取りをホームページ上で公開したというものである。1カ月の間に500万件を超えるアクセスがあり、東芝が結果的に謝罪することになった。一歩間違うと、インターネットという媒体を活用した脅迫、誹謗中傷になるという危険性もあるが、個人による一つのクレームが結果的には集団によるボイス機能を働かせることになる。個々人のクレーム自体が企業の活動をチェックし、働きかけていくことは、顧客ができる身近なガバナンスであると言える。

 第三のタイプは、個々人によるプレッシャー機能である。すなわち顧客の声を単に一方通行の意見やクレームとしてとらえるのではなく、自らの成長へのアイデア、要請であるととらえ、それを事業活動に組み込むことで、自らを律し、方向づけるというものである。花王のエコーシステムはあまりに有名であるが、顧客からの声をデータベース化し、開発や生産、営業などの現場でその情報をそのまま見られるようにし、新たな製品開発、販売戦略に活かす動きは増加している。フォードでも現場主導の経営改革を進めているが、生産現場で直接顧客からの声、要望を端末で見られるようにし、部品の改良や顧客の個々のニーズに合った製品開発への議論を展開できるようにしている。フォードが目指しているのは、現場に生の情報を与えることで、現場が主役となる活動へのプレッシャーを高め、ピラミッド型の中央集権構造から逆ピラミッド型の自律分散構造への転換を図ることである。

 さらに、そうした個々の顧客との対話を行うことで、より個々の顧客との関係を深め、自らの責任とその要望を組み入れた発展的なメカニズムを構築していく企業も出てきている。典型例は、ワトソンワイアットレビューのVol.19でも紹介した再春館製薬所である。顧客から寄せられる意見、批判、要望などに、まずは自らのこだわりやポリシーを伝え、その上で、その声にどう応えていくのかを電話や丁寧な手紙で返答していく。さらに、そのやり取り、さらに実際の商品づくりに反映させていくプロセスを、自ら作成する冊子で紹介しながら、自らが成長し、進化していくプロセスを顧客とともに共有していく。こうした活動が、再春館製薬所という企業のこだわり、真摯な姿勢への共感、共鳴を生み、自然と顧客がこの企業に関わり続けたいという意識を高め、もっとこうして欲しいという前向きかつ健全なプレッシャーをかけていくことになる。顧客と時間を共有し、共に進化する数少ない企業の一つである。

 第四のタイプは、集団によるプレッシャー機能である。しかし、消費者運動のような目的が明確で、統制的な組織活動と呼べるものではない。むしろ、顧客間のネットワーク、コミュニティがまず発達し、その集団の活動およびその参加者の活動がある種のパワーをもって、企業に対してより高いレベルのプレッシャーをかけていくといったものである。

 その一つの事例がタミヤ(田宮模型)である。田宮俊作社長が書かれた『田宮模型の仕事』という本を読まれた方も多いと思われるが、そこに描かれているものは、単なる模型ビジネスの成功物語ではない。模型づくりを通じてその実物の背景にある歴史や物語を伝えたいという思い、本物の自動車をつくる製造プロセスそのものを実現したいといったこだわりが、田宮模型ファンを生み、そうした人たちがさらに田宮模型に新たなアイデアを提供し、共進化していくプロセスが描かれている。
 田宮模型に健全なプレッシャーをかけている顧客は、大きく二つに分かれる。一つはいわゆるマニアと呼ばれる人たちであり、より精巧なものを求め、その模型を通じた物語の世界を広げてくれる人たちである。模型ファンはお互いに情報交換しながら、模型そのものだけでなく、背景となるジオラマ、人形を自ら改造し、より臨場感のある世界をつくるための工夫や意見を、田宮模型に寄せてくる。今ではインターネット上で、様々なグループが情報交換しながら厳しい目をもって、より高いレベルの商品づくりへのプレッシャーをかける存在になっている。

 もう一つの大きな存在が、子供たちである。特にミニ四駆の成長は子供たちの自由な発想が生み出したと言っても過言ではない。ミニ四駆が爆発的にヒットしたのは、遊ぶ場、つまりレース・コースを展示場や店舗に置いたことがきっかけである。さらにマンガを通じてその遊び方が紹介され、人気が高まると、全国各地で次々にレース大会が開催された。そこで田宮模型の社員を驚かせたのが、子供たちの改造へのアイデア、工夫であった。最初にはやったのは、ボディやシャーシの一部に穴をあけて重量を軽くする「肉抜き」というもの。一見ただ壊しているだけのように見えたが、実は少しでも速く走らせたいという子供たちが考え出した工夫であった。社員はきれいな肉抜きの仕方を考えて、さらにそのための工具も開発し、マンガを通じて紹介してもらうようにした。このようにして、自分たちで改造する喜びを友達同士のコミュニティの中で広げ、それが田宮模型にフィードバックされ、さらに新たな商品、パーツや工具が作られていったのである。

 顧客の自律的なネットワークが、ある活動を復活させ、さらに35年を超える成長を支援し続けている事例もある。私ものめり込んでいるスタートレックである。スタートレックの魅力は、その壮大な世界観にある。個々の種族や価値観がときにぶつかり合い、ときに協創しながら未知なる世界を切り拓いていく。その世界がシリーズを超えて継承され、進化し続けているのである。
 そもそも、1966年に生まれた最初のスタートレックは、その制作費がかかりすぎるという理由などから、79話で打ち切りになってしまう。しかし、水面下で膨大な数のトレッキーと呼ばれるファンたちを突き動かした。コンベンションと呼ばれるファンの会を継続的に開催し、生みの親であるロッデンベリーらを招き、新たなシリーズの制作へのプレッシャーをかけ続けたのである。1973年にスタートレックのアニメ版が再開され、さらに以降、映画や四つのシリーズのスタートレックが次々に生み出されていくことになる。その中でアメリカだけでも300万人を超えると言われるトレッキーやトレッカーと呼ばれるファンたちは、毎週のようにアメリカのどこかの都市でコンベンションを開催し、インターネットを活用したコミュニティで議論し合い、新たな作品への期待を膨らませる。ファンによる原作が採用され、作品になっているものもある。まさに、スタートレックはこうした熱烈なファンのネットワークとともに、進化し続けている。

 この田宮模型やスタートレックの事例のほかにも、自然発生的に生まれた顧客のネットワークが製品づくりや企業の成長と存続に影響をもたらしている事例は少なからずあるし、インターネットなどを活用して顧客をファン化するためのネットワークづくりを行う動きも出てきている。ただし重要なのは、その顧客ネットワークをどのような存在としてとらえ、どのような関係を構築するかである。顧客を囲い込み、顧客を洗脳するという発想ではなく、ときには自分たちの活動を厳しく問いただし、ときには自分たちの進化をリードしてくれるサポーターのような存在としてとらえていくことで、顧客の期待や信頼に応えていくという健全なプレッシャーを自らに課していくことができる。


4.オープンガバナンス・モデルの構築に向けて

 情報技術、インターネットの進化は、ガバナンスのあり方にも大きな影響を与えている。顧客によるガバナンスのあり方も、一人の顧客のボイスが世論全体を巻き込んだ市場からの排除へと発展させる可能性を高めているし、他方、顧客間の自律的なネットワークが企業に新たな価値を創造させるプレッシャーをかけていくこともできるようになってきた。企業から見ると顧客は単に自社の製品の消費者という存在ではなく、企業の活動やアウトプットを監視し、ときに企業の進化を手助けしてくれる存在となってきているのである。
 顧客だけでなく、株主との関係、社員との関係も、オープンなネットワーク社会の中で、より対等な関係、緊張感のある関係へと進化していく。しかしそのためには、これまでの悪しき均衡にとらわれてきた既得権益、従来の固定的な関係を壊し、適切な緊張関係を構築していかなければならない。このとき、単にガバナンスを株主という所有者がさらに強い影響力と牽制機能をもつための仕組みととらえていては、本来目指していくガバナンスが実現できない。ガバナンスそのものを自らの新しい成長と進化を生み出す源泉であるととらえ直すことが必要である。

 ガバナンスが働く状態とは、意思決定する主体にガバナンスを働かせる主体が、ときにはマイナスの、ときにはプラスの方向への影響を与えながら、意思決定する主体が、自らを正し、より良い方向に自らを変えている状態である。こうした状態を創り出すために、企業全体、ひいては社員一人ひとりが、自ら生み出す価値をチェックし、自らの成長と進化の支援をしてくれる相手を見つけ出し、その相手との対話を通じて、自らを律し、自らを変える力を身につけなければならない。そうした力を生み出す源泉の一つは、信頼である。対話する相手を裏切らない、期待に応えるという強い意思が、自分を正し、自分を高め、自分を変えることにつながる。今求められているのは、こうした信頼や期待に応え、自らを律し、自らを進化させるためのガバナンスなのではないだろうか。

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社会、政府、企業に、今、成長や進化をもたらす適切なガバナンスが働いていると言えるのだろうか。
ネット社会になり、わたしたちは情報や意見を発信できるようになったが、これが更なる成長と進化をもたらすガバナンスになるためには何が必要か。

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