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頭の霧が晴れた!適応障害になって気づいたこと

適応障害のため、乳がんホルモン治療を休薬

乳がん全摘手術後に服用していたホルモン剤・タモキシフェンの副作用で適応障害に陥った私が、今年の1月中旬からタモキシフェンの休薬を開始して約半年。

医師からは、薬が身体から抜けるまでに1か月以上はかかると言われていましたが、私の場合は自分の頭(思考)がクリアになったと感じるまで5カ月かかりました。正確にいうと、後述するようにホルモン治療薬(タモキシフェン)をストップしたことだけが要因ではないと思うのですが、5月に入って明らかに、霧が晴れてきた!と感じることができるようになったのです。

タモキシフェンを服用し始めてから長い間、頭に霧がかかった状態で生きてきました。不眠に悩まされ、思うように思考することができず、考えたことを言葉にすることもできなくなり、仕事でミスるなど、もどかしさを感じていました。でも、それがいつしか当たり前になってきて、自分はちゃんと考えることができないのだ、とすっかり自信をなくしていました。仕事も休職した方がいいかもしれない。以前から転職したいと思っていたけど、今の状況だと自信を持って自分が業務で貢献できるなんて言えない。色々ネガティブになってすっかり自信喪失の日々でした。霧が晴れたいま、ようやくその渦中にいたときの自分を客観的に振り返ることができる、と思います。

またいつ、辛く苦しい状況に戻ってしまうか不安ですが、今回は、クリアな思考になった今だからこそ、辛い経験を振り返って気づけたことを書きたいと思います。

いま辛くて仕方ない人たちへ:救世主は現れない

長く、真っ暗で出口の無いトンネルの中にいて苦しかった。暗いトンネルは永遠に続くように思えて、とにかく辛くて苦しくて、悲しくて不安しかない日々。気づくと涙がこぼれ落ちている。毎日闇の中で、一日を生きるだけで精一杯。そんな生活が続いてすっかり自信をなくし、仕事もうまくこなせず、子どもにも本来の満面の笑顔を向けられず、自分でも何をどうしたらいいのか分からなくて涙が溢れる日々が、これほどまでに辛いことだと思いませんでした。

振返ってみて思うのは、結局、自分の体調が回復するためにできたことは「出口の見えない辛い状況をとにかく耐えること」でした。

人は辛いとき、藁にもすがる思いで救世主の出現を望んでしまいます。私もそうでした。とにかく、ここから早く出して!と毎日祈って救世主を待っていました。でも、急に誰かが救ってくれるということはありません。「自分に起きた不幸は、自分でしか克服できない」のです。

精神科の医師も看護師も、親身に話を聞いてくれてとても有難いことでした。子どもへの影響を心配して病院のカウンセラーとも話ができたことも有難いことでした。でも、自分の辛さを本当の意味で理解できる人はいません。

適応障害を経験した友人や、乳がんで同じようにホルモン治療をしている友人、親しい友人にも話を聞いてもらい、両親や夫、義母にも話を聞いてもらい、支えられました。とても有難かった。私が何とか、辛い毎日を生き延びることができたのは、間違いなく、家族からの応援と、数は多くないけど親友と呼べる友人たちによる支えのお陰でした。

だからといって、すぐに闇から抜け出せる、ということは無かった。彼らが話を聞いてくれたことに意味が無かったということではありません。うつ症状を脱すために、「何か」にすがりたくなるけれども、速攻性のある「救世主」は現れないのだという現実が今回よく分かったのです。

周囲の支えとともに、休薬したことや、病気発覚時から継続しているウォーキング(定期的なウォーキングはメンタルにも良いと言われている)を続けたこと、息子に関する心配事が軽減されてきたこと、も良い効果があったと思います。色々な事柄で逆風が吹いていたのですが、バイオリズムが自分にとって好転してきたこともあります。

それでも、最終的に決め手となった「救世主」はおらず、何とか辛い中でも毎日を生きることだけを目標に自分が踏ん張ってこれたから、回復してこれたのだと思います。それは自分だけのお陰ではなく、良き病院に恵まれて、良き家族に恵まれて、人数は多くなくても親友と呼べる良き友人に恵まれて、定期的にウォーキングできる環境に恵まれて、薬をやめる決断もできて、息子の学校の担任に良い方と巡り合えて・・・色々なことに支えられて自分は踏ん張ることができました。

だから、いま辛い人は、とにかく闇から抜け出すまで諦めずに「踏ん張って」欲しいです。会社を休んでもいい、逃げてもいい、泣いてもいい、何もしなくてもいい。安易に救世主を求めずに、いつかトンネルに出口があることを諦めずに、ただ踏ん張って欲しいです。

仕事の同僚など他人は本当の辛さを理解できない

仕事においては、同じチームの同僚には自分の健康状況を伝えて仕事量を大きく減らすこと、皆さんに迷惑をかけてしまうことへのお詫びをお伝えしました。一部の同僚たちは、「今まで通りに仕事ができない」私に対する不満を陰で言っていることを、あえて私に隠そうとしませんでした。ここぞとばかりに、弱っている私を踏みつけてくる人もいました。

私も分かるのです。以前、うつ病を患った同僚に対してなぜ?という態度を取ってしまったことがあるから。いま、そのときのことを激しく後悔していて、この自省から得た学びを活かして二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなくては、と思っています。

過去の自分への反省を込めて書きますが、往々にして職場の人たちのメンタル不調の人に対する理解は低いです。なぜなら、その人ができなくなる分の仕事が自分に回ってきて、しわ寄せがくるからです。私も周囲に迷惑をかけることになり、とても申し訳ない気持ちでいましたが、残念ながら、しわ寄せを受ける人は内心「ふざけんなよ」という気持ちになってしまうのです。

昔はメンタル不調の社員は辞めるように仕向けられてきたのだと思います。健康体の24時間バリバリ働く男性と同じように働けないなら、いらないよ、と。病気や育児をする人など制約がある人は、他の社員と同じように仕事ができないのだから、これまでは辞めるのが当たり前でした。

でも、コンプライアンスが叫ばれる時代になって、「多様性」が(少なくとも表面的には)どの企業でも重視される世の中になって、メンタル不調の社員が救われるようになったことを実感しました。病気で治療中であること、治療薬の副作用によって「適応障害」と診断されたこと。「業務ができない」のは私のワガママではなく、病気なんだということを証明する診断書は私を組織の無理解から守ってくれたことにも気づきました。私は最悪、休職するという選択肢もあったので、その点は恵まれていました。一方で、非正規で働く人は、企業のコンプライアンスの対象外となってしまうから、辞めざるをえないところまで追いつめられることもあるのだということも。

色々辛いことが、たくさんありました。支えてくれる人もいれば、ここぞとばかりに、思い切り踏みつけてくる人もいました。本当に、マンガの意地悪なキャラクターのような分かりやすい形で踏みつけてくる人がいて、大人になってもこんな風に対面で意地悪を前面に出してくる人がいるのだ、ということも経験できました。励ましてくれる人もいて踏ん張ることができました。それでも、本当の自分の辛さを分かることができる人なんていないのです。

人間は誰しも弱さを抱えて生きています。クリエイティブディレクターの辻愛沙子さんが最近のnoteで書いていた、宇垣美里アナウンサーの「人それぞれに地獄がある」という言葉、まさにその通りだな、と感銘を受けた言葉です。

「人それぞれに地獄がある」けど、それぞれの地獄を本当に理解できる人は、その本人しかいない。

最近、テニスの大坂なおみ選手が全仏オープンの記者会見に参加しないと表明し、全仏オープンを棄権した際、2018年からうつを患って苦しんできたことを告白しました。彼女に対する反発を見ても、大多数の人がうつの患者に対する理解を持っていないことを示しています。

特にヤフーの記事のコメントで散見されたものとして:

「テニスは出来るけど、嫌な事苦手な事は鬱なので出来ない。これでは怪しまれるのは当たり前。」

「本当に重い鬱の人もいるのはわかりますが、やりたい事や、出来る事だけをするのはいかがなものかと思います。」

「試合後の記者会見も鬱陶しい。大会もボイコット。鬱病だと発表。でもオリンピックには出る。筋がとおらんな。」

やりたいこと、できることだけしか、できなくなる。そういう病気なのです。でも「甘え」「ワガママ」と捉えられてしまう。周囲のそういう空気が分かるから、さらに本人は追い詰められて辛くなる、という負のスパイラルになります。

私の知人も悪気なく「大坂なおみは、メンタルが強くなれば、本当に強い選手になれると思うのに残念だ」というコメントをしていました。

大坂選手にしかわからない苦悩、彼女にしか理解できない地獄がある、ということを分かっていないからこそ、自分の正義の視点だけで、勝手に他人をジャッジするのだなと思います。そして、そういう人がこの社会には多いのです。

薬に依存していく心理的メカニズム

今回、闇の中にいる渦中の自分の心理状況(すぐに闇から抜け出させてくれる「救世主」を求めること)を振り返ると、処方される薬が「すがる」対象になりやすいこともわかりました。そして依存していくことも・・・

今回、私は精神安定薬は処方されませんでした。医師が安易に処方しなかったことを今となっては感謝しています。もちろん、薬に頼ることが必要な場合は頼った方がいいし、医師や病院の言う通り処方された薬で良くなる方、改善する人は多いとは思います。ただ、安易に頼ると抜け出せなくなるということも知っておいた方がいいのです。

自分が辛くて崩壊寸前だった私は、最初に精神科医に診察を受けた際は当然のように薬を処方されるものだと思っていました。周囲に、抗不安薬を処方されてとても楽になった友人がいたこと、乳腺外科の主治医からも患者さんの中で私と同様に副作用で苦しんでいる人が精神安定薬を飲んで対処している、と言われていたので、抗不安薬に対する心理的ハードルが下がっていて、いや、むしろ「とにかく助けて」という状態で、てっきり自分もすぐ処方してもらえるのだと思っていました。

早く楽になりたいから、どうか薬をください、という救世主を求める気持ちになっていたのです。でも、医師は「食欲はありますか」「睡眠は導入剤を飲んで眠れていますか」という2点をいつも聞いて、そこで「抗不安薬は必要ない」と判断していました。

もし飲んでいたら、もっと早く楽になれていたのかもしれませんが、体調回復にはもっと時間がかかったかもしれない。

今回私が飲んでいた薬は、ホルモン剤を投薬していたときから処方されていた睡眠導入剤「マイスリー(ゾルピデム)」と漢方薬(更年期障害の症状を和らげる「加味逍遥散」という漢方)です。睡眠導入剤は毎日飲んでも依存性はないから大丈夫、と医師に言われて1年半前から処方されていました。不眠の症状があるときに、睡眠導入剤は週1回程度飲んでいましたが、昨年12月には毎日飲まないと全く眠れなくなっていました。

ホルモン剤を休薬した1月中旬以降も、不眠は治らず、毎日マイスリーを飲んでいました。もうこれが無いと毎晩ベッドに入るのが不安という状況だったのです。

少し体調が良いかも、と思ったときに、勇気を出してマイスリーを飲まない日を持ってみました。やっぱり眠れなくて、これを飲まなきゃダメだ、となった日もありましたが、少し体調が良いなと思うときに勇気を出して飲まずにベッドに入る日を増やしていきました。本当に思考がクリアになって体調が戻ったと実感したのは、マイスリーに頼らなくても眠れるようになった頃ではないかと思います。

私が通院する病院の医師は依存性は無いと言っていたマイスリーですが、調べてみると、安易に頼らない方がいいという記事がたくさん出てきます。やはり薬は薬。効果もあれば、身体に副作用もあります。

自分が崩壊しそうなときは、助けになる薬も、回復しようとするときは邪魔になります。徐々に回復傾向にあるときは、自分で回復しているのかどうかが分かりにくく、「薬のやめどき」も判断つかないときがあります。お守りみたいになってしまい、飲まないと不安、という気持ちになります。

心が弱っているときなので、非常に難しいのですが、少しでも今日はスッキリしているかも、と思うときは、薬をやめてみる、という判断をしていかないと先に進めない、と思いました。

今、苦しみの渦中にある人は、その辛さを本当に分かることができる人は誰もいないので、寄り添うことしかできませんが、苦しみの中でこれを読んだ人が、少しでも耐える気持ちが沸きますように、との想いで書きました。

※画像は聖路加国際病院のチャペルのステンドグラス。聖路加国際病院にはチャペルがいくつかありますが、多くの患者さん、そして患者さんのご家族の祈りを見つめ、寄り添い、癒しをくれている場所です。





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