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セックス、トラック&ロックンロール・女は赤羽の奴隷か!…3

    アタシは違うアルバムをセレクトしようと丸椅子から腰を上げLPが並ぶ棚の方へ向かいかけたところでふと尿意を感じ、店内から住居エリアを隔てるドアを開いてトイレへ入った。下ろしっぱなしの便座へ腰かけると前日から履きっぱなしのデニムとショーツをズルズル下げた。アソコからプーンって蒸れた牝臭が鼻腔に届いた。その香りに釣られて下腹が緩んだ途端一気呵成に放尿が迸った。遠慮会釈ないオシッコだったけれど、それも永遠に続くはずもなく、徐々にちょろちょろって音に変わっていって、するとアタシのどこか奥深くでヒビが入り、寂しさに彩られた嫌な何かがぽたぽた漏れ始めた……。放っておけばいずれ全身を染め上げてしまうのは分かっていた。だからなのか、アタシは両目を瞑ってそのまま便器の蓋へぐったり凭れかかったところまでは覚えているんだけれど、自分のクシャミで次に目覚めた時にはもう夕方も終わろうという頃合いだった。

    時には現実逃避でもしなけりゃやっていけないのが人生ってヤツだったのを思い出していたのを覚えている……。

    それにしても未だに気になっているのは、あの時のLサイズのカップ、アタシの聖水で満たされたあれをあの後アイツはどうしたんだろうってこと? プレイの後、頼みもしないのに唇を重ねて舌を射し込んできたアイツが、コインロッカーへ立ち寄ってからパッケージ業務に出かけるからと言ってそそくさとトラックを降りていったところまではハッキリしてて、快感の余韻と気怠さの狭間で店へ到着した時にはもうカップは見当たらなかったのも事実だから、っていうことはアイツが持ち去ったってわけで、当然駅でダストボックスとかへ捨てたと考えるのが普通だけれど、アタシの脳裏にはどうしても普通じゃない図が浮かんでは消えなかった……。

    それは、古びたアパートの手狭な部屋には不釣り合いなほどの最新式の冷蔵庫を開くと、そこにはズラッとLサイズのカップが鎮座していて、その表面には日付と聖水をさせた女の名前も記されており、アイツはそれを折に触れて取り出して……、って図。アタシはあの日の別れ際、アイツに尋ねられるままサキって名前を告げてしまっていたのをどっかでずっと後悔してきたのかもしれなかった。得たかった快感を得られた満足と、端から向こうの思う壺だったのかもしれないという疑念とのせめぎ合いが芽生えていたにもかかわらず、ああも、あっさり告げてしまった事実にたじろがざるを得ない。

    情けねぇ……。

    でも、その日のアタシは実に牝だったってことの証だし、アタシはそういう女なのを知っているんだから、まぁどうしょうもないよねぇ。

    アタシはアタシ。だからなにぃ⁉ 文句あるゥ‼

    サックスのイントロがアタシの回想を遮った。と、カーステから流れるジョンとヨーコの〝女は世界の奴隷か!〟が、車内を暖かく染めていくのを肌で感じたアタシは、不意に今晩帰宅したら店内の商品棚からサイモン&ガーファンクルのアルバムを何か一枚選んでプレーヤーに載せてみようと思い始めていた。

    何なんだろう、これは?

 フィル・スペクターとジョンとヨーコが奏でるその音が、冬の日の陽だまりみたいな優しさに満ちた暖かさでもってアタシをコーティングしてくれているからだろうか?
    我ながら素晴らしい曲を選曲していたんだなと自画自賛したい気分に酔わされたアタシは、なんとなしに独り言つ。
    「女は世界の奴隷か。アタシはそこへ付け込んでいるつもり……。女は世界の奴隷か、かぁ」
    アタシはカーステレオのヴォリュームをアップして、曲のラストを飾るゴージャスでギリギリ正常の範囲内に落とし込まれた感のあるストリングスによる音の壁の執拗なまでの繰り返しに身を晒すと、しばし両眼を瞑って時間の流れから逸脱してみた……。

   運転席には過去や未来という線から切り離されて、今この時という点に安住しきったストレス・フリーなアタシがいるはず。ロックはたいていアタシがアタシであるのを許してくれるのだ。

    YES! このままでいいって。このままでいいじゃん? そう、このまま、こんな感じで続けていければ……。

    そんなくつろぎきったアタシの姿を、身じろぎもせずに見下ろしている屋根裏の散歩者なもう一人のアタシがいる。散歩者とは名ばかりに身じろぎもしないから勢い身体が強張ってしまう。ギシギシ悲鳴を上げる四肢に堪らず叫んでしまいたくなる!

   クソったれぇー‼

    気付いた時にはトラックを飛び出し、裏通りを駆けだしていた。冷たい空気って、なんでお浄めみたいに感じられるのだろう。アタシは自分が吐く白い息を纏いながら帰宅時分の雑踏で混み合う駅前へと走り出た。飛び込んだ人波を一気に駆け抜けた。十戒のモーゼよろしく人波が割れた。PASMOを手に改札を通過し、構内や階段を左右に身をかわしてあるいは軽いクラッシュに罵声を浴びながら、いつものアタシなら売り言葉に買い言葉のショータイム突入にも拘らずまんまとスルー、いつもじゃないアタシはそれでもコアな部分はとことんアタシなんだって証明するためみたいに、とうとう件のコインロッカー前へと到着した……。逸る気持ちにドキドキする胸の鼓動を押し隠すと、周囲を見渡した。
    「…………」
 そこにもうショートカットの姿は見当たらなかった。アタシは間髪入れずに斜向かいにある例のカフェへと急いだ。構内を行き交う人波を縫って近づいた窓越しから望むカウンター席にヤツの姿はなく、Lサイズのカップも見当たらなかった。
 「…………」
    が、ホッとすることも肩の力が抜けることもなく、どうにもモヤモヤした何かがが燻っていた。今日のアタシはどうかしているらしい。気付くと窓際ギリギリまで接近していたアタシは、あのカップが置かれていた辺りがまだ濡れているのを知った。
 アタシは再び人波へ飛びこむと今来たルートを逆戻り、そのまま女子トイレへと飛び込んでいた。個室は全て埋まっていたし、勿論順番待ちの列ができていた。洗面台の前にも、列の面子にもショートカットはいなかった。アタシはしばらくその列の最後尾に加わってみることにした。数分後には個室の大半が入れ代わり、じきに残る二つの個室のうち片方も選手交代と相成った。次の次がアタシの番だ。と、最後の一つが入れ代わった。それを見届けたアタシは列を離脱すると足早にロッカー前へと戻った。試しに確かめてみるとパッケージ業務に使用したロッカーの鍵は戻っていた。
 アタシは不意に疲労感を覚えると、まるでしばらく息を止めていたみたいに深々とした深呼吸をした。いきおい胸が大きく隆起するのを感じながら、アタシの脳裏ではあられもないM字開脚姿のショートカットの娘がその両手でLサイズのカップを構えつつ、かぶりつきでその瞬間を今かと待望しているアイツのねっとりした視線を痛いほど感じて打ち震えている、という図が浮かんでは消えてを繰り返していた。〝女は世界の奴隷か!〟の執拗な、ラストの繰り返しみたいに……。

 だからといって身動きのとりようがなかった。すべてはただの杞憂なのだから……。

 「いい胸してんねぇ。そんな息乱して緊張してるのかなぁ? あんたもあれでしょ? 神待ちぃ」
 アタシは声のした方にチラッと横目をくれてみた。

 クソったれ‼

    そこにはあのヤンキー崩れの中途半端なリーマンが、さっきのアイツが佇んでいた。血の香りを嗅ぎつけたサメのようにアタシがした深呼吸によって隆起した胸を目ざとくロックオンしやがったってわけだぁ……。
 アタシは面倒くせぇとばかりに大仰な溜息を吐くと、切れ長の目でもってキッと睨めつけるためにヤンキー崩れに向き直ったが、それがこいつのどこか奥深くで蠢くエロの種火に油を注いでしまったようで、スレンダーな身体には不釣り合いだと言われまくってきたアタシの張りの良い胸の膨らみに轍ができるぐらいの熱視線を嫌になるぐらいに浴びせてくるのを感じていた……。
 「アンタさぁ、二十歳を随分超えてんだろう? JKにあやかろうってここへかぁ? いいぜぇ、アンタの身体ならOKさぁ。まぁ、JKよりはプライスダウンだけどねぇ。けどさ、そのキツーイ切れ長の目なんぞ正直辛抱堪ら、うッ」
 アタシはクラークスのデザートブーツでヤンキー崩れの股間を蹴り上げていた。ヤンキー崩れはその場にぐにゃりと蹲り弱々しく呻いていた。
 「クソったれ!」
 そう毒づいたアタシは、足を止めて遠巻きに事態を見守る僅かな野次馬達とヤンキー崩れをその場へ残して、人波の坩堝へ突っ込んで行った。

    今日のアタシはどうかしている 

    そうざわめく胸のうちを抱えながら……。

                                                                  終わり

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