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齋藤先生のこと

小さな頃に、先生になりたいと思ったことはありました。
周りより少し大人びていたから、周りより少し学校の勉強ができたから、身近で憧れる職業を他には知らなかったから。

中高時代には、自分の将来と結び付いたものとして仕事を考えることもそれほどなく、先生という職業への憧れも忘れていました。

大学生になって、せっかくだからどうせなら、と教職の授業をとることにしました。取り敢えず教員免許はとっておくか、というくらいの気持ちでした。
火曜日の6限に設定された齋藤先生の授業は、免許に関する法律が変わる影響で新しく開講になった授業で、自分には必要がないらしい、ということはわかっていました。でも、一応、念のため、と友人と一緒に顔を出してみました。
教職課程をとっている多くの学部生は旧課程にあたるため、そもそも対象となる生徒が限られていて、本当に必要として受講していたのは二、三人だったのだと思います。あとは、なんだかおもしろそう、と集まったちょっと変わり者が十人くらい。
当時の齋藤先生は、「声に出して読みたい日本語」の本を出す少し前で、その後テレビにあんなに出演するようになるとは思いませんでしたが、書いている本のこと、売れなかった本のことをはじめ、いろいろな話を聞くことができました。

学校の先生という仕事について、それまで教科の内容を教えるイメージで考えていましたが、人を育てる仕事だと意識したのは、齋藤先生の影響が大きいです。半期だけの授業でしたが、そのときに聞いたキーフレーズが何年も経ってから実感を持って立ち上ってくることもあり、担任やゼミの先生としてお世話になったわけではないのですが、自分にとっては忘れられない恩師です。

大学を卒業して実際に教員になってからも、他大学のゼミ生さんと関わる機会をいただいたり、そこで知り合った人と今でも連絡を取り教育について語り合ったりしています。

一年ほど前の外部のイベントで、高校生のプレゼンに対して講評者の方が「憧れに憧れる姿」という言葉を使っていました。
これはもしかして齋藤先生の影響を受けている人なのでは?と思い人づてに聞いてみたところ、明治のご出身だということはわかりました。
自分が大事にしている言葉をきっと同じように意識している人とそんな風に出会ったのは初めてで、とても嬉しくなりました。

「憧れに憧れる関係性」
学ぶことの楽しさや学問のすごさを自分自身の憧れる姿として示すこと。
教員の役割とか仕事とか以上に、生徒にとって身近な大人で、人として憧れられるような存在になりたい、とも思います。
そのことが、学び続ける自分を支えてくれるものにもなっています。

「多様性を最大化せよ」「単独者として行動せよ」
中高生の頃から、仲良しグループでつるむのは苦手でした。グループで活動するようなときには、人数調整としてどこにでも入れる、というのを自分のアイデンティティのようにしていました。
傷ついているつもりはなかったのですが、グループワークの質をあげるためにも仲良し同士にこだわるべきではない、というこの考え方に救われたのも事実です。

「構え」
言葉を届けるには、内容や表現以外にも気にするべきことがあること。
自分は比較的オープンマインドな性質だと思いますが、それまで以上に気持ちの状態を気にするようになりました。
斜に構える反抗期の生徒に腹を立てずに済んでいるのも、本人にはどうしようもない心の状況から出てきている言動だと、余裕をもって捉えることができているからなのかもしれません。
教室の中でどこに立つのか、立って話すのか座って話すのか、といったことにも違いがあるように感じるので、いろいろ試行錯誤してみています。

授業を受けてからおよそ20年。
自分の人生の半分近くが齋藤孝先生の影響の下にあることが感慨深いです。
先生は今年、還暦を迎えられるとのこと。まだまだご活躍でお忙しいと思いますが、どこかでゆっくりお話をうかがいたいたいと思います。

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