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死んだじいじにお化粧を

じいじの為に、介護福祉士になった。
いつか大好きなじいじの役に立ちたいと、勉強した。
でも肝心のじいじはこの世を去る直前まで、自転車での週3回のジムと温泉を楽しむくらい元気だった。孫の私の出番はほとんどなかった。

それでも2度、役に立った時がある。

一つ目はじいじが交通事故にあって入院した時。
私は現場に駆けつけて救急車に同乗、骨折をしていたじいじとそのまま病院へ向かった。トイレに行きたくてベッドから車いすに移りたい、というじいじと、新人でどうしていいかわからずあたふた先輩を探す看護師。
孫の前で漏れちゃいそうなじいじと、10年目の介護福祉士。
時間にして5秒くらいだろうか。私はこそっとじいじを車いすへ移乗した。
あとで看護師には「勝手にされては困る」と散々怒られたが、じいじの名誉は守った。そして、「この子がやってくれて、それが全然痛くなかったんだよ!」は死ぬ直前まで語られ続けた。後日、感謝の手紙とお礼ももらった。

2つ目はじいじがこの世を去ったとき。
ある日突然、じいじはこの世を去った。
じいじは死ぬ直前も温泉を楽しんでいたらしい。なんの前触れもなく、あっという間に逝ってしまった。ピンピンコロリとはまさにこのことで、じいじは素晴らしい生き方をしたと思った。そんなじいじにどうしてもやりたかったことが「死後の処置」だ。病院に着いた時には家族控室は重く暗い空気が淀んでいた。私自身も泣きながら来たものだから、それはひどい顔だった。「なあ、じいじに浴衣を買ってきてくれるか?売店はその先にある」とおじちゃんに言われ売店に向かった。着物は3種類くらいあった。売店の人は察したのか、「男の人ね?おじいちゃんなのね。背は?かっこいい人?可愛らしい人?」と一緒に浴衣を選んでくれた。

私はとても冷静だった。
今亡くなったばかりのじいじと、泣いているその親戚たちの前で一人「おじちゃん、じいじの最期、体きれいにしてあげてもいい?」と聞いた。おじちゃんは驚いた顔をしたが、了承してくれた。身内がなくなったのは初めての経験だったが、看護師を探し出して「エンゼルケアさせてください」と申し出た。何者か、何か資格があるのか、等聞かれた後、「わかりました、しばらくお待ちください。」と部屋へ入って行った…まま、戻ってこなかった。
待てど暮らせど返事がないので自分からドアを開けて入って告げた。「じいじの最期を手伝わせてください」。どうやらうまく伝わってなかったらしい。現場は忙しそうだった。そして私はようやくおじいちゃんの体に服を着せ始めることができたのだった。

オムツはすでにはいていた。体も拭かれていた。私はおじいちゃんの顔や頭を拭いて、着物を着せた。ここで「寒そう」と浴衣を肩にかける私と、「着せにくいだろうが」という看護師の着せて脱がしての無言のバトル勃発。看護師とはとことん相性が悪いらしい。ごめんなさい。なんとか終えて用意された数少ないメイク道具で顔色を整えた。仕事では何度も経験したが、じいじに化粧をするのはなんだか変な気持ちだった。チークも少し濃いような。ああ、ごめん、じいじ。

そんなことがあって、私はじいじの最期に死に化粧を施した。

その夜、寝ていると枕元で「おい、、、おい、、、。」と名前を2回呼ばれた。腫れた目をなんとか開けると、そこにはあの浴衣を着た、チーク濃いめのじいじが、昔飼っていた犬を連れて立っていた。

「ありがとうな」

そう微笑むと、じいじは白い光と共にフワッと消えた。

一番大好きなじいじがいなくなってしまったのに、私の心はとても穏やかで、スッキリとさえしていた。大好きなじいじとの最高の最期だった。じいじにお化粧できたことで、しっかりとお別れができたのだ。

こちらこそありがとうね、じいじ。大好きだよ。

#おじいちゃんおばあちゃんへ  

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