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ライティング・スクール第二期 受講生座談会

——今日は『Jodo Journal』入稿作業を終えたばかりの浄土複合ライティング・スクール第二期受講生のみなさんに集まっていただきました。それぞれ自己紹介と、受講の理由やきっかけを教えてください。

八坂百恵 普段は映画館で働いています。大学生時代は芸術学を学んでいました。受講した理由は、学生時代に所属していたゼミの指導教員が仰った「作品について書くことは、言葉を尽くして作品を守ることです」という言葉がずっと心の中にあり、作品について書くことをもう一度やりたかったからです。

足利大輔 僕は普段、僧侶を生業としていますが、受講当時は大学院の修士過程で学んでいて、修士論文を書こうというタイミングでした。それにあたって書くスキルを身につけたくて受講しました。学割があったことも受講を決めた重要なポイントでした。

廣橋美侑 京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)のアートプロデュース学科の三年生です。受講のきっかけは、学科で展覧会を開催するときに作品について書くことがあったんですが、そういったことの経験が全くなく、あまり書けなかったのが悔しかったからです。

中谷利明 僕はもともと京都精華大学でデザインの勉強をしていて、卒業後は撮影の仕事をやったりやらなかったりしていました。二~三年くらい前から公私ともに舞台芸術やアートに触れる機会が増えてきたんですが、ただ撮影するだけでなく、言語化の能力を身につけることで、言葉と映像の両面から記録を残していけたら面白そうだなと思って受講しました。

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——前期では、展覧会レビューを書く練習をしていましたが、いかがでしたか?

廣橋 最近、あるアーティストについてコラムを書く機会があったのですが、ここでの経験を活かして、書く前提で作品を見ることを意識するようになりました。

足利 批評のライティングスクールというと、東京批評文化圏のイメージがあったので、緊張していました。だけど入ってみると、ひとりひとり密に、あなたの考えているのはこういうことですよね、というふうに指導して頂けたのが良かったです。半年のトレーニングでは「伝わるように書く」ということが中心的なテーマでしたが、それは学生が論文を書く時にもすごく重要なことだと感じていました。

八坂 構造をどうすれば言いたいことが伝わるか、どこが邪魔か、といったことを中心に講評してもらっているので、自分で書くときにどこに気を付けたらいいか意識できるようになりました。また、映画の構造を意識するといい、というのを何回か講師の皆さんから伺いましたが、それを意識してから、書き出し方や構成の仕方が決められるようになって、読むときも読みやすくなりました。

足利 最初に、自分の中に他者の視点を持てるようになりましょうっていうことを言われましたが、そのために時間がかかる指導をされていたんだなと思います。

中谷 僕は、詩や短い書き物は、五年くらいは書き溜めていましたが、論理的に文章を構築していたわけではなく、自分の直感や読んだ本の影響からそれらしい構文をつくる、というようなものでしかありませんでした。浄土複合で書いた経験は、いい刺激になりました。詩と批評はペアになっていて、批評を書くことは自分の詩へのフィードバックだと思うので、論理的な文章と直感的なものの均衡関係を体感できました。

——計四回のゲスト講師回で印象に残っていることはありますか?

中谷 千葉雅也さんの講義回で、全員ディスクリプションが長いと言われましたよね。もっと小説の書き出しみたいに書き始めていい、と。ああいうのがすごく刺激になりました。

八坂 説明だけ書いていたら誰も読んでくれないんだ、というのに改めて気付かされました。千葉さんが一番最初のゲスト講師でしたよね。私は美学芸術学科で卒論を書いて卒業したこともあり、レビューと論文は違うのに、事実以外を書いちゃいけないみたいな思い込みがあり、全然書けなかったんです。そこへ千葉さんが「ジャーナリスティックでコラム的だからこれ以上この文章を発展させようはないけど、このやり方を突き詰めていく方法もある、書きやすい方法で書いたらいい」と仰って、逆にジャーナリスティックなところを脱してみたいと思うようになりました。

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中谷 福永信さんが印象的でした。

八坂 読みながら突っ込むのは読み手の楽しみだから、そのうまみを奪ってはいけない、と仰ってましたね。それを聞いてから自由に書けるようになりました。「私はこう感じました」って言っていいんだ! って。それが今までできなかったので。

足利 僕はオンラインで福永さんの講義回を受けたので、画面越しだったんですが、熱い人だなと思いましたね。よく分からない文章でもいいからとにかく思ったことを書く、ということを仰っていて、それまで神経症的に考えていたので、気持ちがちょっと楽になりました。まあ僕の文章を講評してもらって、よく分からなかったって言われたんですけどね(笑)。

八坂 佐々木敦さんはリモート登壇でしたね。佐々木さんは、画面越しなのに陽のエネルギーを放たれていて、気分が駆り立てられてしまって。帰宅後、数日前に行った展覧会のレビューをその晩のうちにがーっと書き上げてしまったという思い出があります。

中谷 小田原のどかさんがすごくかっこよかったです。直感的な制作を続けてこられた小田原さんが、長崎の爆心地のモニュメントに出会い、自分の中の信仰心が崩れて、そこから今の小田原さんの裸体像に関する論考ができあがってきたという。小田原さんのテキストは、綿密に練り上げられた強固なものだと思うんですが、そこの根底にある個人的な気付きを知ることができました。他の講師の方もそうですが、この人たちはそういうプロセスで強くなっていったんだ、というような感動がありました。そういった人間っぽさを皆さんから伺えて、良かったです。

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——後期では『Jodo Journal』vol.2 の制作に取り掛かり、受講生それぞれで記事を企画しましたが、いかがでしたか?

八坂 雑誌を作るとなると、書く時の苦しみと全く別の苦しみがありました。会ったことのない人にコンタクトとるとか。

中谷 すごく楽しかったです。一番大変だったのは、自分の記事の導入文を書くことでした。自分の直感から始まったものを論理的に書いていく作業には、最後まで手こずりました。

八坂 私も自分の記事の扉の文章をリライトしています。一度はこれでいきましょうってなったんですが、後期の講師の島貫泰介さんに、端的に事実を追いすぎていて記事の熱量に追いついていないと指摘をいただいて。勢いを加速気味で書き直したら、その記事にハマりました。あれは編集において面白い経験でした。

廣橋 私は、受講生へのゆるいインタビュー記事を書きました。勇気を出して一歩、という感じではなかったのですが、削ぎ落して短くまとめるのが大変でした。

足利 僕は僧侶だけでなくDJ もしているということもあり、「コロナ禍のクラブカルチャー」というテーマで特集に取り組みました。身近な問題だったので、自分の書く記事に使命感がある一方で、どうすれば伝えられるか悩みましたね。ひとり二時間くらいのインタビューをほとんど削りました。でも編集で、切り落としたり時系列を組み替えて読者に伝わるようにすることは、DJ をするときのような感覚で、好きな作業でした。

——皆さんは展覧会を観に行ってから、どうやってレビューを書いていましたか? アイデアを出すプロセスなどお聞かせください。

廣橋 美術の展覧会はだいたいスマホが使えるので、ノートアプリでメモを書いておくとか。演劇なら、帰りの電車に乗っているときにひたすら書き出して、キーワードをそこから拾って書いたりします。

足利 僕もその場でメモをとったりしていました。また平倉圭さんが池田さんとの対談で仰っていた、分析対象の作品を部屋にで仰っていた、分析対象の作品を部屋に貼って過ごす、というのを参考にして、一週間ぐらいベッドに図録を置いたりして、資料と生活を共にしていました。

八坂 私は紙の方がアウトプットしやすいので、メモをとるときやアイデア出しをするときは紙なんですが、それがそのまま形になるわけではなく、書きながら何が言いたいかを考えていきます。メモはきっかけにすぎず、書いて読み返して書き直して、を繰り返します。「これは何」「どういうこと」まで書けているけど、「だから何」が書けてないな、というようなことを考えて作業します。

中谷 僕は展覧会に行くことは少なめなんですけど、対象作品によってアプローチは変えていました。小説なら何回も読んで連想したことをメモして、展覧会のときはスマホで展覧会場の特徴や連想したことのメモをとりました。あとは展覧会が公式に出している文章や図録はなるべく読んでいました。でも最近自分の中で整ってきたのは、日記みたいに書くことです。独り言に近い感じで書くのが合っていました。

——今後、受講したことを活かして、やりたいことなどはありますか?

八坂 私の記事は、批評誌を作ったことがある人たちへのインタビューなんです。資本主義社会の濁流に流されずに立っているために、私自身でも批評誌を立ち上げることに興味はあるんですが、一年間の受講を通して、分かってはいたけど私は何も知らないんだなと思って。考えすぎたら何もできない、というのも学びましたが、そこで躊躇しています。

廣橋 分かります(笑)。

八坂 あとは今、読書会を知人を募って開いたりしています。書くことと読むことがセットになっているというお話もあったので、まず読めなきゃと思っています。

中谷 溢れさせるのが大事なんでしょうが、溢れさせるぞ! と思っても溢れない。溢れている人と接するとこっちまで溢れちゃって、書かなきゃっていう気になります。知人にそういう人がいるんですが、インプットの量もすごいです。でも量とともに深さが重要なのだとも思っています。

廣橋 自分からみると、受講生の皆さんもインプットの量が多いです。皆さんすごく勉強されているのと、苦しんで書くことに努力を捧げられるところに刺激されて、自分も頑張ろうと思えました。今後ですが、ここで学んだことを活かして、自分が面白いと思ったことを伝えられるようになりたいです。

足利 僕は色んなコミュニティーにいる人間ですが、コミュニティーそれぞれに独自のコードがあって、どれか一つだけに所属してしまうと他のコミュニティーでの考え方ができなくなるんです。例えば、クラブカルチャーのコミュニティーでの常識が自分にとっての当たり前になると、僧侶として生きるのが難しくなる。だからその中間をどう確保するかが僕のテーマとしてあります。なので佐々木敦さんの、アウトサイダーであり続けることを大切にされているというお話が、すごく刺激になりました。僕もそういうふうに生きていきたい。そのときに批評行為は、本来繋がらないコミュニティーを関係づける力を持っているように感じています。それが僕にとっての中間=自分の居場所になるのかもしれません。

中谷 分かります。僕は八年ぐらい京都にいて、脈絡のない生き方をしてきたので色んなコミュニティーに所属しているんですが、僕の記事は、それぞれのコミュニティーに共通するものを見出そうとする試みでした。このインタビューはこれからも続けていこうと思っています。

廣橋 今後もまた、皆で集まれたらいいですね。

八坂 そうですね。その足場として、今受講生で自主的にやっている読書会は続けていきたいです。


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