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「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」展(国立国際美術館)レビュー

凪の空間、浮かび上がるイメージ

ギサブキリコ

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波音が聞こえてくる。なにかを打ち上げて、なにかを底にしずめる波。なにか忘れてしまった、置いてきてしまった物事が、ふいに思わぬ形で浮かびあがる。

ヤン・ヴォーがつくりだすのはある種の凪の空間だ。歴史や制度という重しによって過去に沈んで見えなくなっていたものが、ゆっくりと浮き上がり、新たなイメージを描く。

ヤン・ヴォーのインスタレーションには、かつてあった場所や時間の無数の痕跡が様々な形で残っている。巨大なシャンデリア、≪セントラル・ロトンダ/ウィンターガーデン≫(2011)は、かつて「Good place to watch the war」としてベトナム戦争の情報拠点であった旧マジェスティックホテルに設置されていたものだ。周りにあるのは、ベトナム戦争の軍事介入を推し進めたジョンソン元大統領が、法案署名時に使用したペン先、そして同じく当時ベトナム戦争の最高責任者であったマクナマラ元国防長官の使用した閣議椅子だ。輸送パレットに収まって、運ばれる途中であるかのように置かれたシャンデリアは、それらの物に囲まれて、パレットの板と板の間から不穏な輝きを放ち始める。

14通の手紙と封筒、≪無題≫(2008)のレターヘッドには「ホワイトハウス」とある。ベトナム戦争時の大統領補佐官キッシンジャーと、大手メディア記者との、バレエチケットの手配やお礼、会議で公演に行けなかったことを残念がる他愛のない、そして幾分のんきなやりとりだ。手紙に記された日付の連なりが、大勢の人の人生を、怒涛のごとく呑み込んだベトナム戦争の、重要な決定が多くなされた、まさにその渦中でとりかわされたという事実が見えてくる。キッシンジャーは後に、「ベトナム戦争終結への貢献」によりノーベル平和賞を受賞する。どこか特定の場所、特定の時間、そこに確かに存在した物事の、沈んで見えなくなっていた側面が浮かびあがってくるようだ。

ヤン・ヴォーは「漂流」の作家だ。1975年、ベトナム戦争が終わった年に生まれた彼は、戦後の混乱の中、家族でベトナムから海に脱出する。波に運ばれる父手製のボートは、たまたま通りかかった外国の貨物船に、奇跡的に助けられる。難民キャンプを経て、デンマークに移民として辿りついたヴォーは、その後も学生時代をドイツで過ごし、その後、メキシコに活動拠点を持つなど、様々な場所を移りわたってきた。

展示空間には、ヴォーが「作った」ものは少ない。父が依頼により制作したカリグラフィー、蚤の市で拾ったキリスト像、木片、手紙、使用済み段ボール、イサムノグチ作のライト。木片は、前述のマクナマラの息子の農園から切り出されたものだ。展示壁の染みは、美術館の前回の展示での跡を完璧に消さず、そのまま残したものだという。

また、展示空間には鏡が多用されており、空間内を進む自分や他者の人影は、ぼやけ、見え隠れし、合わせ鏡で無限に増殖して、空間と交じりあいながら、波に流されるイメージと重なっていく。

凪は、風が別の風へ切り替わるときに現れる、無風状態を表す。ヴォーのつくる凪の空間は、そのような流れと流れの「継ぎ目」として現れるように感じられる。

空間の中盤辺りに、金継をほどこされた印象的な作品がある。アメリカを象徴するラッキーストライクのカートン箱の破れ目が、金で継がれている。インタビューの中で、ヴォーは金継を、「この素晴らしいアイデアは私の最近の作品に通じるものがあります」 と言う。

ヴォーの作品には「切断」を想起させる作品がいくつもある。切断されたいくつかのローマ彫刻がつなぎあわされた作品は、継ぎ目が隠すことなく強調されており、その台座となっている椅子もまた、足が一度分解され、違う材質で改めてつなぎなおされている。空間内にたびたび現れる、輸送箱に入れるため切断された、キリストや天使の像の断面は、辿りついた先での継当てを待っているかのようだ。

「制度」に切断された作品もある。結婚証明書と離婚証明書が2組、計4通の書類の額装、≪ヴォー・ロサスコ・ラスムセン≫(2003)で、ヴォーは恋愛関係ではなかった、同級生や仕事仲間の女性と男性と、「作品」としてそれぞれ結婚し、その翌年に離婚している。そこには、制度の手続きとしての結婚と離婚の事実が証明として残っており、ヴォーの本名には今も、ふたりの名前、「ロサスコ」「ラスムセン」が消えずに残っている。

それに対比されるかのように横に吊るされている、ヴォーの当時の恋人がくれた、パークハイアット東京C28号室の鍵、ベルリン、トル通り93番地アパートメントの鍵、アルファ・ロメオ147の鍵、の連なりである≪Uro(モビール)≫(2009)から感じられるのは、制度等の形として残らないパーソナルで親密な記憶であり、そこから伝わる確かさである。

展示空間の終盤に、切り取られた耳の作品がある。≪我ら人民は≫(2011~2016)という題のその作品は、1セント銅貨を溶かして自由の女神を原寸大で復元し、250ものパーツに切断、部分を世界中で展示していくというプロジェクトによるものだ。切断面があらわになった女神の耳は、薄い輪郭のみで、中身の空洞をさらけだしている。

例えば、「我ら人民は」(We the People)と言うたびに現れてしまう、誰がWeでありWeでないかという切断は、様々な人を呑み込む大きな波を起こす。その「である」、と「でない」、ではない、継ぎあわせるそれぞれの破片ではなく、その継ぎ目にこそ、ヤン・ヴォーが提示しようとする、凪の空間が現れるように感じる。

「私はどちらかというとストーリーよりイメージを考えます」 とヴォーは言う。「ストーリー」としての歴史や制度は、硬い船のように水面に浮かんで波を起こし、そこからこぼれおちる繊細で親密な「イメージ」たちを沈めてしまう。ヤン・ヴォーは、波に流される者としても、波を発生させる者としても現れるわたしたちを、分断することなく、継ぎ目を浮き上がらせることで、凪の空間を出現させる。鏡文字になった展示タイトルは、凪いだ水面のようでもある。

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ギサブキリコ:神戸大学大学院人間発達環境学研究科

「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」

国立国際美術館 2020年6月2日(火)─ 10月11日(日)


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