見出し画像

核禁条約に日本参加を きのこ会が声明

核兵器禁止条約が発効した1月22日、原爆小頭症被爆者と家族らでつくる「きのこ会」は会長の長岡義夫さん(71)らが広島市役所で会見し、日本政府に条約への署名と批准を求める会長名のメッセージを発表、首相と衆参両院議長、主要政党、広島県選出国会議員(公選法違反に問われた河井夫妻を除く)に要望書として送付した。(写真は左から会見する、きのこ会の平尾直政事務局長、長岡義夫会長、小頭症被爆者の川下ヒロエさん)
きのこ会は「核兵器廃絶と恒久平和」を目的の一つに掲げているが、「被爆者が障害のある子を産む」との偏見や差別に苦しめられてきた会員や家族は、これまで表立った活動から距離を置いてきた。
しかし、原爆を憎み核兵器廃絶を願う会員の気持ちはひときわ強く、核兵器廃絶へ向けて画期的な禁止条約の発効にあたって会としてメッセージを出すことになった。
原爆小頭症は妊娠早期の母親の胎内で原爆の強力な放射線を浴びたことで頭が小さく知的障害、内臓室患などさまざまな障害を持って生まれる原爆後障害。メッセージは「核兵器は戦場から最も遠いはずの母親の胎内で芽生えた小さな命をも傷つける」と指摘。簡単な計算ができず買物も不自由な小頭症の兄から「わしが原爆にあわんかったらどうなったと思う」と聞かれて答えに困った体験を述べて、原爆小頭症の子どもと家族の悲劇を繰り返さないために条約が実効性を伴うものとなることを願うと訴えている。
国が認定している原爆小頭症の被爆者は20年3月末で17人。うち広島の一人が10月に亡くなった。きのこ会の小頭症会員は今年1月1日現在で15人。

きのこ会要望書


本日、核兵器禁止条約が発効しました。「唯一の戦争被爆国」を自認し非核三原則を掲げる日本国政府は、この核兵器禁止条約に署名・批准をしてください。

核兵器は単に「巨大な威力を持つ爆弾」ではありません。ひとの細胞を遺伝子レベルで傷つける人類史上類を見ない「悪魔の兵器」です。被爆の後、生き残ったと思っていた者の命をも奪います。核兵器から発せられる放射線は、がんなどの致命的な病を誘引します。しかし、それがいつ発症し、いつ命を奪うのかはわかりません。いわば「見えない時限爆弾」を人体に埋め込むようなものです。しかもそれは被爆から75年たった今もなおかつ被爆者たちを苦しめ続けています。

核兵器の放射線は、戦場から最も遠いはずの、母親の胎内で芽生えた小さな命をも傷つけます。
原爆小頭症は、妊娠早期の胎児が核兵器の強力な放射線にさらされることでおこります。放射線の影響で、生まれながらに脳の発達などが妨げられ、知的障害、内臓疾患、股関節の異常、指の欠損など様々な障害を負いました。もし母親のお腹の中で被爆することさえなかったら、彼らはまったく別の人生を歩んでいたはずです。

私の兄は爆心地から900メートルの木造家屋の中で胎内被爆した原爆小頭児です。まもなく75歳になりますが、今も簡単な計算すらできません。買い物ではどんな小さなものでも必ずお札を出します。お札を出せばお釣りが返ってくるからです。兄の財布は小銭でいっぱいですが、彼はそれを使うことはありません。小銭の使い方がわからないからです。あるとき兄は私に言いました。「わしが原爆にあわんかつたら、どうなったと思う?」。私は答えに困りました。

知的障害のある小頭症被爆者たちは、自らの口で「核兵器の廃絶」とは言いません。しかし、その存在そのもので、核兵器の非人道性を訴えています。

核兵器禁止条約は、その前文において「全廃こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である。」と記しています。この前文のメッセージを真蟄に受け止めてください。原爆小頭症の子どもと家族の悲劇を繰り返さないために、核兵器禁止条約が実効性を伴うものとなることを心から願います。

2021年1月22日
きのこ会(原爆小頭症被爆者と家族の会)
会長  長岡義夫

会見する小頭症被爆者の川下ヒロエさん

母のおなかの中にいる命を傷つける兵器で
平和が守れるはずがない
きのこ会会見詳報

核兵器禁止条約が発効した21年1月22日午前9時から広島市役所内の広島市政クラブできのこ会の長岡義夫会長、平尾直政事務局長、原爆小頭症被爆者の川下ヒロエさんの3人が会した。支援会員の河宮百合恵さんが後方で見守った。
 まず長岡会長が条約発効にあたってのメッセージを読み上げた後、質疑に応じた。質疑応答の詳細は次のとおり。

 良いことだと思います―小頭症のヒロエさん

NHK ヒロエさんに。今日世界で核兵器が禁止ということになった。どういうふうに今日を迎えましたか。
ヒロエ 詳しいことは分からないので…
長岡 (隣から)喜ばしいことだよね。核兵器がなくなるってことはきのこ会の望みでもあるし、お母さんたちの望みでもあったはずですから良いことだと思いますよ。
ヒロエ はい。
長岡 ヒロエさんはどう思いますか。
ヒロエ その通りです。
長岡 そう思いますか。
ヒロエ はい。

核の傘に守られた平和が真の平和と思っておりません

朝日 長岡会長は弟さんの立場で会長という重職を担われている。会の発足に尽力されたお母様たち世代はもうこの世にいない。親御さん世代は今日この日をどんな風に迎えているとご家族の一員として思うか。
長岡 そうですね、きのこ会発足が1965年ですか。その時点から核兵器の廃絶は目的の一つに入っていまして、これは廃絶するまでのまず大きな一歩なのかなと思うので、これが50カ国の批准によって発効したというのは両親たちみな他界をしておりますけれども、きっと喜んでくれておると思います。被爆者団体のいろんな発言があると思うんですけど、それと意を同じにしております。
読売 会長に。条約に日本政府は参加していないが受け止めは。
長岡 核の傘に守られた平和っていうのが真の平和とは私たちは思っておりません。日本政府は核保有国と非保有国の橋渡しをするという言葉をよく使っているが橋渡しという言葉が私たちにはよく分かりません。逆に核が必要なんだという言葉に響いて聞こえて仕方がないところがあります。

大きな力ではないにしてもゼロではない

読売 これから会としてどういった活動をしていくか。
長岡 私たち主な活動の目的は会員たちが残された人生、もう今年で75歳になるわけですけど、穏やかに、彼ららしく生活をしていくことの支えといいますか支援をしていくことを主に考えております。小さな小さな会ですから大きなメッセージとか訴えはできないんじゃないかと自分たちでも思っておりますけれども、この延長線上に核兵器の廃絶がつながったり、平和がもたらされるんじゃないかなという希望を持っております。
共同 原爆小頭症の存在はまだ知られていない。そういった意図もあってきょう会見を開かれたのかとも思うが。
長岡 いちばん政府にお願いしたいのは核兵器禁止条約に署名、批准をしていただきたい。私たちはそれを願ってきたわけですし、これからも願っていこうと思っております。被爆者すべてそういう思いでみなさんいろんな運動をしてこられてるんじゃないかなと思います。大きな力ではないにしてもゼロではない、限りなくゼロに近いけれどもゼロではない。そういうとらえ方をしております。

会見する長岡義夫会長と小頭症被爆者の川下ヒロエさん

 表に立つことを控えていた親たちも核廃絶の願いは強かった

中国 長岡さんに。核兵器禁止条約にいつごろから注目されていたか。また前文の中に女性、母体への影響を強調した部分がある。そのあたりは小頭症の被害につながるものだが、どうか。
長岡 会としては会員の支援をすることがメーンになりがちで、政治的な動きはあまりしてこなかった。会員の両親たちが生きていたときもあんまり表に立つことは控えてたというか、一歩も二歩も引いていた。被爆者団体の運動から。ただ、願いは強いものがあったと思います。母親、父親。そういう思いを抱きながらの運動だったと思うので、女性うんぬんっていうのも、もちろん母親の胎内でというのが含まれていると思うんですけど、やはり放射線によっておなかの中にいる小さな命をも傷付けてしまう。そういう兵器で平和が守れるはずがない。そういう思いは常に抱いております。
中国 長岡さんがお母様から聞かれたことで、実態として伝えたいことはありますか。
長岡 実は母親から生前にですね、きのこ会のことを頼むとか言葉はひと言もなかったわけで、会長であった母親が他界しまして6年間は会長職が不在であったんですけれども。事務局としていろんな支援を受けていて、その事実を知るにいたってですね、やっぱり家族である自分が何もしないっていうのはそれはないだろうっていう、まったく本当にきのこ会の運動に関して知らなかったわけで、理由になるかはわかりませんけれども。言い訳っぽく聞こえるかもしれませんが、ほとんど私は母が存命中は活動はしておりませんでした。親たちは引き継ぎたかった思いはあったかもしれませんけど、その点では親不孝したのかなとは思っております。
中国 被爆体験とかお兄さんの出産の記憶とかを生前に聞かれたりは?
長岡 ABCCの対応については、調査はするけれども治療はしないっていう組織に対して憤りを感じていたというのはよく耳にした言葉。それ以外はあまり聞いた覚えがありません。(ABCCは)原爆小頭症の子どもたちが生まれた原因は明らかに核兵器の放射線であったと判明した後も母親たちには栄養失調が原因である、そういうことを言っていた、言い続けてきた。米国本土ではずいぶん早くから論文が発表されていましたが、日本語に翻訳されたのが10年後ということで日本の専門家たちもある程度のことは分かってたらしいんですけれども、そういうことが要因できのこ会が発足する時期が遅れたのかなと。いろんな要因があると思うんですが、そのへんもあるのかなと思っております。

 支える親は全員が亡くなり、面会すら難しい―小頭症被爆者の近況

朝日 ここに来られていない小頭症被爆者の近況を教えてほしい
長岡 大変難しい質問で、胎内被爆の仲間ではあるんだけれども、ひとくくりにできない難しさがあります。というのも、寝たきりの人もいますし、現在は入院して透析を受けている会員もおりますし、昨年も1人亡くなったんですけれども。だから彼女(ヒロエさん)の場合いちばん元気なんですよ。幸せな存在なのかなと私は思っているんですけれども。ひとりでは何しろ生活は成り立たない。お金の勘定してもらっている人も、成年後見を受けている人もおりますし、そのへんで…親族に支えてもらっている人はとても幸せなケースで、他人にお金を払って成年後見のシステムを利用せざるをえない人とか、姪御さんが抱えておられたり、老人施設に入ったり。だからそういう、ひとくくりにできない状態があります。
平尾 補足をさせていただいてもよろしいでしょうか。今回小頭症の当事者として川下ヒロエさんに同席してもらっていますけれども、基本的に他の会員たちは病院に入院していたり施設に入所をしていたりとか、そういう方についてはいまもう面会すら難しい、外に出ることも難しいという状況になります。私たち支援をしていながらもうこの1年近く会えないという状況が続いています。川下ヒロエさんは1946年4月2日に生まれて、小頭症の認定を受けたのが1988年、42歳の時です。お母様とずっと2人暮らしをされていたんですけれども、お母様は2014年に亡くなられました。川下さんのお母様はきのこ会の親としては最後の親御さんで、川下さんのお母様が亡くなられたことできのこ会に所属する親の世代はいなくなりました。なのでもういま原爆小頭症の子どもたちを支える親というのはいない。誰も支える人間がいないというそういう状況のなかで生きなくちゃいけない状況。もし母親のおなかの中で被爆することがなかったらもっと違った人生を歩んでいたはず、であるにもかかわらずこのような、人によっては寂しい、孤独な状況が今も続いているという状況です。詳しいことは資料にお配りしましたが、広島市にいる方は、広島市には専任の相談員がいますので、ある程度のケアはしてもらえますが、広島から離れた地域にいる小頭症の方々については直接的なそういう支援の手がなかなか届きにくいところがあります。ましてや施設に入ってしまったりすると、どのようにアクセスするかも難しい、そういう状況にあるとご理解いただければと思います。

 唯一の被爆国と言っている政府が背を向けてどうするのか

NHK 長岡さんにあらためて今日の条約発効の受け止めと、今後について。
長岡 全面的に歓迎の姿勢というか、そういう思いで受け止めております。今後というのも政府に対しては橋渡し役とかいう都合の良い言葉ではなくて、僕から言えば逃げているな、背を向けているなという思いがありますから、やっぱりちゃんと批准をしてもらって。政府は唯一の被爆国と言っているわけですから、そこが背を向けてどうするの。私はそこらへんですごく矛盾を感じています。他の被爆者団体と同意見です。今後に関して言えば、その流れできちんと世界の流れをくみ取って日本政府にはそういう動きをきちんとしていただきたい、対応もしていただきたい。そういう風に思っております。
朝日 きのこ会の他の仲間達にいまどんな気持ちですか
ヒロエ みんなにも長生きしてほしいって思います。
長岡 いつも言ってることなんですけど、幸せな生活。今後穏やかに生活をしてほしい。僕たちはそれを支えるために会の運動をしております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?