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ZOOM呑みに欠ける酒呑みにとって大切なこと

写真、何年か前のですが、西荻窪の通称戎通り。18歳の頃から御世話になっています。酒場から酒場に放浪するあいだにこういうところを歩くのが至福の喜びです。

ZOOM呑み。拡がってますね。金曜日は珍しく梯子酒でした。一軒目が西荻窪の店、二軒目は銀座の店。いずれもお店の方は、カウンターの中からZOOMに入っておられました。参加者は関西や四国の方などもいて、このあたりはZOOM呑みならではです。最近では、知り合い同士のうちうちのものだけではなく、酒場や酒蔵が主催するZOOM呑みも増えてます。遠方の人が入れたり、忙しい時も少し入れたり、予定のある時は中抜けしたり、なかなか便利です。ある程度は、平時になっても残って欲しいなという気もします。でも、ZOOM呑みというか、オンライン呑みに徹底的に欠けているものがあります。それは「余韻」です。これ呑み会だけじゃなくて、オンライン共通の話ですけどね。

会計を終えて酒場を出るときに、大将や女将に入り口まで送ってもらったりすること、出口でまた話が続いてしまいじゃあ呑み直しますかと店に戻ったりとか、酒場から駅までの帰り道にあれこれと考えることとか、たまたま同じ方向の人と語りながら帰途につくこととか、こういった余韻が一切なく、ブツリとデジタルに宴は終わります。100から0に変わる瞬間です。これが酒場好きとしては何よりも寂しい。酒場から千鳥足というプロセスを経て、乗り越しという果敢なリスクを取って自宅に帰るまでの時間。今、考えるといい余韻だったんですね。時にはもう一軒寄ってしまったり、時にはラーメン屋の魅力に負けてしまったり、時には知らない駅で起きたり、そんなことはZOOM呑みでは起こりません。その代わりにありがちなのが、いつまでも呑み続けられてしまうこと。それこそ床につくまで呑めてしまいます。これは非常に体に悪いことです。なので、退出する勇気をきちんと持つことが大事です。最後の店を出て、自宅まで歩くあの道程がいかに私たちの健康にとって大切だったことか。道程といえば高村光太郎ですが、「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」という気持ちで、僕の前にあらわれた店を新規開拓してしまうとか、それはそれで不健康なんだれど、実は結構な歩数を歩いたり、呑んでから寝るまでにそれなりの時間があったりすることは、なかなか健康的な生活だったんです。

先日、HRカンファレンスでZOOMを使って3人でパネルディスカッションをやったんですが、これも終了時の余韻ゼロを実感しました。パネルディスカッションが終わって、主催者がZOOMを切った瞬間、そこで100から0にデジタルに世界が変わります。ポツンと自室に一人残される私…。普通、講演やると、終了後には聴いてくださっていた人が名刺交換や質問に来てくれたり、知り合いが必ず何人かいて「お久しぶり、今、何やってるの?」なんて話になったり、登壇者同士で感想を交換して「今度呑みましょうか」という話になったり、そんな有意義な余韻の時間がありましたが、ZOOM講演会はブツリです。で、あまりに寂しいのでそのあとすぐに登壇者3人でメッセンジャーつないで、あれこれやりとりを勝手にしていました。

会議でも終了時の余韻がありません。会議が終わったあとに提案が通らなかったメンバーに声をかけるとか、会議室を出てそれぞれの執務場所に戻るまでにする会話とか、こういったのがなくなります。ただ、会議自体の生産性はかなりあがる感じはします。最近は、会議終了後に誰と誰はもう少し話がしたいので、残ってもらっていい?というパターンがweb会議でも増えました。知恵ですね。

馴染みの酒場を後にして、千鳥足で鼻歌でも歌いながら余韻を愉しみ街を歩く生活って幸せだったんだなと再認識します。西荻窪の街を歩きたい。


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