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横濱刑務所の文鎮について


公式サイトのトップページに掲載しているこの史料は、昭和11(1936)年に横浜刑務所落成式の記念品として配られた銅製文鎮です。
縦7.5cm×横12cmの大きさで、写真のようにA5判の『刑政』を押さえるのにぴったりの大きさです。

『刑政』誌と文鎮

記念品に添付された解説書には次のように書かれています。
「(前略)…本記念品には刑務所の拘禁目的を象徴して舊時代の監獄に用ひられたる鐵鎖、(釱)を掲げ、之の改善目的を象徴して、十六世紀末のアムステルダム懲治場の表門を示せるものなり。…(後略)」

アムステルダム懲治場は、自由の拘束と労働をもって犯罪者の改善更生をはかろうとする近代的自由刑の起源とされています。
昭和11年の日本でも、刑務所は刑罰を科するだけではなく、犯罪者を更生する場でもあるという考えがあったことを、この文鎮は表しています。

鐵鎖(鉄鎖)、釱について

明治22年(1889年)の『監獄則』によると、鉄鎖や釱(足枷)は、逃走や獄舎の破壊、暴行や脅迫などを行った囚人に対する懲罰として一定期間使用されることとされています。明治41年(1908年)の『監獄法』制定後は、懲罰として鉄鎖が使用されることはなくなりましたが、自身や他人への暴行や器物破壊を防ぐための戒具としては残りました。

明治28(1895)年『東京集治監囚徒動作之図』より

アムステルダム懲治場の表門について

文鎮の中央にオランダ語の文章が記されています。


Schrick niet! ick wreeck geen quaet, maer dwing tot goedt.
Straf ist myn handt, mar lieflijck myn gemoedt. 1645

【記念品に添付された訳文】
怖るるなかれ!余は汝の悪行に対し復讐せんとするものにあらず、却って汝を善に導かんとするものなり。
余の手は厳かなりと雖も、余の心は親心なり。 1645


これはオランダのアムステルダム旧女子懲治場(spinhuis)の表門に刻まれている言葉(Schrik niet ik wreek geen quaat maar dwing tot goet Straf is myn hant maar lieflyk myn gemoet)の後半部分です。

アムステルダム旧女子懲治場(spinhuis)は1597年にウルズラ修道院の一部として設立されました。その後、詩人ピーテル・コルネリスゾーン・ホーフト(Pieter Corneliszoon Hooft, 1581-1647)による、ラテン語で「罰」を意味する詩『Castigatio』が表門に刻まれました。この詩の後半部分が文鎮に記されています。

アムステルダム旧女子懲治場は1643年に火災に遭いましたが、2年後に再建されました。詩は再び入口に刻まれ、ルネサンス風の豪華なレリーフとともに現在も残っています。レリーフには3人の女性が描かれており、中央の女性が罪人の女性に鞭を振り下ろそうとしている場面が表現されています。

ちなみに、横浜刑務所の文鎮に「1645」と記されているのは、火災後に再建された年を示しており、文鎮のライオンのデザインは、レリーフの上部に配置されたライオンから取られたと考えられます。

Wikipedia-Spinhuis (Amsterdam)



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