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"いい"依存と"わるい"依存と

皆さんおはこんばんにちは!
(4281文字 /約6分で読めると思います。)

職場近くに公園があり、昼休みによくそこの公園でハンバーガーを食べるんですが、座ってぼーっとしつつも何気なくスマホを出してインスタグラムを開きながら、「あれ、、今俺インスタ開こうと思って開いたっけ??」と疑心暗鬼になってしまった今日この頃です。

なぜ疑心暗鬼になっかというと、どこまで意識的に一つのアプリケーションを開こうとしたかという点で、アプリを開くためには指紋認証でスマホを開いてから、アプリの場所を認識しつつ、人差し指が親指でタップして開くという流れなんですが、これをおそらく殆ど無意識にやっていたんですね。

「あー疲れた。」という感覚に意識は持っていかれていてまさに呼吸するかの如く、アプリを開いていました。

人の時間というのは1日24時間しかなくて、商品やサービスというのは、この24時間のうちから睡眠や仕事の時間を除いた自由に使える時間(可処分時間)の取り合いでありまして、、

そんな可処分時間というのは、今はこれを買いに行こう。食べに行こう。見に行こう。など人が意識的に使う時間だと思っていましたが、そこを超越した自分の無意識的な時間(呼吸する時間を意識して取ってる人はいないはず。。)を一つのアプリケーションに取られていることは驚きました。

よく、SNS中毒者が増えているなんてニュースをみますが、まぁ個人的にもこれに近いのかもなと感じつつ、もちろん中には有益な情報を得られるときもあるので一概には言えないんですが、インスタのストーリーなどの他者の情報は本来そこまで重要じゃない情報も多いハズでして、、

インターネットサービスの中毒性はしっかりと把握した上で、自分の可処分時間の割きどころを意識して棲み分けないと、いつの間にかSNSを見て時間を浪費してたなんてことになってしまいそうで、勿論、ダラっと浪費する時間も個人的には大切なんですが、そこはしっかりと意識して割きたい時間だと感じました。そんな、中毒だったり、依存だったりについて色々と考えていければと思います。

中毒と依存と

そもそも中毒とか依存とかの言葉の定義もよくわかってなかったのでここでおさらいしてみましょう。

中毒とは、「毒にあたる(中る)」の意味であり、生体に対して毒性を持つ物質が許容量を超えて体内に取り込まれることにより、生体の正常な機能が阻害されること(wikipedia)

ふむふむ。。元々身体に良くないものを取り込みすぎて身体機能に支障をきたすのが中毒といった感じですね。

依存とは、身体的依存を伴うもしくは伴わない、薬物や化学物質の反復的使用のこと(wikipedia)

中毒は許容量を超えた摂取でしたが、意志に反して反復的に使用してしまうという点が依存との違いのようですね。分かりやすくまとめていた記事がああったので、そちらも貼っておきます。

この記事で言うと、中毒は身体と物質との関係性で、依存は精神と物質との関係性ということが書かれていました。例えば、急性アルコール中毒は、一度に多量のアルコールを摂取しすぎることで、血中のアルコール濃度が高くなり、身体機能を悪くさせます。

一方のアルコール依存症は、自分でも飲み過ぎだ。。という自覚があるものの、お酒が止まらなくなり、飲み方をコントロールできず、自分の意志ではやめられない状態を指すそうです。依存にもイライラしたりする精神依存と、悪寒や震えが止まらなくなる身体依存があるそうですが、自分で自分のことをコントロールできなくなる依存も同じように怖い印象ですね。

SNSと依存症

TikTokの流行りとかについて以下のようなツイートを目にしました。


何億ものユーザの検索動線やキーワードをアルゴリズムで分析したり、ユーザ同士の繋がりや相関関係(ソーシャルグラフ)を元に個々のユーザに最適化した動画を出し、もはや検索すらされないおすすめ欄のみで成立しているという話にはなるんですが、、

いやゆる、大量の情報をさばくことによって、各個人が面白いと感じたりするものの提供精度がかなり高くなっているということで、依存性の高いコンテンツになりやすいのではと感じました。

いや、動画に依存するの?と思いますが、気付けばYoutubeを開いて関連動画を上から見てるなんてこともあると思いますし、自分でYoutubeを見ようと思って見ていないので、つまりは自分の行動を自分でコントロールできていない、依存状態にあると見ることもできそうです。

SNSだと特に、周りの人も使ってるから使うという「ネットワーク効果」やストーリーの閲覧数やいいね数などの「数字」がユーザの依存性を高めていて、周りが昨日の誰々のストーリーの話をしていたら、自分も見なきゃとなりますし、友達の数を増やせば投稿のいいねの数が増えて自己承認も高めることができます。

ユーザが依存しやすいコンテンツの精度が、ひと昔前は、今話題の〇〇という大局的なものでしたが、今の時代は「〇〇さんが面白いと感じるもの」というパーソナルなレベルになっているので、お世辞ではなく本当に面白いと感じてしまう(もしかしたらそう感じさせられている)コンテンツが毎秒のように投下されます。

提供側からしても、そういった仕組みを作り、依存させることで、長くサービスに滞在させることができるので、巡り巡って広告費で儲かるという話にもなります。

「あなたはFBの顧客ではなく製品である」という言葉も言い得て妙なりで、FBが日々無料で友達の近況は話題のコンテンツを提供してくれて、自分たちが満たされていると思いがちですが、そう思えるようなサービス設計がされていて、結果ユーザの可処分時間を広告主に売って儲けているという見方もできます。

お酒を飲まないと寝れないという状態はまだ分かりやすいですが、これだけの人がスマホを持っていて、息をするようにアプリを開いたり閉じたりすることができるとなると、依存していること自体を自覚しにくく、客観的にも気付きにくいというのは、インターネット系の依存の怖いところだとも思います。

冒頭で自分が無意識にインスタグラムを開いたように、大したことではないかもしれませんが、自分の意思決定ではない時点で、依存していますし、その自覚すらないのは危ない気もしていて。SNS依存と言っても、SNSを見ないと、震えが止まらなくなったり、悪寒がしたりという身体的な症状がないのも気付きにくい要因ですし、みたい!と思えば一瞬スマホを開いて見ればいいだけなので、喫煙室まで行ってタバコを吸うというコストに比べればすぐに解消できるものでもあります。

とはいえ、このインターネット依存によって一番問題なのはそこで無意識に浪費している時間だと思っていて、無意識なのでそこに時間を使ってしまった。。という自覚さえありません。二日酔いなどは後悔として残るので、アルコール控えよ。。と思いますが、ネットであればせいぜい目疲れたな。。くらいなので、そこで依存し過ぎだ。。と思うことも難しいでしょう。

自分ですら昼休みにたまたま気付けたことですし、今まで無意識に消費していた時間は沢山あるかもしれませんが、1分1秒のスケジュールで動いている人間でもないので、今はボケ〜っとしたいからYoutubeのレコメンドみ漁ろうと思って見るのは個人的に良かったりします。

繰り返しにはなりますが、怖いのはそれを自覚しないで時間だけが奪われて、奪われた自覚もないまま、1日21時間くらいで過ごしていることで、そこの時間は別の時間に使えたかもしれませんし、そこは浪費する上でも意識的な浪費が大事なのかなと思ったりします。

いい依存 = 習慣

ここまではインターネット依存などに触れてきましたが、とはいえこれやらないと震えるほどではないけど、なんかモヤモヤするなという類のものもあるなぁと思いまして。例えば朝の通勤電車で聞くVoicyや、始業前に行う瞑想、毎日の業務日記的なものを呟くツイートなどです。

Voicy聞かないとなんとなく1日が始まった気がしませんし、瞑想なしだと仕事モードになれませんし、業務日記は書かないと、あ!今日は学びがなかったのか。。?と焦ったりします。これはこれで一種の依存のようなものですが、個人的にこれは"いい依存"だと思っていて、というのも最初は快楽に繋がる依存ではないからです。

アルコールやタバコを摂取すると、脳内にドーパミンが分泌され快楽を得ることができますが、Voicyを聞いても、瞑想しても、毎日ツイートしても最初は快楽を得られるものではありません。むしろだるいな。。と思う日すらあります。

じゃあやめればいいじゃんって話なんですが、とはいえ毎朝の通勤時間を有意義にしたり、在宅が多かったので仕事に切り替えるスイッチが欲しかったり、学びのような昨日よりは一歩進んだ感が欲しかったので、それぞれを最初は意識的に繰り返すようにしました。

大体1ヶ月くらい経ってくると、意識的から無意識にグラデーションされていって、気付けばそれをやらないとなんかムズムズするという依存状態になります。このような状態をいい依存だと思っていて、いわゆる習慣化と言うものと同じだと思います。

人間は簡単に依存しちゃう体質であることを逆手にとって、直接的な快楽は得られないけど、やっておきたいことと言うのを自分の中で依存対象にしてしまえば、それはいい依存状態だと思うので、ここは自分の中で棲み分けてやりくりしたら面白そうだなと思いました!

依存と共存する

アルコール依存やニコチン依存など、これまでは身体に直接影響が出たりして自覚しやすかった依存症も、インターネットとスマホの普及によって、無自覚な依存状態になりやすいということを書きながら感じていましたが、対策というよりかは、そことどう向き合っていくかが大事なのかなと思ったりします。

依存と言っても、習慣化といういい依存も中にはあると思うので、この依存によって身体的、精神的な弊害はあるのか、無自覚に可処分時間を削られていないかを立ち返る瞬間は必要だなぁと感じました。とはいえ、それはそれで億劫なので、まずはスマホでアプリを開くときに、「よし今からGoogleのアルゴリズムに身を任せて時間を浪費しつつリフレッシュするぞ!」と心に決めたり、何かしらの意図をもってタップする習慣を作っちまえばいいじゃないかという話ですね笑

依存というと、悪いイメージがつきやすいですが、自分も簡単に依存状態になりやすいということを自覚した上で、それを逆手に取った習慣作りで依存と共存していきながら過ごしていこうと思います!ではまた!

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